第三十九話:毒蛇の吐息
Scene.146 眠りを妨げる吐息
準決勝を明日に控え屠殺場には奇妙な静寂が訪れていた。生き残った奴隷剣闘士たちはみな自分の独房みたいな寝床で体を休め明日の戦いに備えている。
ウチも石の寝台にごろんと横になった。隣の区画ではいつの間にかウチの護衛騎士(笑)になったリラが座ったまま瞑想している。
「キミも寝なよエルフ。明日ウチが勝つのを見届けないで居眠りしてるとかナシだからね?」
「…はい、莉央様。お言葉に甘えさせていただきます」
リラが目を閉じるのを確認してウチも意識を休息モードへと切り替えた。
…つもりだった。
長年の夜の世界とこのクソみたいな異世界でのサバイバル生活が、ウチの身体に眠っている時でも警戒を解かないクセを染み付かせていた。
どれくらい時間が経ったか。
ふと鼻腔を甘ったるい花の蜜のような匂いがくすぐった。
ウチは寝返りを打つフリをしながら片目を薄く開けた。
ウチの寝床の周りだけ空気の色がほんの少し紫がかっている。
(…なにこれ。ヤバい匂い…。…毒?)
思考が一瞬で覚醒する。
間違いない。これは魔力で霧状にした強力な麻痺毒だ。吸い続ければ意識を失い身体の自由が完全に奪われる。
(…あの、クズ蛇が。寝首を掻きに来たってワケ?)
ウチは呼吸を極限まで浅くした。そして毒が回って完全に眠りこんだフリを続ける。
やがてウチの寝床に一つの影が音もなく近づいてきた。
月明かりに照らされてギラリと光る短剣。
影はウチの首筋に狙いを定めその刃を振り下ろした。
その瞬間。
ウチの目がカッと見開かれた。
「…遅いって、バーカ」
ウチは振り下ろされる短剣を寝たままの姿勢で指二本で白刃取りした。
そして暗殺者の腕を掴むとそのままテコの原理でヤツの体を宙に舞わせる。
「ぐっ…!?」
暗殺者は受け身も取れず石の壁に叩きつけられた。
「誰の差し金?…『毒蛇のサイラス』?」
ウチが短剣をその喉元に突きつけると黒装束の男はコクコクと狂ったように頷いた。
Scene.147 最悪のモーニングコール
「莉央様…!?」
「騒がないで、リラっち。ただの虫除けだから」
物音に気づいたリラやブランの爺さんが駆け寄ってくる。
ウチは気を失った暗殺者をゴミみたいにその場に転がしておくと、ヤツが持っていた毒塗りの短剣を拾い上げた。
そしてウチは静まり返った屠殺場の中をゆっくりと横切っていく。
目的地は一番奥の区画…サイラスの寝床だ。
ヤツはウチが近づいてきても狸寝入りを決め込んでる。
ウチはそんな小心者のクズに直接声をかける気も起きなかった。
代わりに。
ヒュッと風を切る音。
ウチが投げた短剣は寸分の狂いもなく、眠っている(フリをしている)サイラスの耳のすぐ横数ミリの壁に突き刺さった。
ビクッ!とサイラスの体が大きく跳ねる。
ヤツが恐怖に引きつった顔で目を開けるとそこには自分の部下が使っていたはずの毒の短剣が突き立っている。
ウチは暗闇の中から全員に聞こえるように静かな、しかし芯の通った声で告げた。
「…くだらないマネしないでくんない?クズ蛇クン」
「明日はアリーナで正々堂々キミのそのキタない皮、一枚残らず剥いであげるね」
「だから今夜は震えておやすみー」
ウチはそれだけ言うと自分の寝床へと戻っていった。
残されたのは恐怖に顔面を蒼白にさせるサイラスと、ウチという“化け物”への畏怖に静まり返る剣闘士たちだけ。
「…さてと」
ウチは寝台に再び横になった。
「これでやっと静かに眠れるじゃん」




