第十四話:シルヴァンの奇跡
Scene.61 絶望の狼煙
聖樹への出発を数日後に控えたある晴れた日の午後。
突如、港町シルヴァンを地鳴りのような警鐘が揺るがした。
「敵襲だ! 海から…いや、森からも! 魔物の大群だ!」
展望台に駆け上がったウチらの目に映ったのは悪夢みたいな光景だった。海は黒い影で埋め尽くされ巨大な海棲魔獣が津波のように押し寄せてくる。同時に背後の森からは血走った目をした獣や闇色の魔族たちが津波のように溢れ出していた。
「“魔物の潮”…!? なぜこんな場所に!」
エルフの衛兵隊長が絶望の声を上げる。これは自然発生するスタンピードじゃない。明らかに何か強大な意志によって率いられた統制された軍隊だった。
「ウジウジしてんじゃないよ!泣き言はコイツらを全部片付けた後で聞くかんね!」
ウチは剣を抜き放ち城壁の上に立った。
「エリナ! キミは一番高い塔の上から街全体を支援して!負傷者が出たらキミの光で癒してあげなよね!」
「はいっお姉ちゃん!」
「残りの人たち!ビビってるヒマがあったら弓を引け剣を構えな!ウチらの街はウチらで守るんだよ!」
ウチの言葉にパニックに陥っていた衛兵たちの目に闘志の光が戻る。ウチは前線へエリナは後方支援へ。シルヴァン防衛戦の火蓋が切って落とされた。
Scene.62 絶対的敗北
戦いは熾烈を極めた。ウチは城壁を駆け回り防衛線の穴を塞ぎエリナの広範囲に及ぶ治癒と浄化の光が何度も街の崩壊を防いだ。
だがその元凶…『深淵の指揮者』が姿を現した時、その均衡はあっけなく崩れた。
ヤツの力はウチらが聞いていた噂の比じゃない。桁違いの化け物だった。
『ククク…その光を放つ娘、実に上質な魂だ。まずはアレから潰そう』
深淵の指揮者がエリナに狙いを定めた。
「させるわけないじゃん!」
ウチは最短距離で深淵の指揮者へと突撃する。だがソイツはウチに目もくれずエリナに向かって精神波を放った。
『その光ごと絶望に染まれ』
「エリナ!」
ウチはエリナの前に割り込みその精神攻撃をまともに食らってしまった。
物理的な衝撃はない。だがウチの脳を過去の絶望が駆け巡った。魔王に陵辱された屈辱。バザロフの屋敷での悪夢。
「が…あ…ぁ…っ!」
精神が軋む。心が折れる。動けない。
ウチが膝をついた瞬間、深淵の指揮者は巨大な闇のエネルギー弾を生成しウチらごと吹き飛ばした。
最後の瞬間ウチが見たのは、街の中央広場に叩きつけられ気を失ったエリナの姿と、ウチらの敗北を見て絶望に顔を染める街の人々の顔だった。
街を守る魔法障壁がガラスのように砕け散る音がした。
Scene.63 ありえない幸運の連鎖
ウチが意識を取り戻した時そこは地獄だった。
魔物の群れが広場になだれ込んでくる。エリナが最後の力を振り絞って作り出した小さな光のドームだけがかろうじて負傷者たちを守っていた。
『見ろ。これが英雄の成れの果てだ』
深淵の指揮者の嘲笑が響き渡る。
もうダメか。ウチの心が完全に折れかけたその時だった。
(…もう、負けるのはごめんだ)
(奪われるのはうんざりだ)
(…この光だけは、絶対に、消させない…!)
ウチは震える足で立ち上がった。
そのウチの姿を認めた深淵の指揮者が、とどめの一撃として瞳から即死級の呪いの光線を放った。
だが、その瞬間。ウチの傷ついた足が力を失い、ウチは無様に前へとつんのめって倒れ込んだ。
光線はウチの頭上を虚しく通り過ぎ、背後にあった街の古い時計塔に直撃した。
ゴゴゴゴゴ…!時計塔が根元から崩れ落ちていく!
『なっ…!?』
深淵の指揮者が初めて焦りの声を上げる。
崩れ落ちた時計塔の中から街の時を告げていた巨大なミスリル製の鐘が轟音を立てて転がり落ち、深淵の指揮者へと直撃した。
カーン!というけたたましい金属音。物理的なダメージはない。だがその聖なる金属が放つ清浄な音波が精神生命体である深淵の指揮者の魂を直接揺さぶったのだ。
『ぐ…おおおおおっ…!?』
深淵の指揮者が苦悶の声を上げる。
その精神的な衝撃波が近くにあった港の古い水門を破壊した。
次の瞬間、大量の海水が濁流となって広場へと流れ込んできた!深淵の指揮者はその濁流に足を取られ体勢を崩す。
「今です…!《ホーリーライト》!」
塔の上で意識を取り戻したエリナが最後の力を振り絞り深淵の指揮者に向かって聖なる光を放った。
だがその光は深淵の指揮者には届かない。濁流の海水に着弾した。
その瞬間、奇跡が起きた。
エリナの聖なる力が濁流全体へと広がり、ただの海水を、おぞましい魔族の体を焼き尽くす巨大な「聖水」の津波へと変えたのだ!
『ぎゃあああああああああっ!』
聖水の津波に飲み込まれた深淵の指揮者が初めて実体のある悲鳴を上げた。ヤツの半透明だった体が聖水に焼かれ、実体化してもがき苦しんでいる。
その時だった。濁流に揉まれる中で、ウチの腰につけていたアイテムバッグから一つのアイテムがぽろりとこぼれ落ちた。
ワイバーンから手に入れた『風切りの羽根』。
(…これ…!)
ウチはそれに手を伸ばした。
(この風の力で、この水の上滑れたりしない…!?)
いちかばちかだ!
「エリナ!援護!」
ウチは壊れた盾の破片に飛び乗ると、『風切りの羽根』に魔力を込めた。
「きゃあああああっ!」
ウチの体は想像以上のスピードで水の上を滑り始めた。聖水と風の力が共鳴したのか、もはや制御不能の人間ミサイルだ!
ウチは聖水の濁流と共に、もがき苦しむ深淵の指揮者の大きく開かれた口のような渦の中へと吸い込まれていった!
真っ暗なヤツの体の中。
だがそこには、無防備に脈打つ巨大な核があった。
濁流の凄まじい勢いがウチの体を剣ごとその核へと叩きつけた!
ズブリ、と。
手応えがあった。
Scene.64 英雄への喝采
ボスを失った魔物の残党は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
夜が明け朝日がボロボロになった街と生き残った人々を照らし出す。
静寂の後誰からともなく拍手が起こった。それはやがて街全体を揺る-がすような割れんばかりの喝采へと変わっていった。
エルフもドワーフも獣人もみんながウチとエリナの名前を叫んでいる。
あの石頭だった衛兵隊長がウチらの前に進み出てその場で膝をついた。
「我々の非礼を許してほしい。そして感謝する。君たちこそこの街の…いや、この国の英雄だ」
街の人々がウチらに駆け寄り涙を流しながら何度も何度もありがとうと繰り返す。
ウチは照れ隠しで
「別に。当たり前じゃん?」
としか言えなかったけどマジで胸が熱くなった。
長い夜が明けた。
ウチらはただのよそ者じゃなくこの街の本当の仲間になれた。
空はムカつくくらい青く澄み渡っていた。