第十二話:笑顔の誓い
Scene.51 嵐の後の約束
あのクソ豚バザロフの船に乗ってから数日が過ぎた。
ウチらは甲板の上でただ黙って過ぎていく景色を眺めていた。
エリナはあの日以来、口数が極端に減った。時折悪夢にうなされて飛び起きる。記憶はない。でも魂に刻まれた恐怖だけが彼女を苛んでいた。
ウチの心の中もバザロフへのドス黒い殺意と自分への無力感でぐちゃぐちゃだった。
(…ダメだ)
ウチは、思った。
(このままウチら二人でメソメソしててもしょーがなくない?)
(記憶もないんだ。何されたか分かんないのに、ただ悲しんで怒ってるだけじゃ何も変わんないし、前に進めない。…あのクソ豚の思うツボじゃん!)
ウチはエリナの肩を抱いた。
「決めよ。…無理してでも笑う。バカなことしてはしゃいで、このクソみたいな記憶の痕跡を楽しい思い出で上書きしてやんの」
「…お姉ちゃん…」
「それがウチらのあいつへの最初の復讐だ。…いいな?」
エリナは涙を浮かべながらそれでも力強くこくりと頷いた。
ウチらの新しい誓いだった。
Scene.52 揺れる船室と悪戯心
その数日後の昼下がり。
嵐の海域も無事に抜け船は穏やかな大海原を順調に進んでいた。
ウチは船室のベッドでゴロゴロしていた。訓練にも飽きたしマジでやることがない。
隣の簡易ベッドではウチの可愛い妹分、エリナが「すー、すー」と幸せそうな寝息を立てて昼寝してた。マジ無防備。口、半開きだし。すっかりウチに心を許しきってる証拠だよね。
その寝顔を見ていたらウチの中にムクムクと、黒い…いや、ちょーお茶目なイタズラ心が湧き上がってきた。
(…あのクソみたいな夜の記憶を楽しい思い出で上書きしてやる。…これも姉貴分の務めっしょ?)
「よしきた。いっちょこの聖女様の寝顔を超アーティスティックにデコってあげよっかな!」
ウチは音を立てずにベッドから抜け出すと船員からこっそり貰っておいた炭の棒を手に取った。いざ作戦開始!
Scene.53 聖女様、アートのお時間です
まずは手始めに、ぷにぷにしてる柔らかそうな頬っぺたから。
炭の先でそーっと優しく円を描いていく。くすぐったいのかエリナが「んぅ…」と身じろぎした。やば! ウチは息を殺して動きを止める。数秒後また静かな寝息が聞こえ始めて作戦再開。
「セーフ、セーフ。次は…おでこが寂しいじゃん?やっぱここは『肉』っしょ!」
額のど真ん中に達筆な感じで「肉」の一文字を刻む。うはは!マジ傑作!これで聖女とかギャグセン高すぎでしょ。
鼻の下にちょんちょんと黒いヒゲを描き足す。完璧。我ながら画伯としての才能が開花した瞬間だった。
Scene.54 くすぐり地獄と無防備なカラダ
ウチはまずエリナが履いているブーツをそっと脱がせた。現れた小さな足の裏。
ウチは羽根ペンの先でエリナの土踏まずをこちょこちょこちょ…と撫で始めた。
「んん…ふふっ…」
エリナの足がピクンッと縮こまり寝ているのに口元が笑いの形になる。マジ可愛いんですけど。
―――ウチの悪戯はどんどんエスカレートしていった。
くすぐったがるエリナの反応が可愛くて面白くて。脇の下をくすぐり、お腹を撫で、太ももの内側をなぞる。その無垢な体を隅々まで暴いていく。
そのちょーえっちな、お遊びの詳細はここには書けないけどね。
Scene.55 目覚めた聖女の逆襲!
「んっぎぅうううううっ!!!」
ウチが最後の仕上げに取り掛かっていたその瞬間だった。
ぱちっ。
エリナの大きな水色の瞳がゆっくりと開かれた。そしてウチとバッチリ目が合った。
「…」
「…」
気まずい沈黙。ウチはカエルのように固まった。
「あ、いや、これは、その…虫がいたっていうか…」
エリナはキョトンとした顔で数秒間状況を理解しようとしていた。そして自分の体の変な火照りと顔の違和感に気づき、近くにあった手鏡を手に取った。
鏡に映ったのはヒゲと渦巻きと「肉」の文字が描かれたとんでもないアホ面。
「……………………」
エリナは鏡を置くと顔をりんごみたいに真っ赤にしてゆっくりとウチの方を見た。
「り・お・お・ね・え・ちゃ・ん・の…」
低い声。これはマジで怒ってる時の声だ。
「い・じ・わ・る・うぅぅぅぅぅぅぅーーーーっ!!」
次の瞬間エリナは野生の猫みたいな素早さでウチに飛びかかってきた。
「うおっ!?」
「仕返しですっ!お姉ちゃんなんかこちょこちょの刑ですーっ!」
ウチはエリナに押し倒され今度はウチがくすぐり地獄の餌食になった。
「ぎゃはははは!やめて、エリナっち!マジで、あっはははは!」
「だめですー!お姉ちゃんが降参するまでやめませんー!」
狭い船室のベッドの上でウチらは子供みたいにゴロゴロ転がりながらじゃれ合った。エリナの落書きだらけの顔が満面の笑みでウチを見下ろしている。
「はー、はー…降参、降参だって!」
「本当ですかー?」
「マジマジ!あー、笑いすぎて腹いてぇ」
二人で息を切らしながらベッドに大の字になる。ウチは落書きだらけのエリナの顔を見てまた吹き出してしまった。
「ぷっ…あはは!やっぱエリナのその顔、マジ傑作!」
「もうっ!お姉ちゃんのせいです!でも…」
エリナもつられたようにくすくすと笑い出した。
「でも、なんだかすごく楽しいです」
その笑顔を見てウチの心の中にあったクソ豚につけられた黒い傷がほんの少しだけ癒えた気がした。
辛い旅はまだ続く。でもこいつと一緒ならきっと大丈夫だ。
ウチは隣で笑うエリナの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。