第百十三話:対消滅
Scene.443 対消滅
一つの黒い流星が空を駆ける。
それは莉央という一人の女がその身に宿した、この世界に「存在する」全てのモノの極致。
喜びも怒りも哀しみも愛も絆も、その泥臭い人生の全ての色を混ぜ合わせた究極の『黒』。
その流星が向かう先は世界の終わり。
地平線を静かに蝕む全てを均一化し、意味を奪う絶対的な「無」。
全ての光の色が混ざり合い、全てを飲み込む究極の『白』。
そして。
世界のてっぺんで全ての生命が息を飲んで見守る中。
『存在』と『無』が出会った。
対消滅。
それは、世界の理における究極の方程式。
絵の具の全ての色を混ぜ合わせれば、それは限りなく『黒』に近づく。
それは「存在」そのものの極致。
光の全ての色を混ぜ合わせれば、それはやがて純白の光となる。
それは「無」そのものの極致。
『存在』と『無』が出会う時。
『黒』と『白』が衝突する時。
そこに生まれるのは爆発や破壊ではない。
ただ互いを打ち消し合い中和させ、世界の理から共に消え去る絶対的な調和。
衝突の瞬間、世界から全ての音と色が消えた。
一瞬の完全な静寂。
そして次の瞬間。
遥か西の地平線を蝕んでいたあの巨大な白い亀裂が、嘘のように消え去っていた。
そこには元通り青い空と青い海が広がっている。
世界を覆っていた言いようのない不安と絶望の気配が、完全に消え失せた。
莉央という一つの存在と引き換えに『大いなる虚無』は、この世界から完全に消滅した。
戦いは終わった。
Scene.444 静寂の凱旋
世界は救われた。
地平線を蝕んでいた絶対的な無は消え去り、そこには美しい夜明けの空が広がっている。
だが、天頂の霊峰の頂に歓声はなかった。
莉央という一つの黒い太陽が消え去ったその喪失感を、そこにいた誰もが肌で感じていた。
数万の軍勢は、ただ呆然と静まり返った戦場の中心で立ち尽くす。
その中心で。
エリナとリラは莉央が消えた空を見上げていた。
全てを見届けた二人の瞳から涙がとめどなく溢れ出す。
これまでにない悲しみの極致。
エリナの脳裏を駆け巡るのは莉央との出会いの記憶。
森で独りぼっちだった自分を助けてくれた乱暴で優しい手。『エリナ』という名前をつけてくれたあの夜。どんな絶望の淵でも「ウチがいる」と背中を守ってくれた絶対的な信頼。
リラの胸を締め付けるのは、莉央が与えてくれた新しい誇り。
闘技場でプライドごと陵辱され全てを失ったあの瞬間。だが莉央はそんな自分を見捨てず「ウチの剣になりなよ」と言ってくれた。不器用な優しさで何度も、何度も、自分の存在価値を教えてくれた。
涙が止まらない。
世界で一番大切で愛おしい光を、失ってしまった。
Scene.445 夜明けの誓い
…でも。
世界が救われたと言うのに。
このまま私たち二人が悲しみに暮れていたら、この世界戦争に命を懸けて集まってくれた数万の人々は、どうしたらいいと言うのか。
分かる。
分かっている。
莉央が命と引き換えに守ったこの勝利の意味を。
自分たちが今、ここで為すべきことを。
リラは涙を拭うと、崩れ落ちていたエリナの肩を強く抱いた。
エリナも頷きゆっくりと立ち上がる。
二人は顔を上げた。
その瞳にはもう、ただの悲しみだけではない。
莉央の意志を継ぐ者としての強く、そして気高い光が宿っていた。
二人は山頂の一番高い場所へと歩みを進める。
そして、眼下に広がる数万の仲間たちに向かって声を張り上げた。
その声は魔法によって増幅され、世界のてっぺんの隅々まで響き渡った。
「聞け、世界の全ての勇者たちよ!」
リラが叫ぶ。
「我らが英雄、莉央の尊い犠牲により、全ての災厄の根源『大いなる虚無』は完全に消滅した!」
エリナが続く。
「宣言します! いま、私たちは本当に勝利し、この世界に本当の平和が訪れたのだと!」
その言葉に。
一瞬の静寂の後。
一人の兵士が雄叫びを上げた。
それが伝染し、やがて数万の軍勢の地鳴りのような大歓声となって爆発した。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
それは新しい時代の始まりを告げる凱歌。
世界中に響き渡る希望の産声。
莉央がその命を懸けて咲かせた、たった一つの、美しい未来だった。




