第百十二話:白と黒
Scene.437 必然の刻
時は少しさかのぼる。
莉央たちが天頂の霊峰で最後の戦いに身を投じていたその同じ刻。
大地の賢者ゲブは、聖樹の根元で静かに世界の悲鳴を聞いていた。
遥か西の地平線。そこに現れた純白の亀裂。
世界そのものが消しゴムで消されていくかのような、絶対的な「無」の侵食。
『…必然か…』
ゲブはその岩の口の中で静かに呟いた。
その表情に驚きはない。ただついにこの時が来たかという厳かな諦観だけがあった。
Scene.438 白と黒の創世記
ゲブの思考は数千年の時を遡る。
(そもそも数千年前、この世界は一度『虚無』によって滅びる運命にあった。それをこの世界を司る八柱の神々がその身を盾にして防いだのだ)
(じゃが、その代償はあまりにも大きかった。神々は『虚無』の呪詛に触れ、その聖なる性質を「反転」させられてしまった。…それにより全ては始まった。この永く悲しい戦いの歴史がな)
八柱神の力が堕ちた大罪として世界を蝕み。
その大罪を浄化する力を持つ奇跡の子が現れた。
そして今。
(八柱神の力が戻り一つの魂の元に集約された今。数千年の時を越えて防戦の終わりと、決着の時が来たという訳か。…再び『虚無』と相対する刻が)
ゲブは思考する。
(『虚無』とは何か)
(それは究極の『白』だ。全ての色の光が混ざり合うと、その光はやがて全てを飲み込む純白となるという。…何もない世界は黒ではない。全てが均一化され、意味を失った何もない『白』なのだ)
そしてゲブの思考は今まさに世界の命運を背負う一人の娘へと向かう。
(そして調停者…莉央。彼女はその対極。…究極の『黒』)
(物質的なこの世の全ての色を、絵の具の様に混ぜるのであれば、その存在は限りなく黒くなるという)
(彼女の中には今浄化された八柱神の力がある。それだけでなく、彼女が道中で出会い触れ合ってきた世界中の人々の喜び、怒り、哀しみ、日々の泥臭い石ころの様な苦労や感情。そこに「存在する」ということを示す全てのモノが集約されておる)
(彼女はその「存在」というものの極み。…故に『黒』なのだ)
Scene.439 最後の対極
ゲブは遥か北の空を見上げた。
そこでは今まさに奇跡の子が己の弱さと向き合い光を失おうとしている。
だが、それもまた必然。
彼女が本当の『自尊』を手に入れるための最後の試練。
そして彼女が八つ目の柱をその身に宿し、完全な存在となった時。
この世界の運命は決する。
(この2つが今まさに相対するのであれば、それは…)
それはもはや戦いですらない。
「存在」と「無」。
「黒」と「白」。
世界の始まりと終わりを懸けた究極の対消滅。
そのどちらがこの世界を上書きするかの最後の審判。
Scene.440 存在と無
時は現在。
天頂の霊峰は絶望と混沌に包まれていた。
最強の敵を倒したはずの歓喜は一瞬で消え去り、今、世界の終わりそのものが地平線の向こうからゆっくりと迫ってきていた。
『大いなる虚無』。
全てを白く染め上げ、無に還す絶対的な消滅。
数万の軍勢はなす術もなく、ただその終末の光景に立ち尽くす。
その絶望の中心で。
先程まで光を失い廃人と化していた莉央の体から、ふわりと金色の光が溢れ出した。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
その瞳にはもう迷いも苦しみも怒りもない。
ただどこまでも穏やかで、全てを許し、全てを受け入れた慈愛の光だけが宿っていた。
(…ああ、そっか)
彼女の心は静かだった。
(ウチには全て分かったよ。ウチがなぜこの世界に呼ばれ、なぜこのめちゃくちゃな力を与えられたのか。ウチがなぜここに『在る』のか)
(そして、この最後のスキルの本当の使いみちもね)
彼女は自分の魂が満たされていくのを感じていた。
世界中の仲間たちの祈り。
彼女が手に入れた最後の力『自尊』。
それは彼女に生まれて初めての感情を与えてくれた。
(自己犠牲…?自暴自棄…?違うな、そんなんじゃない)
(なんだかとても穏やかな気分なんだ。こんなに穏やかで気分がいいのは、生まれて初めてなんだ…)
Scene.441 愛してる
「お姉ちゃん!」
「莉央様!」
エリナとリラが泣きながら彼女の元へと駆け寄ってくる。
莉央はそんな二人を優しい眼差しで見つめ、その歩みをそっと手で制した。
そして彼女はこれまでに誰も見たことがない、聖母のような穏やかな笑顔で明るく語りかけた。
それは彼女の最初で最後の素直な言葉。
「エリナ、リラ。愛してるよ」
その一言は二人への別れの言葉。
そして、この世界への感謝の言葉だった。
Scene.442 対消滅
莉央は二人に背を向けると世界の終わり…『虚無』へと向き直った。
そして彼女はその身に宿した最後の究極神技を発動させる。
【万物創生】
だがそれは、何かを生み出すためのものではなかった。
彼女の存在そのものを武器へと変える最後の切り札。
彼女の体は内側から眩い光を放ちやがてその輪郭を失っていく。
ゲブが言っていた究極の『黒』。
この世界に「存在する」全ての喜び、怒り、哀しみ、愛、絆、その森羅万象の全ての色が彼女という一点に集約され、全てを飲み込む絶対的な漆黒の点となった。
「存在」の極み。
その漆黒の点は一筋の流星となって地平線を蝕む究極の『白』…『虚無』へと向かって飛んでいった。
そして、それは起こる。
「対消滅」




