第百四話:傲慢の世界
Scene.403 『傲慢』の独白
不気味なほどの静寂が天頂の霊峰を支配していた。
ウチは目の前の幸せな幻影が偽物だと気づき、警戒を強めた。
(…なにこれ)
(これは本当にウチが望んだ未来?それともこれは…)
(誰かがウチに見せている都合のいい夢…?)
ウチの背筋を冷たい汗が流れた。
その瞬間。
玉座の間全体に声が響き渡った。
ウチの脳内に魂に直接語りかけてくる、冷たくそして絶対的な自信に満ちた声だった。
『…美しい夢だったろう?』
『だが、あれはお前の矮小な願望が生み出した、不完全でありふれた未来だ』
ウチは声の主を探して辺りを見回す。
だがそこには空っぽの玉座と動かない魔物たちしかいない。
声は続く。
『この世界は矛盾に満ちている。自由を謳いながら互いを縛り付け。平等を願いながら強者を妬み弱者を見下す。…そして最も滑稽なのが『民意』という名の幻想だ。愚かなる多数派の感情が、賢明なる少数の理性を駆逐するあまりにも劣化したシステムよ』
『魔王はその愚者を力で支配しようとした。だが愚者にどれだけ完璧な法を与えても、その愚かな心が法を捻じ曲げる。…『支配』は不完全な回答だ。故に私は支配しない』
『…ただ“作り変える”』
『私が唯一の超越者として、全ての問いに対する完全な正解を提示する。悲しみも苦しみも争いも存在しない完璧に調和した世界。…民草が悩む必要も、選択する必要すらない絶対的な幸福。それこそが我が創り出す理想の世界だ』
その独白は魔王のそれとは全く違う。
力による恐怖政治じゃない。
絶対的な知性と理性が導き出す完璧な管理社会。
それはあまりにも独善的で、あまりにも神々しい狂気だった。
Scene.404 精神体の降臨
ウチがその声の持つ異常なカリスマに気圧されていたその時。
空っぽだった玉座の上空。
空間が歪みそこから一つの光の塊がゆっくりと降りてきた。
それは肉体を持たなかった。
純粋な白い光だけでできた幾何学模様の集合体。
人の形をしているようで、天使のようにも悪魔のようにも見える。顔はない。
だがウチは感じていた。その光の中心から絶対的な視線がウチに注がれているのを。
『傲慢』という思念を凝縮した精神体。それこそがルシエルの本当の姿だった。
玉座の周りにいた厄災級の魔物たちが、一斉にその光の化身に向かって完璧な動きでひれ伏した。
Scene.405 最後のピース
光の化身はウチの目の前に浮遊するとさらに語り続けた。
その声はウチへの賞賛と、そして憐憫に満ちていた。
『お前は実によくやってくれた調停者よ。我が計画の最大の障害であった魔王と、他の不完全な大罪どもをその身に集約してくれたのだからな』
「…なんだって?」
『そして調停者よ。お前はその新世界の創造のための最後のピースとなる』
『お前がその身に集約した七つの歪んだ概念。…それを我が最後の礎として取り込み完全に浄化することで我が創世は完成するのだ』
ウチは戦慄した。
こいつはウチと戦う気なんてさらさらない。
ウチが命懸けで集めてきた七柱の神の力を、自分の計画の最後の部品としてただ利用しようとしているだけだ。
ウチの戦いも苦しみも贖罪も、全てがこいつの掌の上の出来事だったとでも言うのか。
『さあ、お前の全てを差し出すがいい。お前も我が創る完璧な世界の一部となれるのだ。…これ以上の栄誉はあるまい?』
そのあまりにも傲慢な提案に、ウチの腹の底から最後の怒りが込み上げてきた。
「…ふざけないで」
ウチは光の化身を睨みつけた。
「キミのそのクソつまんない理想の世界なんざ、ウチがぶっ壊してあげる」
Scene.406 届かない刃
ウチは最大出力で攻撃を仕掛けた。
神速無双剣舞で光の化身を切り刻み、義憤の断罪の光でその魂ごと消滅させようと試みる。
ウチが宿した七柱の神々の力が、虹色の嵐となって玉座の間を吹き荒れた。
だが。
その全てがルシエルの精神体をただすり抜けていくだけだった。
ウチの物理的な剣も神々の概念的な力も、ヤツには一切届かない。
ヤツはこの世界の理の外側にいるのか?いや違う。ヤツ自身が、一つの完結した理そのものなんだ。
その間もルシエルはずっとその思想を延々と演説し続けていた。
ウチの猛攻などまるで心地よいそよ風でしかないとでも言うように。
『無駄なことだ調停者よ。その個という不完全な檻の中から、私という完全な全体を傷つけることはできん』
『何故抗う?苦しみとは個々の矛盾した願望がぶつかり合うことで生まれるノイズに過ぎん。悩み悲しみ怒り…それらは全て不完全であるが故のバグなのだ』
ヤツの言葉がウチの脳内に直接染み込んでくる。
あまりにも理路整然とした完璧な理論。
聞いているだけでヤツの言うことの方が正しいのではないかと思えてくる恐ろしい説得力。
『私に取り込まれることは死ではない。…それは救済だ』
『お前のその不屈の魂も、仲間を想う心も、全てが私という大いなる調和の中で永遠の一部となる。…もう悩むことも失うこともない。ただ完璧な幸福の中で永遠に存在し続けるのだ』
『…それこそが、お前が戦いの果てに本当に求めている”安らぎ”ではないのか?』
「…っ、だま、りなよ…!」
ウチは叫びながら攻撃を続ける。
だがウチの心は揺れていた。
もう戦うことに疲れたと。もう何も失いたくないと。
ヤツの言葉はウチの一番弱い部分を的確に突いてくる。
やがてウチの動きが止まった。ぜぇぜぇと荒い息が漏れる。
魔力も闘気も底をつきかけていた。
だがヤツには傷一つ付いていない。
ウチはその場に膝をついた。
完敗だった。
『…そうだ。それでいい』
ルシエルの声が優しく響く。
『…さあ全てを委ねるのだ』
『…楽にしてあげよう』
光の化身がウチに向かってゆっくりとその手を差し伸べる。
ウチはもうそれに抗う力も意志も残っていなかった。




