第百二話:独りの旅路
Scene.392 一週間の準備
あれから一週間。
ウチは、とある中立国の大きな港町に滞在していた。
目的はただ一つ。最後の戦いに向けた完璧な準備。
まず、新しい相棒『星屑』の調整。
ドワーフが打った最高の剣だけど、ウチの今の神格化された力に耐えきれるよう、ウチ自身の魔力を何度も通し馴染ませる必要があった。
毎晩剣を構え素振りを繰り返す。その度に剣はウチの魂の一部になっていく気がした。
次に装備。
天頂の霊峰は雲の遥か上。極寒と低酸素の地獄だと予測できる。
ウチは街の最高の職人たちを金で雇い、特注の戦闘服を作らせた。
魔物の中でも特に希少な火竜のなめし革に、氷の精霊の加護を編み込ませた極寒地仕様のライダースーツ。ウチの体のラインにぴったりとフィットする黒一色の美しい死に装束だ。
薬も道具も考えうる全てを買い揃えた。
ギルドの資料室に籠り『天頂の霊峰』に関する僅かな文献も全て頭に叩き込んだ。
準備に抜かりはない。
ウチはこの一週間完全に戦闘マシーンと化していた。感傷に浸る暇なんてなかった。
Scene.393 二週間の旅路
そして準備を終えたウチは、北へと向かう最後の旅を始めた。
ワープは使えない。ウチはただひたすらに自分の足で歩いた。
最初の数日はまだ緑豊かな平原だった。
街を通り過ぎるたびに「黒狐だ!」と指を差される。英雄扱いはもう慣れたけどやっぱり気色悪い。
ウチは誰とも言葉を交わさず黙々と歩き続けた。
一週間が経つ頃には景色は一変していた。
大地は徐々に高度を上げていき、ウチは険しい山岳地帯に足を踏み入れていた。
空気が冷たく澄み渡っている。
時折小さな村を通り過ぎる。
そこで暖炉の前で寄り添う家族の姿を見るたびにウチの胸はチクリと痛んだ。
(…エリナっち、リラっち。…今頃、何してんのかな)
あいつらの顔が浮かぶ。
聖樹の元で決戦の準備をしているはずだ。
ウチが戻ってくるのを信じて。
(…ごめん。約束、破るね)
ウチは唇を噛み締めた。
この旅はあいつらと別れるための旅だ。
あいつらを失う恐怖から逃げるための、卑怯な旅だ。
でも、もう決めたことだ。
二週間目。
ウチはもう人間が住む領域を完全に超えていた。
木々はなくなりただ白い岩と氷河だけが広がる高山地帯。
空気は薄く下界は一面の雲海に覆われている。
夜になれば三つの月が、手を伸ばせば届きそうなほど近くに見えた。
聞こえるのは吹き荒れる風の音だけ。
世界に本当に独りぼっちになった気分だった。
だけど不思議と寂しくはなかった。
この絶対的な孤独がウチの心を研ぎ澄ませていく。
Scene.394 天頂の霊峰
そして旅の終わり。
二週間の旅路の果てにウチはついにその麓に辿り着いた。
『天頂の霊峰』。
それはもはや山というより、天と地を繋ぐ巨大な一本の柱だった。
黒い水晶でできたかのような鋭い針の山。
その頂は雲海を遥か上に突き抜けどこまで続いているのか見当もつかない。
山の周りには常に魔力の吹雪が渦を巻いている。
ここが最後の敵『傲慢』の魔人ルシエルの居城。
ウチの最後のステージ。
ウチはそのあまりにも神々しくそして絶望的な光景を見上げた。
だけどその心は驚くほど穏やかだった。
「…着いた」
ウチは静かに呟いた。
「最後のステージだ」
ウチはその神々の領域へと続く最初の一歩を踏み出した。
独りの戦いが始まる。
Scene.395 神々の登山
天頂の霊峰。
それはもはやただの山じゃなかった。神々の領域へと続く一本の巨大な試練の塔。
その登山はウチの想像を絶する地獄の始まりだった。…普通のヤツならね。
まず麓でウチを出迎えたのは、山そのものが意思を持ったかのような数十体の『金剛の巨人』。
一体一体がそこらの国の守護神クラス。厄災級のSSSモンスター。
そのダイヤモンドより硬い拳がウチに襲いかかる。
だが。
「…邪魔」
ウチはただ一言呟いた。
そして新しい相棒『星屑』を抜き放つ。
神技スキル 【義憤の断罪】 を発動。
ウチの怒りが刃に乗り、その一振りはあらゆる物理法則と防御の概念を無視した。
金剛の巨人の軍勢は、ウチが通り過ぎた後にはただのキラキラした砂となって風に舞っていた。
次にウチが雲海を突き抜けた中腹。そこは魔力の暴風が吹き荒れる嵐の領域だった。
その嵐の中から数百の『嵐の妖婦』の群れがウチに襲いかかってきた。
音速で飛び回り真空の刃を放ってくる厄介な連中。
だが。
「…うるさい」
ウチはただその存在が鬱陶しかった。
神技スキル 【統治のオーラ】 を解放する。
ウチの体から放たれた絶対的な王の気質。その覇気に触れた瞬間、妖婦たちは一斉に動きを止め恐怖に震え始めた。
ウチはその無防備な群れの中心で、ただ一度だけ剣を横に薙いだ。たったそれだけで数百の嵐の化身は一瞬で霧散した。
そして山頂直下。星々が手を伸ばせば届きそうな神々の領域。
ウチを待っていたのは一体の巨大な竜だった。
その鱗は夜空の星座そのもの。吐き出すブレスは全てを絶対零度に凍てつかせる星の光。
古の『天竜』。こいつももちろんSSSクラスの伝説の生き物だ。
だが。
「…綺麗じゃん」
ウチはただそう呟いた。
神技スキル 【好敵の天敵】 が発動する。
相手が強ければ強いほど、ウチの力はそれを凌駕する。
ウチは天竜が放った極光のブレスを片方の剣で受け止め、その全てのエネルギーを吸収した。
そして、その星の力をそのままもう片方の剣に乗せて打ち返す。
ウチが放った斬撃は天を裂き、竜の額を正確に貫いた。
天竜は苦しむことなく満足そうに一度頷くと、美しいオーロラとなって夜空に溶けていった。
Scene.396 頂上の孤独
そしてウチは頂上に辿り着いた。
そこにはもう何もいなかった。
ただ雲海を見下ろす一つの質素な玉座があるだけ。
ウチはその玉座の手前に立ち、自分の手を見下ろした。
(…なんだ。こんなもんか)
汗一つかいていない。息も上がっていない。
厄災級の魔物たちがウチの前ではただの虫ケラ同然だった。
(レベル707…。今のウチに敵うヤツなんて、もういないのかな)
(…だったらこの戦いが終わったら、ウチは本当にどうすれば…)
圧倒的な強さ。それはウチがずっと求めていたもののはずだった。
だがその頂上に辿り着いた今。
ウチの心にあったのは虚しさだけだった。
(…まぁいいや)
ウチは顔を上げた。
玉座に座る最後の敵を睨みつける。
(感傷に浸るのは全部終わってからだ)
(さあ始めようか。最後のゴミ掃除を)




