第百一話:それぞれの覚悟
Scene.387 世界の潮目
大地の賢者ゲブは、聖樹エリュシオンの根元で世界の脈動を感じていた。
永い永い間この星を蝕んできた病巣。
『大いなる虚無』の呪詛から生まれた七つの大罪と魔王。
その世界の脅威が今、たった一柱を残すのみとなった。
世界が騒がないはずがない。
わしの岩の肌を通して大地を伝わってくる人々の感情は、もはや恐怖や絶望ではない。
熱狂。そして新たなる時代への期待。
世界の潮目は確かに変わったのだ。
Scene.388 英雄譚の始まり
ただ以前と違うのはその熱狂の矛先じゃ。
かつて世界があの小さき奇跡の子…莉央の存在を初めて知った時、人々の感情は畏怖であった。
正体不明の圧倒的な力。魔王すら凌駕するその暴力。
人々は彼女を新たなる災厄として恐れておった。
じゃが今は違う。
莉央の力を畏怖する論調はもうあまりない。
それはひとえに彼女に救われた経験を持つ者たちの功績が大きい。
砂漠の国ソルダートからは解放者への賛美歌が。
北のドワーフの都からは救世主への感謝の祈りが。
南の快楽都市からは魂を目覚めさせた聖女への物語が。
彼女たちが通り過ぎた跡には、必ず新しい希望の芽が生まれておった。
その小さな芽の一つ一つが今世界中に根を張り、彼女の本当の姿を伝え始めておる。
彼女は破壊者ではない。再生者なのだと。
Scene.389 賢者の懸念
じゃがわしはその熱狂の中に、新たな危うさの種を見ておった。
民衆はいつだって単純な物語を求める。
『黒衣の女勇者が、星の聖女と氷炎の魔女を従え世界を救う』
今、世界中に広まりつつある新しい英雄譚。
そんな甘美な幻想に民衆は依存し熱狂する。
だがわしは知っておる。実態は全く違う。
あの三人は主君と従者の関係ではない。ただ互いの魂で結びついただけの、危うく、そして奇跡的な三位一体。
そして何より彼女たちは、世界を救おうとして戦っている訳ではない。
莉央という娘はただ、自分の仲間と自分のケジメのためだけに戦っておる。
その戦いの結果が、たまたま世界を救う方向へと向かっているに過ぎぬ。
わしは恐れておった。
勝手に期待を寄せた愚かな民が、いつかその幻想を裏切られたと勝手に解釈し、その手のひらを返す日が来ることを。
救世主を魔女へと貶める歴史を、わしは嫌というほど見てきた。
どうか、あの不器用で優しき魂に世界からの悪意が向けられぬことを。
わしはただ聖樹の根元で静かに祈ることしかできんかった。
最後の戦いが終わったその先に、本当の試練が待っているやもしれぬというのに。
Scene.390 三ヶ月の約束
聖樹エリュシオンの根元。
エリナとリラがウチに真剣な顔で提案してきた。
「お姉ちゃん。最後の戦いの前に少しだけ時間をください」
「…あん?」
「三ヶ月。私たちに三ヶ月の準備期間をいただきたいのです」
ウチは二人の真剣な目を見て、その提案に拍子抜けするくらいあっさりと頷いた。
「…OK。それでいいよ。三ヶ月ね。分かった」
ウチはそう言い放つとすぐに二人に背を向けた。
「ウチも少し頭冷やす時間が欲しかったとこだし。それに決戦の前にやりたいことがいくつかある。…じゃあね。三ヶ月後ここでまた会おう」
ウチは振り返らずに聖域を後にした。
あまりにも素っ気ない別れ。
だけど、その裏に隠されたウチの本当の覚悟に、エリナとリラはまだ気づいていなかった。
Scene.391 独りの覚悟
エリナたちと別れ一人になったウチは南の『怠惰』の島々へと向かった。
最初の二週間は本当に何もしなかった。
ただ眠り泳ぎ頭を空っぽにする。
そして穏やかな波の音を聞きながらウチは自分の本当の覚悟と向き合っていた。
(…三ヶ月後)
(…ウチはあの聖樹の元へ戻る気はない)
そうだ。あのあっさりした別れ。
あれはウチがついた最初で最後の嘘。
ウチはあいつらを騙したんだ。
(エリナ、リラ…。あいつらを最後の戦いに巻き込みたくない)
それが一番の理由だ。
『傲慢』は最強の大罪。
どんな地獄が待っているか分からない。
あいつらを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
(だけどそれだけじゃない)
ウチは自分の弱さを自覚していた。
(現状、ウチだけが突出して力がデカすぎる。でも、あの二人を守りながら戦えるほど『傲慢』が甘い相手だとは到底思えない。ウチの最大の弱点は、皮肉にもあいつらの存在そのものになっちゃう)
そして何より。
ウチの心の一番奥底にある本音。
(…もう失いたくないんだ)
樹里を失ったあの絶望。
エリナとリラが目の前で無力化されたあの無力感。
もう二度と味わいたくない。
あいつらがウチの目の前で傷つくのを見るくらいなら。
(ウチが独りで全部背負って死んだ方がマシだ)
だからウチはリラの提案にすんなり乗った。
何も疑わずに嬉しそうに準備を始めるあいつらの顔を見ないようにして。
あいつらをこの世界で一番安全な聖樹の元に隔離して、ウチが単身で乗り込むための最高のチャンスだったから。
「…しょーもない自己満だよね」
ウチは砂浜に一人呟いた。
結局ウチは樹里のことから何も学んでないのかもしれない。
また独りで全部抱え込んで大事なモノを遠ざけようとしてる。
だけどこれしか方法が思いつかないんだ。
ウチは立ち上がった。
感傷に浸ってる暇はない。
(さて、と。最後の準備を始めるか)




