三十一話 私の魔力
ルナは、変わってしまったベリーを見つめた。
パッと明るい金髪に、深い藍色の瞳は、前と少しも変わっていない。
(見た目は、どこも変わっていないのに、あきらかに前と違うのはなんでだろう)
ルナは、疑問に思った。
ベリーが、ピンク色のかわいい唇を動かして、言葉を発する。
「ねぇルナ、もっと魔力をちょうだい! もっと強くなりたいなぁ!」
ルナは、憎しみを込めて返した。
「うっさい。ベリーの声で話すの、やめてよ」
「どうして? 私はこの体を乗っ取ったから、所有権は私にあるはずだよ」
(あんたの存在の所有権は、私にあるのよ)
「乗っ取った」という言葉に対する不快感に眉をひそめつつ、ルナは、心の中で呟いた。
もう、覚悟は決まっていた。
(ベリーの中の魔力を……吸い戻す。ベリーの中にある、私の魔力を……呪いの元凶を見つけて、つかんだら、ベリーの中から出る。そうすれば、ベリーは、元に戻るはず……!)
ルナは、集中するために、目を閉じた。
自分の中で渦巻く魔力と、同質の魔力を探りながら、緊張に体を強張らせる。
(いつ、攻撃されるかわからない……けど、集中しないと、ベリーは救えない)
そしてルナは、見つけた。
自分の魔力と共鳴してわずかに震える、闇の魔力を。
(――! すごく少ないけど、見つけた。こんなに少ないものなんだ……意外と、簡単かも。よーし……私の魔力を……返せ)
ルナは、目を閉じたまま、その魔力を、つかんだ。もちろん、物理的に、じゃなくて、魔力で。
(やった……私の魔力……これでもう、ベリーは――)
その時、焦げた蜜のような、甘ったるい香りが、鼻をかすめた――気がした。冷たくて、ずしりと重い何かの気配を感じる。すぐそこにある、膨大なエネルギー。手を伸ばせば……少し身を乗り出せば、届きそうなほど近くに、たくさんの魔力がある。
頭がぼーっとしてきた。
(……これ……何? すごく、すてき……あの魔力さえあれば、なんだって……できる?)
その魔力に魅せられて、ルナは思わず、手を触れた。
……どろっ。
――バチィッ!
耳元で、大きな音がした。
指先に、静電気のような痛みが走る。
心臓が一瞬止まって、再びドコン、と跳ねた。
他人の魔力への、拒絶反応だ。
「痛っ」
小さく悲鳴をあげる。
夢の中から、現実へ戻ってきた気がした。
ルナは目を開けて――ガッカリした。
ベリーに、とくに変わった様子はない。
ピシッ、ピシッ――パリンッ。
薄いガラスが割れるような音が響き、アダムを縛っていた鎖が砕け散った。
パカァン、と、何やら神々しく復活した変態。
「嗚呼……何と言う甘美な衝撃、何と言う無慈悲な抱擁! 我が主ルナ様、貴女の指先が私の魂に触れた瞬間、私の中の愛のマグマが、この理性の外殻を焼き千切りました!」
「……うるせ」
ルナは、地面に膝をついて悶えている変態を見下ろした。
ルナが取り戻した魔力は、アダムを縛り上げていた魔力だったのだ。つまり、ベリーの中の呪いは、まだ消え去っていないし、アダムはまた喋り出す。
ルナは重い息を吐いた。
「……上出来じゃん」
アダムの魔力で、いまだに痺れる指先をぺろっと舐めて、ベリーを睨む。
「……命拾いしたね。次こそ、あんたを消してみせる」
「強気だね。そんなこと言っちゃっていいの?」
ベリーの動きは、油断していて、隙だらけなようにも見えた。襲ってやろうと思えば、いつでも襲えるように見える。しかし、本当に、何の作戦もなく襲いかかったりしたら、瞬殺されてしまうだろう。
(けど……ベリーを蝕んでる呪いは、元はといえば私の中から飛び出ちゃった魔力の、ほんの一部。つまり、私は、今のベリーよりもずっと、強いはず!)
深呼吸して、ルナは体内の魔力を解放した。
(まず……可哀想だけど、ベリーをアダムのときみたいに縛って、動けなくする……っていうのが、理想!)
――ピシュンッ!
ルナが放った魔力は、ベリーを外れ、ジェームズに直撃した。
「……コケェッ!?」
その場に、ニワトリの甲高い鳴き声が響く――。
茶色いニワトリが、混乱したようにキョロキョロあたりを見回している。
ルナは驚愕して、すっとんきょうな声を上げた。
「えっ! なんでニワトリなんかがここに――っていうか、ジェームズはどこ?」
「ルナ様! 素晴らしいです! 次は、私をゴールデンレトリバーにしてください!」
アダムが堂々と挙手する。
ベリーは、腹を抱えて笑い始めた。
「アッハハハハ!!! 待って……バカじゃないの、あんた……! 味方をニワトリに変えるって……! ジェームズが……ニワトリに……ハハハハハ……あー、くるしー!」
「嘘ぉ! ジェームズなの? あんたが?」
ルナは、ニワトリへ一歩、近づいた。
ベリーがケラケラと笑いながら、ルナへ声をかける。
「ねぇ、それ、焼き鳥にしちゃおうか? 私、ちょうどおなか空いてたんだよね!」
ニワトリが、鋭い目つきでルナを見据えて、低めのトーンで、鳴いた。
「……コケッ」
「キャハハハハハ!!! 何あの気品溢れるニワトリ! ジェームズそのものじゃん! キモ!!!」
ベリーは、涙を流して笑い転げている。
それに答えるようにニワトリがピカッと光ったかと思えば、次の瞬間、そこにはひどく混乱しているジェームズがいた。
ルナの魔力が不安定だったので、変身が維持できなかったのだ。
「ゲホッ、ゲホッ……僕、今、ニワトリ?」
ルナは、人間のジェームズを見て、少しだけ肩の力を抜いた。
笑いを全力でこらえながら、謝る。
「ああ……いや、もう人間に戻ってるわ。……ごめんなさい。まさか、ジェームズが……ニワト…リに、なるとは思ってなくて……」
ジェームズが、髪についた羽を一本、はらいながら、ルナを睨む。
「……今、僕、やたらとトウモロコシやら、小麦やら、ヒマワリの種が恋しくなったんだけど、それって君のせい?」
「ジェームズ、ごめん。本当にごめん。わざとじゃ……」
赤くなって謝罪を繰り返すルナ。
それに答えようとするジェームズを、ベリーが遮った。
「あーあ、笑い死ぬかと思った。あんたって、ほんとにポンコツだよね、ルナ。マヌケなコントは、もう終わりなの?」
ピキッ――。
ルナは、自分の中で、羞恥心が静かな怒りへ切り替わるのを感じた。
(ベリーは、あんなこと言わない……)
ベリーの中の、美しくて、ドロドロしてて、真っ暗な魔力。
(あんなのは、ベリーじゃない……)
冷たい嘲笑。
(違う。ベリーはもっと、ずっと……)
気がつけば、ベリーの腕をつかみ、低い声で言っていた。
「ベリーを、返せ」
ぐいっと引っ張った。ベリーの中の、汚い魔力を。
ベリーから出ていけ。消えろ。
「……あ、あ……! 待って……! 私の力! ぐ、っあ、ぁ 、ああ……!」
ベリーが、弱々しい悲鳴を上げた。
(この調子で、引っこ抜いて――……痛い!)
流れ込んでくるのは、冷たい氷の棘と、吐き気を催すような悪意の塊。自分の血管が、真っ黒なインクで塗り潰されていくような感覚に、ルナは悲鳴を上げそうになった。
(気持ち悪い……こんな魔力、いらない。ほしくない。私の魔力って、こんな……ザラザラしてて、ドロドロしてて、汚かったんだ……)
泥を煮詰めたような、吐き気を催す臭い。指先が黒く変色し、焼け付くような熱さが全身を駆け巡る。
(――もう、いやだ。こんな魔力、いらない)
少し気を抜くと、ベリーを助けることを忘れて、無意識に魔力を突き返してしまいそうだった。
目に涙が浮かんで、勝手にぽろぽろこぼれおちた。
「……っう。……ベ――ベリー………」
(真っ黒な魔力が、体中をぐるぐる回ってる……けど、まだある)
ルナは確信していた。
(まだ、全部取りきれてない……まだ、ベリーの中に……汚いものは、残ってる。もっと奥に行って、全部回収しないと)
ルナは、ベリーの体の中へ、一歩踏み出した。
視界が歪み、足元の感覚が消えた。
次に目を開けたとき、そこは真っ白な、何も無い世界。 ただ一つ、遠くの方で、ベリーの泣き声だけが響いていた。




