三十話 破壊神の引き算
心臓の奥が、冷たく冷え切っていく。
(……この、魔力のせいで)
ルナにとってこの力は、ずっと、勝手に溢れ出してくる疎ましい「体質」のようなものだった。せいぜい、最近になってようやく「便利だから使ってあげてもいいかな?」と思い始めた程度の代物。
それが、ベリーを壊していた。
自分が無造作に、気まぐれに力を振るうたびに、隣で笑っていた親友は死ぬほどの苦痛を押し殺していたのだ。
「……嘘でしょ」
自分の指先を見る。そこから漏れ出す光が、今はひどく醜く、おぞましいものに見えた。
(助けたい)
(でも、私が動けば動くほど、ベリーの中の「化け物」は膨らんでいく……)
逃げ出したい。けど、その足は瓦礫の上で凍りついたように動かない。
「掃き溜めのネズミ同士の仲違いは、いい加減に終わったかしら?」
存在を忘れられて、かなり苛立った調子の声がその場に響いた。ルミナだ。
しかし、その声は、ルナの頭までは届かない。
「掃き溜めの……ネズミ……」
ルナは、ルミナの言葉をなんとなく繰り返した。ちゃんと聞いてますよ、とでも言うように。本当は、一ミリも聞いてはいなかった。
「掃き溜めのネズミ共がベリーを……ナンテコッタ」
魂が抜けたように、支離滅裂な言葉を口走る。
思考が真っ白な霧に包まれ、どうすればいいのか、何が正しいのか、何もかもがわからない。
「……ねぇ……助けてよ……こんな時、どうすればいいの……? オラクル、ヴァリアント……」
ほとんど無意識に、消え入りそうな声で、ぽつりと呟く。
すると、まるでその呼びかけを待っていたかのように、杖から遠慮のない怒鳴り合いが爆発した。
ルナのポケットの中で、杖がブルルンッと震える。
「――だから言っただろう、ヴァリアント! ソースは二度漬け禁止なのだ! それは宇宙の法典にも刻まれている!」
「うるせぇよオラクル! そもそもこれはソースじゃなくてチョコフォンデュだ! 二度漬けも三度漬けも俺の勝手だろ!」
場違いな怒鳴り合いが響き渡る。
ルナはポケットから杖を取り出した。
「……あんた達、こんな時に何なのよ……。今、ベリーが大変なことに……」
「ん? ああ、ルナか」
ヴァリアントが、今気づいた、というように言った。
「……ずいぶん放っておいてくれたな?」
「フゥ、ム……主ではないか。久方ぶりだな。もうすっかり忘れ去られていると思っていたぞ。ようやく、我々が杖の中で干からびてしまっていないか、心配になってくれたということだ」
「えっ? あ、ああ、ごめん?」
不機嫌そうなオラクル達の声に、語尾を上げながら謝るルナ。目に、だんだん生気が戻ってきた。
「聞いてくれよ。この馬鹿がチョコを共有財産だと思ってやがる。あーそこ、マシュマロ落とすなよ」
「……黙れ」
「……で、ベリーがどうかしたって?」
ルナは、深いため息を吐いた。ヴァリアントが、なんだよ! と甲高い声で文句を言う。
「……あのさ、私の魔力がベリーの中に流れ込んで、呪いと共鳴して、人格が変わっちゃったのよ。私が力を出せば出すほど、あいつが強くなる。……もう、手出しできない。……私の、せいで……」
ルナが絶望的な声を出すと、一瞬、沈黙が流れた。そして、ヴァリアントの馬鹿にしたような鼻笑いが聞こえてきた。
「はぁ? お前、何言ってんだよ。自分の飼い犬が他人の庭で暴れてるなら、首輪を引っ張って連れ戻せばいいだけだろ?」
「……首輪?」
「そうさ。元はあんたの魔力だろ? だったら、所有権はあんたにある。あんたがそのワンコに『戻れ』って願って、その流れを自分の方へ無理矢理引き寄せれば良いだけの話だ」
ヴァリアントが一瞬真面目そうな声を出したかと思えば、案の定、皮肉を付け足した。
「……まぁ、あんたみたいな破壊神に、そんな繊細な引き算ができるとは思えないけどな! ギャハハハ!」
ヴァリアントの笑い声が耳に刺さる。
連れ戻す。引き算。
ルナの脳内で、バラバラだったピースがカチリとはまった。
今まで、力は「出す」ものだと思っていた。爆発させて、壊して、終わり。
けど、元が自分の魔力なら、それを「引き戻す」ことだってできるはずだ。
出すことしか知らなかった自分の力を、引き戻すことで制御する。
「……そっか。……そっか、そうじゃん!」
ルナは杖を力いっぱい握りしめた。
絶望で曇っていた瞳に、再び黄金の光が宿る。今度は、ただ暴発するだけの光じゃない――三割くらいは、制御された光だ。
「……いつまで、ふざけているのかしら」
ルミナの低く、鋭い声。
バサッ、と派手な音を立てて手をかかげる。その指先には、ギラギラとした光の塊が創り出されていた。
ルミナにとって、この場違いなコメディは、自分の支配する「秩序」への侮辱に他ならない。
「ネズミの独り言に付き合う趣味はないわ。まとめて灰になりなさい」
ルミナが余裕たっぷりに手を振ると、指先にパチパチと音がなる魔力塊がこしらえられた。
アダムも声を張り上げている。
「――嗚呼、その葛藤に満ちた、青の瞳! 闇の中で彷徨う真珠のような、儚げな――」
同時に、宙に浮くベリーも、不快そうに眉をひそめた。
絶望に打ちひしがれるルナを眺めるという「最高の娯楽」を、杖に邪魔されたからだ。
明るい調子の声を出す。
「あっはぁ♪ ルナ、そんな棒きれに相談しても無駄だよ。だって――」
ベリーが、冷たく言い放つ。
「――あんたには、もう『引き算』なんて、できないんだから!」
ベリーが左手を振り下ろすと同時に、床から黒い闇の棘が爆発的に突き出した。
ルミナも手を振り上げた。眩しくて、直視できないような光の塊が、文字通り光速で、ルナの心臓を目がけて移動する。
光と闇の同時攻撃。
普通の魔法使いなら、防御壁を張って耐えることしかできないだろう。
しかし、ルナは「守ること」を捨てた。
直感的に、受け止めようとするのはだめだ、と思ったからだ。
ルナは迫りくる光速の魔弾に対し、あえて自分から踏み込んだ。同時に、足元から突き出した闇の棘を、やや強引に「受け流す」ように誘導する。
「だあああああああああ!!!」
キィィィィィィィィィン!
鼓膜を突き破るような高音とともにルミナの灼熱の光が、ベリーの極寒の闇を直撃した。
ドォォォォォォォン!!!
激突したのは、魔力と魔力だけじゃない。極限の熱と、極限の冷気が、ルナの目の前で爆発した。
「ふぉあああああっ!?」
爆風の真っ只中で、ルナの悲鳴が混じり気のない衝撃に塗りつぶされる。
「ぐわぁっ……!」
「なっ――!?」
「……あはは……あっははははは!」
「おおおルナ様あああ」
「おい、危ないぞ!」
ガリウスは、とっくに失神していた若い巨人を引きずって、ガレキの影に隠した。
次々と上がる悲鳴(?)と、立ち込める真っ白い水蒸気。
「嗚呼、ルナ様! 爆風に舞うルナ様の燃えるような赤色の御髪! なんと気高く、神々しく、そして、ちょっと手入れをサボったような野性味溢れる輝き……! それこそが私の魂を震わせる至高の――」
「ルナ!」
ガレキの陰から、場違いなほど冷静で、けれど必死なジェームズの声――と、アダムの熱狂的な声が響いた。
「左右の温度差が激しすぎるよ! このままだと君の服が……じ、じゃなくて、空気が急激に膨張して水蒸気爆発しちゃう!」
「えっ……服……ばくはつ? ごめん、意味わかんない!」
ルナは叫び返したが、ジェームズの指摘通り、ルナの周囲の大気が異様な悲鳴を上げ始めていた。
ルミナが放つ灼熱の光と、ベリーが作り出す極寒の闇。二つの相反するエネルギーがルナの直前で激突し、膨大な熱交換が限界を超えようとしている。
「とても輝いております! 強大な力に立ち向かう凛々しい横顔、まるでもぎたての果実のような瑞々しさと、嵐の中の向日葵のようなたくましさ!」
アダムの声は、もう誰も聞いていない。
「あのさ、簡単に言うと、真夏のエアコン室外機の前にドライアイスを置くようなものだよ。急激な温度差で空気が弾ける」
ルナは顔をしかめた。ジェームズの例えの意味が、全くわからないのだ。
「……もっとわかりやすく言えば、熱々の油に氷を放り込むようなもんなんだよ!」
「……あぁ、それ最悪なやつじゃん! 台所が地獄になるやつね」
ルナは、かつて動画サイトか何かで見た「やってはいけないキッチン事故」の映像を思い出した。
ルミナの熱(油)に、ベリーの冷気(氷)。その中心にいるのは自分。
「その爆発のエネルギーを逆利用すれば――爆風を背中に受けて、一気にベリーの懐へ行けるはず。今のベリーは、自分の冷気のせいで周りの空気が固まって、逆に防御の薄い隙間ができているはずだから!」
ジェームズが頭をフル回転させながらルナへ伝えた。残念ながら、ルナはその言葉を全く理解できていない。それでも、なんとなくイメージは伝わったようだ。
「と、取りあえず、信じていいのね? 要は、その爆発をエンジンにして突っ込めってことでしょ?」
ルナは、杖を持ち直した。
「ジェームズ、これで私の服が爆発したら、あんたの全財産で弁償しなさいよ!」
威勢よく言ったルナだが、ふと自分の足が動いてくれないことに気がついた。
(……そっか……私、まだ怖いんだ……)
その隣で、アダムの声が、誰にも聞かれず、どこにもない場所へ吸い込まれていく。
「その不器用な魔力の使い道! まるで生まれたての小鹿が初めて大地を蹴るような、その危うさこそが――」
ルナは、迫りくる熱風も、ベリーへの恐怖も、一旦全て横に置いて、アダムへゆっくりと顔を向けた。
「……。……アダム、あのさ……」
「なんでしょうっ、ルナ様! その、ゴミを見るような冷徹な瞳で見つめられると、私の心臓は――」
「……あのさ……」
ジェームズやガリウス、果ては空中のベリーや、攻撃態勢のルミナとさえ、一瞬だけ目が合った気がした。
『るっっっっっさい!!!』
その場にいる全員が、親愛なるアダム君へ、不満を絶叫した。
「あんた、さっきからなんなの、例えが意味不明だし、きしょい! 今すぐ黙って!」
「死ぬほど……いや、殺したいほど、耳障りだよぉ!」
「耳の奥が、公序良俗に反する、不浄な言葉で汚れるわ」
「計算の邪魔です。静かにしてください」
「縛るぞ」
全方向から飛んできた「静止」の意思と、ルナの手から飛び出した魔力が、アダムを文字通りガレキへ叩き伏せた。
青い魔力が、苛立たし気にアダムを縛り上げて、口を塞ぐ。アダムは、感動で目を潤ませた。
「――っ! ――……! っっっ!!!」
ルナは眉をひそめた。
(……縛り上げて口を塞げば、不快感が少しは和らぐと思ったのに……一ミリも変わらないどころか、こいつの言ってることが全部伝わってくるのは、何故だろう……)
ルナを見つめるアダムの青い瞳は、あきらかにこう言っていた。
『嗚呼、ルナ様! 口を塞がれ、自由を奪われてなお、私の魂はかつてないほどに解放されている! この魔力の縄こそ、貴女と私を繋ぐ運命の赤い糸……! 貴女の怒りに満ちた瞳は、今や世界を統べる王者の輝き! 罵倒さえも私には聖歌に聞こえます! さぁ、その気高き足で、運命という名の絨毯を蹂躙し、残酷なまでに美しく突き進んでください……!』
いかがでしたか?
アダムのクソポエムを考えるのは……疲れる!
マジで何なんだ、あいつは! もう書けないぞ、私は!
それに、今回は登場人物が多すぎて……なんか、楽しかった。




