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プロフェッショナル

次の日も、僕は散歩に出た。


別に誰かに会う約束があるわけでもないし、予定もない。ただ、風が涼しくて、なんとなく体が外に出たがっている気がした。


川沿いを歩いて、曲がり角を抜けたあたりで、見慣れた白いコートが目に入った。


僕「……お姉さん?」


すぐに声をかけそうになったけれど、足が止まった。

彼女はスマホを耳に当てていて、何やら難しそうな顔をしていた。


お姉さん「……あー……そう…ですよね……はいはい……はい」


普段の飄々とした口調とは違う。落ち着いていて、はっきりしていて、どこか“仕事中の人間”の声だった。

思わず隠れるように電柱の影に身を寄せてしまう。


僕(……仕事、してるんだ。やっぱり、ちゃんと働いてる人なんだ)


なんとなくその姿に見惚れていた。だけど、心のどこかで少しだけ寂しさもあった。 自分の知らない“別の顔”を持っているんだと、改めて突きつけられたようで。


それでもしばらく目を離せずにいると、ふいに彼女と目が合った。


彼女の目が、ぱちくりと瞬く。


――そして、あからさまに焦ったように通話を切った。


お姉さん「あっ……はい、ではまた折り返し……っ、し、失礼しますっ」


慌ててスマホをポケットにしまい、こっちに早足でやってくる。そして、急に表情を切り替えた。


お姉さん「や、やぁ少年! 気分はどうかな?」


僕「……」


一拍置いて見上げると、彼女は妙に大きな笑顔を浮かべていた。笑ってるのに、目だけがちょっと泳いでいる。


僕「なんか……無理あるな、それ」


お姉さん「な、何が無理だというのかね。私はいつも通りだよ? うん、うん、いつもどおり――」


僕「さっきの通話、聞こえてたよ」


お姉さん「……えっ」


彼女の口元が、ぴたりと止まった。


そして次の瞬間、ふうと深く息をついて、肩をすとんと落とす。


お姉さん「……ほんの少し、仕事中だったんだ」


僕「やっぱり、仕事……してるんだ」


お姉さん「それはまあ」


僕「お姉さん、生きてるの?」


お姉さん「……その質問には、今日のところは答えを保留しよう」


そう言って彼女は、いつものように僕の額を指で弾いた。


ぴしっ。


僕「いてっ」


お姉さん「少年には難しい話はまだ早い。そんなことよりも、まずは明日の授業をどうにかしなさい」


僕「……言い逃れがすごいな」


お姉さん「失礼な。私はいつでも、柔軟に真実を曖昧にするプロフェッショナルだよ」


いつもの調子に戻っているようで、でもほんの少しだけ――彼女の声に疲れが混じっていたようにも思えた。


それでも今は、追及するのはやめておいた。

理由は、自分でもよく分からないけれど――なんとなく、あの慌てた声が、ちょっとだけ可愛かったから。


夕方、ソファでぼんやりしていると、玄関のチャイムが鳴った。


僕「――あれ、誰だろ」


居間の奥から母の「出てくるわねー」という声がして、僕はそのまま動かずにいた。が、数秒後、廊下から妙に明るい声が聞こえてきた。


お姉さん「お久しぶりです、お母様。少年の保護者として、最近はときどき散歩中の監視業務などもさせていただいておりますよ」


聞きなれた声に、びくっとする。


僕「……え?」


立ち上がって玄関に向かうと、そこには例の白いコートと眼鏡のお姉さんがいた。母と並んで楽しそうに話している。


母「久保さんなら安心ね、あなたのこと昔からよく知ってるし。……で、今日は何の用?」


お姉さん「旅をしようじゃないか、少年」


お姉さんは、勝手に靴を脱ぎながら、いつのまにか家に上がってくる。


僕「ちょ、ちょっと待って、旅って――」


お姉さん「気分転換だよ。ちょっと遠くの、何かが変わるような場所へ。少年の心に、少し風を通しに行こうと思ってね」


僕「い、意味がわかんない……!」


戸惑っている僕の背中を、母がぽんと軽く押した。


母「いいじゃない、久保さんなら信用できるわ。どうせ今日は宿題もしてないんでしょ? 気分転換に行ってきなさい」


僕「ちょ、えっ、え、ほんとに行く流れ!?」


母「あ、あと夜はなるべく冷えるから羽織るものは持ってってねー」


母は手を振って笑っている。まるで昔からこういうことが何度もあったかのように。


お姉さん「準備万端、では行こう」


お姉さんは僕の手をとり、玄関を飛び出した。


僕「ちょ、え、手引っ張らないでっ……!」


そのまま、夕暮れの町を駆け抜け、駅に向かっていく。手を引かれたまま走りながら、僕の心の奥が妙にざわついていた。


さっきまで、ぼんやりしていた部屋。数十分前まで、今日も退屈だと思っていた一日。


なのに、今は。


僕「ほんと、何なんだよ……この人」


そう呟いた声は、でもどこか少しだけ、笑っていた。


こうして、旅が始まった。

目的地も、意味も、何も分からないまま。

でも、不思議と、それでいい気がした。


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