第3話 風の魔力
シルフィード家に用意された自室にてシオンは考え込む。
魔術の研究を続けるためには学園に通うことは必須だ。
最新の研究について触れられるだけでなく、魔術業界の横の広がりも確保できるからだ。
「となるとまずは資金確保からかな」
肉体労働には適さない、幼いシオンにとってはそれが難関と言えるが当の本人はどこか楽観的に捉えていた。
「さあ、楽しくなってきたね!」
それどころかむしろこの状況を喜んですらいた。
「今の僕にもできそうな稼ぎ方となると……やっぱり新魔術の開発かな? でも、風系統は応用力があんまりないからなぁ。既存の術式を超えるのは難しいし」
魔力量と同じく、生まれ持って決定される才能がある。
それが魔力適正。
火、水、風、土、光、闇の六大性質に分類される魔力にはそれぞれに特化した性質を持っている。
火属性なら『発熱』。
水属性なら『活性』。
風属性なら『運動』。
土属性なら『形成』。
光属性なら『干渉』。
闇系統なら『収束』。
それらいずれかの属性一つに適性を持って人は生まれてくるのだ。
シオンに現れた魔力適正は風。物体を動かすことに特化した魔力特性だった。
この魔力性質は使い勝手が良い代わりに、発展性に乏しいという弱点を抱えている。要は他の魔力性質と違い、やれることが極端に少ないのだ。
「兄さまたちぐらい魔力量が多ければ建築業とかで活躍もできるんだろうけど……僕に出来るのはせいぜいが小石を浮かす程度だからなあ」
シオンに使える魔術は『微風』ただ一つ。
それも他の人間に比べて精度の低い『微風』だ。
できることは非常に限られる。だが、選択肢の少なさはそれだけ悩む時間の短縮にも繋がる。シオンはあーだこーだと考えるよりもまずやってみることにした。
「よし、なんでもお試しだ。とりあえずこの『微風』の魔術をもっと改良できないか考えてみよう。新しい運用方法見つかれば特許が取れるかもだし」
もしかしたら生まれつき魔力量が少なかったことは、シオンにとって幸運であったかもしれない。
魔力が少ないからこそ、シオンは術式の改良に着目した。
現代では風系統の術者なら誰でも簡単に使える『微風』の魔術改良。
それが後に魔術史へ『天才魔術師』として名を残すことになる、三級魔術師シオンの最初の挑戦であった。
◇ ◇ ◇
「もおおおおおおおお無理ぃッ!!」
魔法陣の改良に着手して数日後、シオンは自室でギブアップを宣言していた。
「なんなのこの術式!? たった石ころ一つ持ち上げるためだけにどんだけ複雑な計算してんのぉ!? 一周回ってバカでしょこれ!?」
魔法陣に組み込まれた線の一つ一つに意味があり、それらが絡み合うことで術式は効果を発揮する。術式の効果を変更、あるいは改良しようとするのなら、全体の調整をしなくてはならない。
例えるならそれは複雑に絡まった数百という糸を解いた後に、たった一本だけ位置を変えて配置しなおすようなもの。気が遠くなるような作業だ。しかも、それがより良い結果を生み出すかどうかは未知数となればなおさら。
「はぁ……今ある汎用魔術はどれも人族が何千年とかけて積み上げてきた術式たちだもんね。そんな簡単に素人が手を加えられるわけなかったか」
投げ出した羊皮紙を拾い上げ、再び机に向き合うシオン。
「出力向上は不可、複数方向への出力も不可、遠隔発動も不可……さーて、次は何を試してみようかなあ」
カリカリ、カリカリと羊皮紙に思いつくままにアイデアを書き写す。
「これも無理、あれも無理、どれも無理、無理無理無理無理、ほんと無理」
ぶつぶつとマイナスな言葉を吐き出し続けるシオン。
だが、その表情はどこか楽し気であった。
◇ ◇ ◇
シオンが自室にこもって数日。
執事のセバスは密かにシオンの身を案じていた。
趣味に没頭するあまり、食事や睡眠を疎かにする悪癖がシオンにあることを知っていたからだ。
以前、文学作品にハマっていた際に屋敷中の娯楽小説を五日かけて読み漁り、しまいには嘔吐しながら失神したことを思い出す。
医者は『栄養失調』だと診断した。何の冗談だと思った。
だが、事実としてシオンにはそう言った気質があるのだ。
集中しすぎるあまり、他が疎かになってしまうという性質が。
現に今も、最後に食事を出してから丸一日姿を見ていない。
恐らく不眠不休で魔術のお勉強を続けているのだろうと思う。
どうしてそこまで、と思わないでもない。
多くの一般人と同じく、魔力をほとんど持たないセバスにとって魔術とは縁遠い存在であり、あってもなくても変わらない生活に不要なものなのだ。
「……お食事でもお持ちして差し上げますか」
とはいえ、だからと言ってシオンのことを否定するつもりはない。
むしろ、シオンに身の上を知って応援したいとすら思っている。
「シオン様、お食事をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
故にこうして今も献身的に世話を続けている。
主人の夢を支えるのも、執事の大切な仕事だとセバスは自負していた。
「ああ、ありがとうセバス! ぜひ持ってきてくれ!」
「失礼いたします」
そうして慇懃な態度で入室したセバスは……部屋の中を見て絶句する。
「すまない、少し散らかっているが気にしないでくれ」
「少し……?」
シオンの部屋の中には大量の羊皮紙が散らばっていた。
隅から隅までびっしりと文字がかき詰められた何百枚という紙たち。
一体どれだけのペースで書き続ければこんなことになるのか……
「くぅ……! 空間移動の理論を術式に落とし込むとこうなるのか……っ! 美しすぎる! 無駄一つないまさしく芸術品だ! セバスもそう思うだろう!?」
「え、あ、いえ私は魔術に関してはなんとも……」
「無駄がない! 故に改良の余地もない! この方向性の研究は無駄だったな!」
テンションがおかしくなっているシオンの目元には深い隈が現れている。
「シオン様。お食事を採られたら少し休まれた方がよろしいかと」
「何を言うセバス! やっとひと段落着いたのだぞ? つまりそれは次の研究にようやく着手できるということだ! やったな!」
「ええ……? その、つい先ほど研究が無駄になったと仰いましたよね? 徒労に終わったわけですよね? なんでそんな元気なのです?」
「? 何を言っている?」
セバスの疑問に、シオンは心底分からないと言った表情を浮かべた。
「無駄だということが分かったならそれは成果ではないか。徒労ではないぞ?」
「…………」
ああ、そうか。と、セバスは一人納得した。
自分がなぜこの若き主人を応援したいと思うのか。
それは境遇だけが理由ではなかった。
いや、正確に言うならそれはただの要因でしかなかった。
「素晴らしい考えにこの不肖セバス、感激いたしました」
どれだけの不遇に見舞われようとも、決して前を向くことを止めない。
この底抜けに前向きな言動こそがシオンを応援する最大の理由だった。
「ですが休息はとってください。もしまた徹夜したら次は締め落とします」
「え……」
「良いですね?」
「……は、はい!」
応援している、とはいっても主人の不規則な生活を見逃すことはあり得ない。
セバスはどこまでも仕事に忠実な男なのであった。




