第1話 魔術と魔法陣
魔術とは──魔力を動力源に、この世界に干渉する術である。
古くは魔法と呼ばれていたそれは人族の長年の研究により、適性さえあれば誰にでも使えるように体系化されていた。
たとえそれが7歳になったばかりの少年だとしても。
「──『微風』!」
少年……シオン・ロス・シルフィードが差し出した手の先に広がる魔法陣。
これこそが術式と呼ばれる魔法と魔術を区別する最大の要因であった。
魔力で描かれた魔法陣は複雑な計算全てを代行する。
そこに刻まれた術式の意味を理解していなくとも、ただその形を模倣し詠唱するだけで誰でも魔術が簡単に扱えてしまうのだ。
「良しっ! どうです大兄さま! 完璧に浮いているでしょう!?」
空中で静止する小石に、小躍りして喜ぶシオン。
その様を隣に立っていた彼の兄、オズワルドはにこやかに眺めていた。
「ああ、文句なしに浮いているな。流石は僕の弟だ」
「大兄さまの教え方が上手だったからですよ! 改めてありがとうございます! オズワルド兄さま! これでようやく僕も一端の魔術師を名乗れます!」
よほど嬉しいのか中庭で飛んだり跳ねたりしているシオンに対し、屋敷の二階の窓が開け放たれ不機嫌顔の少年が顔を出す。
「うるせぇぞシオン! こんな朝っぱらから騒ぐんじゃねぇ!」
「あ、小兄さま。おはようございます! 見てください! この石、僕が浮かしてるんですよ! 見てください! そして褒めてください!」
怒りの声をあげたのはシオンの二人目の兄、テオだ。
「だからうるせぇんだよ! こっちは疲れてんだ! ゆっくり寝させろ! つか、その程度の魔術で褒めるとこなんかねぇよ! 褒めて欲しいなら……」
窓から手を突き出し、魔法陣を作り出すテオ。
「──『微風』」
すると、シオンの横に立っていた石像がふわりと宙に浮く。
それはシルフィード伯爵家の創始者をあしらった像だった。
「……この程度は軽く持ち上げてみろや!」
「僕の魔力量で持ち上げられるわけないでしょう! 分かってて言ってますよね!? こんな可愛い弟をイジめて楽しいですか!?」
憤慨するシオンにテオは舌を出して窓を閉めてしまう。
「小兄さまは器まで小さいんだから……そう思いません? 大兄さま?」
「ははは……テオは受験が近いからね。昨日も遅くまで勉強していたみたいだし、今はそっとしておいてあげようよ」
「大兄さまがそう言うならそうします。その代わり新しい魔術を教えてください」
「ようやく一つ覚えたばかりなのに? シオンは本当に魔術が好きなんだね」
「はい! 大好きです!」
シオンは満面の笑みを浮かべて答えた。
「魔術の無限の可能性と、それを実現するために練られた魔術式には美しささえ感じます。もしも魔術が擬人化することがあれば魔術と結婚しますよ、僕は」
「うん。それは貴族的にまずいから止めておこうね」
見事な早口で魔術オタクっぷりを披露するシオンにオズワルドは苦笑する。
思えば昔からシオンは魔術の話をするのが好きだった。
今だって、春休みの帰省中という限られた時間で久しぶりに会った兄にお願いすることが「魔術を教えて欲しい」なのだから筋金入りだ。
オズワルドとしては寂しささえ感じてしまう。
もっとこう、学園での生活について聞かれたり、一緒にキャッチボールしたりと想像していたのだが。
とはいえ、可愛い弟の頼みなら答えてやるのが兄の務め。
「んー……でも、新しい魔術か……危険なものも多いからなぁ……」
それに……と、そこに続く言葉をオズワルドは飲みこんだ。
「? なんです? 大兄さま?」
「……いや、なんでもないよ」
不思議がるシオンにオズワルドは誤魔化した。
とても面と向かって言っていい言葉ではないと判断したからだ。
「『三級魔術師』のシオンに使える魔術は限られるよ」……なんて。
(こんなに魔術が好きな子なのに……神様は残酷だよ)
魔術師は基本的に保有する魔力量によって一から三の等級に区分される。
この魔力量は魔力性質と同じく遺伝する。
そのため、魔術師としての格が求められる貴族は魔力量の多い者同士で婚姻してきた歴史を持つ。
普通は一級。劣っていても二級。三級に分類される貴族など、無価値に等しい。魔力が多ければそれだけ大規模な魔術を行使できる。魔力量の多さこそが魔術師としての強さであり、価値である。
それが現代のグロリアス王国における一般的な価値観だった。
故にこそ、オズワルドは言い淀んだのだが……
「オズワルド兄さま」
「? なんだい? シオン」
そんな彼の内心を、シオンは見抜いていた。
見抜いたうえで、彼は兄を見つめて宣言する。
「僕は必ず、魔術師の頂点……宮廷魔術師になりますよ」
まるで自分の未来を微塵も疑っていないかの如き力強さで。
その物言いにはオズワルドも思わず面食らうしかない。
「シオンはどうして……」
「お話中のところ申し訳ありません」
弟の心中を訪ねようとしたオズワルドの前に、初老の男性が現れる。
シルフィード伯爵家に長年使える執事のセバスであった。
「シオン様。旦那様がお呼びです」
「え? お父様が僕を? 珍しいな、なんだろう?」
「私も用件までは伺っておりませんが、重要な内容かと思われます」
「そうなの? なら急ごうか」
シオンは兄に手を振って別れると、父親の元へ急ぐ。
その背を、オズワルドは見送ることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
シオンの父、ウィリアムは書斎で彼を待っていた。
部屋に入って来たシオンを一瞥、ウィリアムは書類仕事を中断する。
「よく来たなシオン。とりあえずかけなさい」
父に言われるまま書斎の椅子に座ると、対面に腰掛けるウィリアム。
その段階でどこか真面目な雰囲気をシオンは感じていた。
「……オズワルドから魔術を教わったそうだね」
「は、はい。学園の昇級試験は大変だと聞いているので、早いうちから学んでおこうかと思いまして……あ、お父様も見ますか? 僕の魔術。まだそれほど大きな物は持てませんが、正確さにはそこそこ自信が……」
「シオン。魔術を学ぶのはもう止めなさい。学園にも、お前は通わせない」
「…………え?」
シオンは実の父から言われた言葉が信じられなかった。
「お父様、今、なんて……?」
「お前には受け入れがたいことかもしれんが、選択肢はない。これは当主命令だ」
だが、いくら否定しようとしても父の言葉は変わらない。
「──魔術の道に進むのは諦めなさい。シオン」




