第3話:傾国の菓子折
夜遅く帰郷したタナカの目の前に現れたのは、退職直前に接客したスドウ氏だった。彼の目的は一体…?
「やあ、タナカ君。いい夜だな」
そう言って老紳士は、ちょこんと帽子を上げる。
タナカは我が目と耳を疑った。
引っ越し屋のトラックを見送った後、飛行機で1時間半。
そこから地下鉄、在来線と乗り継いでようやく辿り着いた実家の最寄り駅(※無人)で
出会って然るべき人物ではなかった。目の前にいる彼は。
タナカはゆるみきっていた頭を無理やりビジネスモードに切り替えてフル回転させた。
「えー……スドウ様、こちらへはご旅行で?」
別に田んぼ以外何もない場所だけど。すると涼しい顔で男は答える。
「いかにも大旅行だ。しばらくこの辺りに居を構えようと思ってな」
居を構える、というのはとどのつまりは住む、ということだよな?
――悪い予感がタナカの背後でにやつき始めていた。
恐る恐る理由を尋ねる。と、相手はこれまたさらりと答えた。
夜風など全く寒くなさそうにコートの裾をはためかせて。
「もちろん貴殿の住まいが近いからだ」
一番聞きたくなかったやつだ。
別段、タナカはこの男に悪い印象を持っているわけではない。
退職日だったとはいえ、売上に大きく貢献してくれた人物だ。
初心者特有の頓珍漢な質問が多かったが、理解力そのものは低くなく、
前述のように帰郷して幼馴染の店を手伝うとういう、タナカの決心を後押ししてくれた。
――だが、何がどうして俺を追ってこんな田舎に来るというのか。
怖い。怖すぎる。まっとうな理由があってほしい。しかし知ってしまうのも恐ろしい。
「この通り、何もない田舎ですが」
「些末なことだ。君がいるのだからな」
ストーカーか?――いや、それならこんなに堂々と声をかけてくるはずがない。
偶然を装うとかなんとか、そういうやり方を使うはずだ。
「それにしても驚いたぞ。
まさかスマホを売った次の日には、もう姿をくらましているとは」
姿をくらますって。泥棒か夜逃げみたいな言い方をしないでほしい。
「元々あの日が最終出勤でしたので……」
「ふむ、前々から決まっていたというわけか。
我々から逃げたというわけではない、そういうことだな?」
我々。我々と言ったか?
引っかかりを感じつつも、タナカはつとめてゆっくり深く首を縦に振る。
下手に刺激をしてはいけない。何を考えているかわからないからな。
「ならば仕方あるまい。ところでこんな所で立ち話をするのもなんだ。
どこか落ち着いて話せるところはないか?」
駅の外に広がるのはぽつりぽつりと一戸建てが点在する田園風景。
それらを薄暗い街灯が照らすでもなく照らしている。
カフェやファミレスなどという都会的な施設とはまったくもって無縁の場所である。
思い当たる場所は一箇所しかなく――タナカはそっと、ため息をついた。
◆
「ふむ。なかなか立派な屋敷ではないか。のう、クリームパイ」
雑草の生い茂る庭に囲まれた古い平屋建て。それがタナカの実家である。
建付けが悪くなりかけている玄関の扉を開けて中に入ると、
夜中の珍客ことスドウ氏は、お世辞か本気かわからない声色でそう言ったのだった。
「……クリームパイ?」
「何のことだね」
いや、今あんたが言ったんでしょうが――そう返したくなったタナカだが、
長旅の疲労が押し流してしまう。
「空気悪いでしょう。半年くらい帰ってきてないんで」
「全く気にならんよ。しかし他に居住者はおらんのかね?」
タナカが靴を脱いで玄関を上がると、スドウ氏も会釈して続く。
それにしても身軽だな、とタナカは思った。
スドウ氏が持っているものといえば、上着と小ぶりのボストンバッグひとつ。
そしてたった今脱いだ帽子。
本当に移住する気があるのだろうか、とタナカは疑問に思う。
それとも自分と同じく、今どこぞの高速を引っ越し屋のトラックが追ってきているのだろうか。
「祖父母は亡くなりましたし、両親は海外に住んでますので」
「ほう。ということは、この家に貴殿ひとりか」
「ええ。そちらにお掛けください、すぐにお茶淹れます」
畳の部屋に案内し、座布団をひとつ置く。
今夜は冷えるのでホットカーペットの電源も入れておいた。
少し接客しただけの、ストーカーかもしれない男に。
いや泥棒か、殺人を狙っている可能性だってある。
そもそもあの来店が偶然ではなかったのかもしれないのだ。
――なのに俺は何をしてるんだ。
だが、わかっていてもそうせざるを得ない何かがスドウ氏にはあった。
台所へ行くと、半年前に洗っておいた自分のマグカップが逆さに置かれたままだった。
そのマグカップと数年来棚にしまわれっぱなしの客用カップを軽くゆすいで、
使い込んだヤカンの湯が湧くのを待つ。
その数分の間、タナカは思案した。正しくは、思案しようと努めた。
もっと正確に言えば放心していた。
起きていることが、自分の理解の範疇を越えていたからだ。
まさかスマホの使い方を聞きに来たわけでもなかろうし――
そう思ったところで、ヤカンがけたたましく鳴き声を上げた。
◆
「つまらぬものだが、これを」
コーヒーを2つ持って部屋に戻ると、正座をしたスドウ氏が
背筋を伸ばしてタナカに菓子折りを差し出していた。
「これ……傾国ホテルのじゃないですか! いいんですか?」
「泊まっていたホテルのロビーに売られていたものでな。間に合わせで申し訳ない」
「いやいや、祖父が甘い物好きなので喜びます。先に仏壇に上げてもいいですか?」
「ぜひそうしてくれ」
丁寧に押し頂き、襖で繋がった隣の部屋の仏壇に、
この国最高峰と称される『傾国ホテル』の菓子折を持っていく。
線香は後回しにさせてもらうことにして、ひとまずおりんを2回鳴らし、
心の中で唱える。
(じいちゃん、ばあちゃん、ただいま。美味しいお菓子貰ったよ)
そこではっとした。
――待てよ。俺、菓子折ひとつで誤魔化されてないか?
背後にいる男は客だっただけで極めて怪しい、犯罪者かもしれない人物だ。
何故そんな輩を交番にも突き出さずに、挙句家に上げてすらいるのか。
何年も前に成人しておいてこれでは、祖父も祖母も心配して墓から出てくるかもしれない。
そう思ったらいてもたってもいられなくなり、タナカは仏壇を背に声を荒げた。
「おい、あんた!」
「あんた……とは、我輩のことか?」
「そうだよスドウさん、アンタしかいないだろ!?」
「急にどうした? まるで悪魔でも憑いたかのような豹変ぶりだが……」
「……大した財産なんて、この家にはないぞ」
「我輩がそんなに困窮しているように見えていたとは……なかなか難しいな」
何を言っても動揺しない。そんなスドウは、タナカの目により一層奇妙に映る。
「何が目的だ! 事と次第では警察を呼ぶからな」
「目的ならとっくに伝えておいたと思うのだが」
「……は? 聞いてないし」
「そうであったか。たしか言ったつもりだったのだがな……
年寄りの頭というのは、至極当てにならん」
まるで他人事のようにこぼすと、スドウ氏はすっと立ち上がり――
「我輩にスマホの操作を叩きこんでくれ! この通りだ」
傾国ホテルのボーイもかくやというほどきっちりと、頭を下げたのであった。
//4話につづく!
3話お読みいただきありがとうございました!
今回はもう少し先まで書くつもりだったのですが、ややコンパクトになってしまいました。
4話もこれまで通り、来週金曜朝に更新予定です。
また読んでいただけたら幸いです!