第2話:マイファースト・ファーストフード
現代の必需品である『スマホ』を手に入れた魔王城城主・ストロベリーマフィン。
しかし触ってみるとわからないことばかり。
購入時に対応してくれた店員・タナカを頼ってショップに行ってみたのだが……?
「でさー、店長がいい加減その常連客にブチ切れてー」
「出禁!? 出禁!?」
「そこで目輝かせんなっつーの」
ガヤガヤ、ガヤガヤ。
「あ、お世話になっておりますー。ハイ、今ちょっと騒がしい場所におりまして……
ええ、はい、3分……いえ5分後に掛け直しますので。申~し訳ございません」
ガヤガヤガヤ。ガヤ。
「あーもうしくった……既読のまま半日放置だよ? 余計なこと言わなきゃよかった」
「大丈夫だって。あの子のことだし、ゲームで寝落ちかなんかしてんだよ」
「それはそれでひどくない?」
ここはお昼時のファーストフード店。
店内はジューシーな肉と油の匂い、そして雑多な会話に満ちている。
そんな店の奥まった2人掛けの席の片方に、ストロベリーマフィンはいた。
優雅なる悪魔に似つかわしくない、薄っぺらな椅子。
魔物の悪戯かのようにカタカタと揺れるテーブルの上には、紙の味が移ったドリンク。
だがこの店は、今のストロベリーマフィンにとって正解中の正解であった。
じっくりと周囲を確認した彼は意を決したように
自分の鞄から何やら取り出し、向かいの席に置いた。
それは揚げたてほやほやの湯気が立ちそうなパン――もとい
丸々太ったドラゴンのぬいぐるみ――もとい
腹心の部下、クリームパイであった。
「窮屈な思いをさせたな、クリームパイ」
店内には透明なバッグの中に人型のぬいぐるみを連れている者もあれば、
絵の描かれた平たい板と笑顔で記念写真を撮っている者までいる。
誰もひとり、狭いテーブルの上にちょこんと乗せられた
ぬいぐるみに目を向けるものはいなかった。
「ご心配なさらず。むしろ歩かずにすんで楽をさせてもらいました」
「そんなことを言うからお前は……まあいい」
わずか数十年で体型――飽くまで悪魔の時の姿――が
すっかり変わってしまった部下に小言を言いたくなるのを抑え、
ストロベリーマフィンは話題を変える。これが本日一番の重大事だ。
「まさかあの男が店にいないとは……痛恨であった」
やたらと苦いコーヒーで口を湿らせながら、ストロベリーマフィンは眉を寄せる。
「昨日で最後なら、そう言ってほしいですよねぇ」
「……初対面の客にそんなことを報告する義理はないだろう」
口ではそう言っても、ストロベリーマフィンの顔には不満がありありと浮かんでいる。
そこでさらに思い出した。
確かにタナカは『困ったら店に問い合わせろ』とは言っていたが、
『自分が対応する』とは言っていなかったということを。
非常に遠回しだが、自分の不在を前提とした言葉選びだったのである。
「それにしても問題は、他の人間共の使えんことよ」
ストロベリーマフィンは、つい先刻のショップでの出来事を思い返す。
スマホの文字を大きくしたいと言えば大きくしてくれるが、
勝手にいじるだけでやり方を教えないので、いざ戻したくても戻しようがない。
他にも何かしたいと言えば、理由も述べずにアプリとやらを追加させようとする。
思わぬ挙動の原因を尋ねれば、『はい、直しました』で終了である。
一事が万事、『解決すればそれでよし』という姿勢が透けて見えて
ストロベリーマフィンは苛立ちを募らせるのだった。
タナカはそんなことはなかった。
げんに我輩は、タナカに教わった操作は何ひとつ忘れていない。
あの男を呼び戻せ――そんな無茶を言いたくなってしまう。
しかしここは人間の世界、ストロベリーマフィンが怒り喚いたところで
事態は変わらぬ。ストロベリーマフィンはひたすら耐えた。
我輩はスマホを覚えねばならぬのだ、
その先には大いなる目的がそびえ立っているのだ、と。
怒りをおさめようと深く深呼吸をする。
いつの間にかつり上がった目尻を、懸命に下げる。
まだまだ聞きたいことはあるのだ。
そのための最大限の努力をした、直後に事は起きたのだった。
「ところでご家族様はいらっしゃいますか? 現在乗り換えキャンペーン中でして……」
ビキッ、と音がした。
漫画的表現ではなく、物理的なそれである。
ストロベリーマフィンの怒りを察知して、ショップを覆うガラス張りの窓が悲鳴を上げたのだ。
ビキッ。ビキビキビキッ!
空気がささくれ立つ。
「ええええっ!?」
「おい、何が起きたんだ!?」
狼狽するスタッフたちを前に、ストロベリーマフィンはすっくと立ちあがった。
「誠に残念だが、帰らせてもらおう」
ガラス張りの出入り口の扉へと向かうストロベリーマフィンを、店員があわてて止めに入る。
――うかつに動かすと危ない? 誰に言っておる。
「奴らが我輩を避ければいいまでだ」
ストロベリーマフィンが取っ手を押すと、雨のようにガラス片が降る。
陽の光を浴び、乱反射するガラス。
惨劇を見越して目を覆うスタッフたち。
しかしストロベリーマフィンが通り抜けた後には、
血の一滴も見当たらなかった。
後にはガラス片が散るばかり。
ふう、と息を吐いて、ストロベリーマフィンは思考を現実へと引き戻した。
「クリームパイよ。お前が言った通り、昨日すぐに店に戻るべきであったな」
「どうですかね。本当にそうしていたとしたら、
昨日だけで何往復したかわかりませんよ」
確かにな、と頷いていると、クリームパイが
大量生産そのものといった真っ白なテーブルの上で跳ねる。
「そうだ、いいことを思いつきました! 誰かスマホに詳しそうな人間に
魔法をかけて、我々が操作に慣れるまで下僕にしてはどうでしょう」
「いや、魔法は極力使うべきではない」
ストロベリーマフィンは即断する。
人間界には広く魔界のネットワークが敷かれており、
魔力を使うと検知されるようになっている。
その魔力が強ければ強いほど監視の目が届きやすくなり、
ストロベリーマフィンたちが秘密裏に人間界を訪れていることが
明るみに出る危険性が増すということだ。
ストロベリーマフィンは言わずもがな、クリームパイもこれでいて
魔界の貴族であるがゆえ、下僕契約を結ぶとなると、当然網にひっかかりやすくなる。
――この『目的』は、秘密裏に達成されなければならぬ。
「よいか、クリームパイ。魔法はここぞという時にのみ使うのだ」
「……は。肝に銘じます」
一礼しようとしたクリームパイは、ふわふわの毛並みが滑り、
テーブルの端からころりと落ちてしまった。
◆
稲刈りを終えた田んぼが車窓をゆっくりと遠ざかっていく。
そして近づいてくるのは、やはり田んぼだ。
田んぼ、田んぼ、田んぼ。たまにぽつりと家。
遠くにかすむ山――は、暮れゆくにしたがって空と一体化していく。
タナカは今、実家に向かう電車に揺られている。
最寄り駅は一日に数本の各駅停車が止まるだけの、無人駅だ。
チカチカと画面が光を発していることに気づいて、
タナカは窓枠に置いたスマホを手に取った。
ナカムラからのメッセージだ。もうすぐ着く頃か、と尋ねている。
一時間くらいかかるかな、と返事をすると、
暗いだろうし車を出そうか、とすぐに戻ってくる。
『いいよ。明日の仕込みとかあるだろ。職人さんの手伝い優先してやって』
了解、とお互い中学生の頃に爆ハマりしていた漫画キャラのスタンプ。
そして今度は文章で、こう続いた。
『でかい決断だったと思う。でも後悔させないから。
あの時手伝ってよかったって、お前に思ってもらえるような
カッコいい店にするからさ』
『うん』
『ほんと、ありがとな。頼りにしてる』
最後にまた笑顔のスタンプが送られてきて、会話は終了した。
ナカムラは小学生の頃からの友人で、
帰省する度に顔を合わせる、いわゆる幼馴染兼親友というやつだ。
その彼が地元でパン屋を始めると連絡してきたのは、
2年前だったか3年前だったか。
ちょうどその頃、世間は未知なる感染症に翻弄されていて、
世の中には立ち行かなくなった経営者があふれていた。
そしてこんなド田舎も例外ではなかった。
ナカムラは売りに出た店舗を買い取って、夢だったパン屋を始めると言ってきた。
その時の俺はというと、まず誰もが抱いたであろうと同じ感想を抱いたのだった。
――『何も、今じゃなくても』
――『もう少し落ち着くまで待ったら』
何度かメッセージを送ろうとした。でも結局送れなかった。
なんか違う、そう思ったからだ。ナカムラは俺に連絡してきたんだ。
周囲から言われ尽くされてるはずの言葉を、わざわざ俺から聞きたいだろうか?
あえて厳しいことを言うのが友情、という考えもあるだろう。
それでも俺は、言えなかった。
会ってちゃんと話を聞いてからじゃないと、無責任なことは言えないと。
3日間、さんざん考えて返事をした。
『へえ』
ナカムラからは即、爆笑している漫画のスタンプが返ってきた。
◆
『次は~、ァ、イトシキ~ィ。イトォ~シキ~ィ』
車内アナウンスで、一風変わった駅名が、
まるで土俵入りする力士の名のように引き延ばしてアナウンスされる。
スマホをポケットに突っ込みながら、タナカは立ち上がった。
その時ふと、昨日最後に契約を取った客の顔が頭に浮かんでくる。
「スマホとやらは随分と種類があるのだな。選びきれん」
「初心者向けの機種などもございますが……」
「どうせ使える機能が少ないのであろう」
「仰る通りです」
「では、君と同じものをもらおう」
そう言ってタナカの使っている機種の最新バージョン、
しかもメモリが最多積載の高級モデルを選んだ、あのお客様。
業界でも評判のいい機種だから悪い買い物ではないと思うけど、
本人が使いこなせるかどうかは甚だ疑問だ。
でもまあ、最後は本当に満足そうに帰られていたし、
期待に応えられたのは間違いないだろう。
そう思ったタナカの胸には、確かに『喜び』という感情があった。
ナカムラから起業に誘われて、すぐに了承したわけじゃない。
俺は職人じゃないし、いち店舗スタッフであって、店長だったこともない。
何かの役に立てるなんて、想像つかなかった。
素直にそのことをナカムラに伝えると、彼は言った。
「昔からお前がいれば、なんとかなってたじゃん」
そんな理由かよ。俺はお前のお守りかなんかか。
するとナカムラは屈託なく「そう、そんな感じ」とか言う。
とにかく俺がいればうまくいくと思っている。
そんな期待されたって困る。俺はこの話題を避けに避けた。
そんな空気を察したのか、ナカムラもあまり強く誘ってこなくなった。
――と思っていたら。
今年の春になって、「かなり準備が進んだから、そろそろ合流してよ」と。
諦めていなかったのだ。今度こそ俺が折れる番だった。
そんなこんなで店に事情を話し、時期を相談して引継ぎなんかして、
迎えた最終勤務日が昨日。正直迷いはまだ消えていなかった。
そんな時に現われたのが、あの気難しそうな客だった。
誰かの期待に応えられるってのは、意外と悪い気はしない。
そして何も持ってない自分に期待してくれる奇特な親友。
だったら応えてみせようじゃないか。
タナカはそんなことを思っていた。
列車のドアが開く。
暗いホームに降りるのは当然、俺だけだ。
無人の改札だけが薄暗い光を放っている。
無防備な箱に切符をひらりと落として、通り過ぎる。
あとはタクシーを呼ぼうか、それとも歩こうか。
いやその前に缶コーヒーで一服――と、小銭を取り出したまま、動きが止まる。
無人のはずのホームから、足音が聞こえてきた気がしたからだ。
コツ、コツ、コツ……
闇の中を近づいてくる音がする。
もう一人ここで降りた乗客がいたのか? 気づかなかったな。
だとしたらこの辺の人だろうから、挨拶しとかないと。
そう思って振り向いた俺。
そのまま硬直した俺。
100円玉を落としそうになる――俺。
「やあ、タナカ君。いい夜だな」
見上げるほどの高身長の老紳士。
それは昨日、タナカが接客したばかりのスマホ初心者――スドウ氏、その人だった。
//3話につづく!
2話まで読んでいただきありがとうございます!
ストロベリーマフィンたちの珍道中はこれからが本番です。
ぜひ、続きもお楽しみください。
次回も金曜更新予定です!