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短編

厳冬の朝に倒れた男

作者: 咸深

 岩手の冬はとても寒い。厳冬という表現がよく合うと思っている。

 そんな朝に目が覚めると、床に転がしていたはずの友人、「那岐カズ@ナギサ推し」がいなかった。

 三島裕樹、そしてSNSで「波羅桐金閣」を名乗る俺は、この遠方から来た(はずの)友人を―――今の子供たちの間ではやってはいけないとか言われている、SNSで知り合ったひとに着いて行ったり泊まりに行ったりはしないでね、というやつ―――、一晩泊めたのだと。


 ハンドルネーム「那岐カズ@ナギサ推し」―――面倒だ、以下カズと呼ぶが―――とはかれこれ十年近くネット上の友人でいた。彼のハンネにあるナギサとは、那岐ナギサという、彼が最近ハマっているゲームの最推しキャラらしい。推しの苗字を自身に名付けるのはオタクの習性である。その子を一度見せられたが、イメージと違ってふわふわした可愛らしい少女だった。

 俺はと言えば何のひねりもなく、名前がよく似ていた三島由紀夫からである。カズのような名前にできないことを悔やんだ日もあったが、今はもう関係ない事だ。

 この男とはSNS上で知り合い、妙にウマが合うことに互いに気付いてからはよくつるんでいた。某大規模同人即売会にも毎回一緒に行っていたし、何なら幾度か各地に日帰り旅行に行ったこともある仲だ。そして今回突然、今から俺の住む岩手に行くと言い出し、実際に来た。なんということだろう、ホテルも旅館も予約せず、だ。

 当然のように俺は此奴に呼び出され(曰く自分が呼び出したら来ると思っていたらしい)、どうやって見つけたか俺がたまに行く居酒屋に入って深酒をして管を捲かれ(曰く上司がクソすぎてその薄い頭に辞表を叩きつけてきたという)、その後店を出てすぐぶっ倒れたのだ(曰くあっはっはたーのしーだそうだ)。全く迷惑千万である。


 居酒屋があってもここは紛うことなき田舎駅で、周辺に宿泊施設というものなどない。至極迷惑なこの男だったが、仕事の重圧から解放されればこんなものなのだろうか。あるいはフットワークの軽いオタク特有の現象なのかもしれない。

 くるくると楽しそうに回る酷い酔っ払いの姿を目で追いつつ、過去の出来事を思い出した。

 恥ずかしながら俺も、かつて若気の至りでこいつに介抱されたこともある…あれは二十歳になったばかりで、即売会後の打ち上げで調子に乗って酒を飲んだときのことだった。ここまで酷くはなかったはずだが、当時世話になったことを思い出して自分の部屋へと連れ帰ることにしたのだ。断じてお持ち帰りではない。

 普段は使わない床暖房を入れ、エアコンを入れて、寝袋にぐったりとしたカズを押し込んだ。はたから見れば完全に死体の隠蔽を謀ろうとしているように見えると思い、少し笑った。

 ともあれこの友人を適当に転がし、俺も布団に入ったというのが、昨夜の記憶だ。

 部屋を見渡すが、当然大の大人の男の姿はない。


(…寝袋はある。トイレか。)


 玄関、勝手と部屋を仕切る戸をゆっくりと開いた先に、そのシーンが妙に有名なやられ役のような姿勢で倒れている男が一人。

 平均身長、痩せ身で少し禿げてきているのを気にしていた男、カズだとすぐにわかった。俺は恐る恐るカズに近づき、手を触る。

 ―――冷たい。

 自分の背筋に冷たい汗が流れ始めたのを感じた。恐る恐るカズの右手首で脈を測る。

 ―――――――脈が止まっていた。ピクリとも動かない。

 背中だけでなく、全身から冷たい汗が噴き出た。

 カズの手首をゆっくりと離して、汗をぬぐう。


(―――…え、死んだ?)


 すぐに出てきた発想とは裏腹に、非現実的な思考は俺のその後の思考や行動を縛るのに十分だった。


「そ、そうだ、こいつの家族に連絡…!」


 カズのスマホを探し出して、電源を入れる。掛かっていたロックはカズの指を借りて開けた。やっていることはなんとかいう犯罪になるだろうが、誰にもばれなければ犯罪にはならない。


「……ええと、例のお手軽連絡アプリは…こいつ、ここもカズで通してるのか。どれが家族だ?」


 登録者数は十数人くらい。一通りの会話履歴を見たが、家族らしい相手が入っていなかった。

 SNSも開いてみたが、どこに住んでいるとか、出身が何県とか、そういう情報は一切ない。


「クソっ、リテラシーの高い奴め…!」


 ネットを通じた犯罪がどうだこうだと言われる現代では大変良いことではあったが、今回に限ってはとても悪いことだ。住んでいる場所さえわかれば、そこに送り届けられたのに。

 電話帳で電話番号も探してみたが、なんと驚くことに一件も電話はおろかメールアドレスも登録されていないのである。


(今の世の中、メールも電話もあんまり使わないからなあ…。こういうところだけ流行に乗りやがる。)


 カズの財布を漁って、名刺や社員証や保険証が無いか確認した。しかし現金の他には大型店のポイントカードが数枚あるだけで、身元のわかりそうなものはない。まさかクレジットカードも無いとは思わなかった。


(…子供かっ!)


 妙なツッコミと怒りで少し状況を忘れたことが良かったのか、一旦落ち着いた俺は部屋のパソコンを立ち上げた。


「…なんて言うんだっけ、こういうの。

 確か小説で見たな。……旅行先で死ぬやつ…旅先……死亡者、とかだったか。」


 まだ震える手でキーボードを打ち、検索する。行旅死亡人こうりょしぼうにんというらしい。行旅中に死亡し、引き取り手が存在しない死者を指す言葉だという。

 こういう場合、行旅人が死亡した場合は所在地の市町村が救護するだとか法律で決まっているらしい。どうやら自治体=市に引き渡しすればいいようだった。何をどこに届け出ればいいのかが中々たどり着けないでいたから、この文章を見たときは安堵した。


(役所か。ここからは遠いな。いや、そもそも引き渡しってどうやればいいんだ…?)


 間の悪いことに今日は土曜日で、こんな田舎の役所は誰もいない。駄目元で電話してみたが、やはり応答はなかった。


「……え?」


 今日明日、この死体と一緒に寝なきゃいけないの?と思った。いくら知り合いとはいえ、まさか死体と生活しなければならないのか。


(いやいや、まさかそんな。……そんなことあるのか。)


 最早俺の思考はめちゃくちゃで、まともに思考できていないことだけは理解できていた。

 浅い呼吸が更に浅くなり、止まりそうになる。


「うっうーーーーっ…おえっエッーーーーーー…」

「わああああああーーーーーーーーーーーー!」


 突然の奇声と、水音。一瞬遅れて自分の情けない悲鳴。正体がまったくわからないまま思わず飛び退いて、後ろの壁に盛大に頭を打ち付けた。


「ゲボッゔっ…うえーっ」


 謎の奇声や音の正体がわからない恐怖に心を潰されそうになりながら、その正体を見るべく戸を開ける。

 まず鼻についた異臭。死体が腐るのはこんなにも早いのかと愕然とした。

 そしてその異臭は酒臭い。廊下にぬらぬらとしたものが見え、廊下の電気を点ける。どろどろとした消化物が大量に撒き散らされていた。

 ―――吐瀉物。ゲロ。嘔吐物。その中でうずくまっている男、カズ。

 俺は二度目の悲鳴を上げた。


(!!!??????????)


 元々混乱状態だった俺の頭は突然の情報量を受け止めることができず、身体ごと停止した。


「あ゛―――――…うー…」


 ゲロの中から男が緩慢に立ち上がる。その動作はまさに映画やゲームで親の顔よりよく見たゾンビのそれだ。虚ろな目線が彷徨い、俺を捉えた。


「ヒイっ…」


 思考が追い付かないまま逃げようとして足がもつれ、床に倒れる。

 ゾンビは荒い呼吸と気持ち悪い声を挙げながら、俺を見て不思議そうな顔をして小首を傾げた。まったくかわいくない。理解できぬ。妙な可笑しさと死体が動く恐怖で、もはや何が起こっているかもわからず、呼吸もまともにできないでいた。


「……あれ、金閣?なんで俺の部屋にいるの?」

「キェァァァアアアーーーー!シャベッタァァァ!」

「わあ、なんだいきなり!ハンバーガーでも食べたいのか?」


 ぬらりとした液を口の端から垂らしながら、カズは廊下を見渡す。ようやく違和感に気付いたらしい。


「……ここ、どこ?」


 ―――

 結論から言おう。

 カズは生きていた。冷たかったのは廊下で寝ていたから、末端の温度が低くなっただけ。脈が無かったのは変な体制で寝ていたせいで右腕の血流が止まっていたせいだった。名刺や保険証が無かったのは単に仕事を辞めたから財布から抜いただけ。クレカは自宅にあり、財布に入れていないだけ。連絡先が少ないのは別にもう一台スマホがあるからだという。

 まったくもって人騒がせである。

 ともあれ同志が死んでいなくて心底安堵したが、それはそれ、ゲロはゲロ。未だに戸惑うカズにすべての寝ゲロを片付けさせ、コンビニで消毒液を購入させて床にばらまき、俺の気が済むまで清掃させた。アルコール臭が酷くなったが、これで食中毒は安心である。


 全てが終わった後、カズは土下座しながら只管謝罪した。下手な言い訳もせず、「俺は悪い子」と唱えながらひたすら頭を打ち付けて謝る姿だけは認めてやってもいいと思った。結局カズは俺の部屋を出禁になり、旅先での深酒を禁止になり、ついでに冬の旅行も禁止になった。もっとも禁止になったというのは俺とカズの間だけの取り決めであり、カズがこれを守るかまでは知らない。

 こんな下らない死に方をした行旅死亡人の相手などしていられないのだ。


「…すまん、動いたら腹減ったんだけどさ、コンビニで買ってきていい?」

「また吐く気か?」

「…本当に申し訳ない。」


 最終的な決着として、次回の某大規模同人即売会で俺が好きな壁サークルの列に並んでいる間、ひたすら俺の欲しい本を購入しに行くという約束を取り付けた。全てカズの自腹である。持つべきはやはり理解のあるパシ―――否、友である。

 …駅へ送り、帰りの切符を購入するところで残金が足りなくなっていたが、駅員さんに貸してもらったようでカズは帰って行った。


(酷い一日だった…。)


 少し買い物をして、アパートへと帰る。まだ昼だというのに酷く疲れた。

 駐車場に車を停め、部屋へ戻ろうとしたとき、アパートの前には世話になっている大家とお巡りさんが二人立っていた。


「あ、すみません、通りますね。」

「あ、三島くん!大丈夫!?」

「え、俺?」

「ここに住んでいる方?酷い異臭がしたと通報がありましてね…

 大家さんに来ていただいていたんですよ。…今はとてもアルコール臭い。少しお話を伺っても?」


 顔から火を噴きながら腹を切ってやろうかと本気で思った。


旅先で死なないように十分気を付けましょう。(目逸らし)


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