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全力逃走聖女

作者: 高瀬あずみ

冒頭だけ書いて放置していたものです。書き出したのが夏だったので季節が合いません。



「逃げなきゃ」


 鎧戸の降ろされた窓の隙間から差す月光だけが光源という暗い部屋。寝台から身体を跳ねるように起こすと、うるさいくらいに鼓動ばかりが速まって、焦りに汗が額から滲んで落ちる。

 晩夏の深夜。寝静まった街。遠く犬が吠えていた。


「でもまず深呼吸」

 逃げなきゃ、急がなきゃ、でも焦ってはいけない。

 何度か深呼吸を繰り返して少しずつ落ち着いた鼓動。残暑に沈む部屋の中で血の気の引いた私の身体は冷たく震えていた。無意識に握り締めていた掌を開いて、爪痕があるであろうその掌で頬を叩く。

「よしっ」

 何も良くはないけれど自分に活を入れて、朝のために用意していた桶のぬるい水で顔を洗う。

 生活魔法のライトを呼び出して、ぼんやり照らされる自室のチェストを確かめる。蝋燭の方が明るいけれど、鎧戸から光が漏れるのを避けたいから。

 寝巻を脱ぎ捨てて作業用にしている丈夫なシャツとスカートを身に着ける。下着と靴下の替えを三組と手拭いを三本、背負袋に詰め込み、踵が低くて履きなれた短靴に足を突っ込んで、震える指で紐を編み上げていく。しっかりと足首が守られるよう。足元こそ逃亡において一番大事だから。

 最後にフード付きのローブを纏って仕度を終えた私は、長く過ごした自室を一瞥する。大事な物は全部置いていく。持っていく物を選ぶ時間も惜しいから。


 なるべく音を立てないように扉を閉め階段を降りて居間に入る。日中は家族の誰かがいて賑やかなそこも、無人で闇に沈んだ今は別の知らない部屋のようだ。

 目指す場所をライトで照らして小さな額に手を伸ばす。額は隠し棚の扉になっており、そこには水筒と保存食、いくばくかの路銀を入れた巾着が仕舞ってあるのを知っていた。こんな時のために。もしかしたら不要なままで終わるかもしれないけれど、代々用意してきたこれらをまさか私が使うことになるなんて。棚の中身を巾着以外背負袋に収納し、巾着の紐を首から下げて本体はブラウスの下に仕舞った。

 これでもう家ですることはない。家族を起こして別れの挨拶をすることはできない。家族は朝、私の不在と額裏を見れば事態を把握するはず。上手くいけば今日中に合流できるはずだ。

 裏口から無言のまま家を出て、掛けた鍵は小窓の隙間に押し込んで落とす。生まれてから今日まで暮らした家に一礼して、私は路地の暗がりへと踏み込んだ。




 街を囲む石塀。四方に開いた門以外から街の外には出られないと誰もが思っているだろう。だが街の子供たちに代々伝えられる抜け穴は、商家の厩の裏手にある。いくつか石が外れるようになっているのだ。但し、大人には通れないほど幅が狭い。小柄な女の私でギリギリと見た。

 人目がないのを幸いと、ローブを脱いで背負袋と共に先に押し出す。少しお尻がきつかったけれど何とか向こう側に出てから石を戻してはめ、改めてローブと背負い袋を身に着けて夜闇に染まる先を見据えた。

「行こう」

 自分に語り掛けて決意を促す。足元だけを照らすよう小さく灯したライトの魔法に導かれるように、私は足早に進む。目指すは国境。目指すは隣国。決して走らない。下手に走って転ぶとか時間の無駄だ。けれどなるべく急いで。朝が来るまでが勝負だから。



 私がずっと住んでいた街は、隣国との国境に一番近い。元は交易の中継地点として発達した地方都市。父の代から移り住んだ街は、程よく田舎で程よく都会。昔は国の中央部に位置する王都で一族は暮らしていたが、代々じわりじわりと王都から離れていった。決して不自然に見えないよう。いつの日か血族全員がこの国から怪しまれず出国できるよう。後継となる子供は男女問わずひとりだけ。血族の血を広げぬよう言い含められて育つ。いつの日にか宿願を果たすべく。

 もうあと少しだったのに。一家でキャラバンに加わって各国を巡る手筈もつけていたのに。






 壁沿いに回り込んだ街の門はしっかりと閉ざされ、人気もない。見張りに門外に出ている兵がいないことに安堵する。いささか平和に慣れすぎではないだろうか。

 門から国境へは立派な一本道が伸びている。道の両側は荒れ地のまま。これはわざとらしい。隣国との間がきな臭くなったら、真っ先に戦場になる場所だから。

 と言っても、この百年その気配もない。隣国は近隣にない方法で自衛しており、うちの国から攻めようがないし、あちらはうちの国を攻める意思はないからだ。その状態が長く続いていれば、兵や住民とて警戒心などなくなってしまう。おかげで私の育った街は比較的のんびりとしていた。


 一本道はよく整備されていて歩きやすい。わざわざ夜に道なき荒野を歩くなど時間の無駄だから、遠慮なく私は道を使う。月光とライトの魔法だけでも道は見やすく、私は夜明け前までに国境に着いた。

 隣国と我が国を隔てるのは川だ。さして大きな川ではないが、それなりに水深はあり、泳いで渡るのは危険すぎる。二国を繋ぐのは橋。手前に自国の、橋の向こうに隣国の国境門がある。どちらも今はまだ寝静まっており、門は固く閉ざされている。

 例え、特殊な力で川越えできるとしても、国境門以外から隣国にはいることはできない。隣国は国全体を強固な結界で覆っているから。

 門の周囲には誰もいない。国境門が開いているのは夜明けから日没までと決まっている。どちらの国も国境から少し離れただけの場所に街があるから、どんなに急いでいても旅人は街で夜を過ごすのが普通だ。私のように徒歩でなければもっと時間は短縮できる。

 私は門の前に座り込んで水を飲み、夜明けまでの僅かな時間を無言のまま過ごした。眠気などもうどこにも残っていない。焦ったところで国境を川を越えられるわけではないから、夜明け前の一番暗い暁闇の中、祈るように時が過ぎるのをじりじりと待つしかなかった。



 明けないのではと疑うほど、焦る心に報いるように夜明けが訪れると同時に、音を立てて門がゆっくりと開いていく。国境門は分厚い石積みの砦の中だ。内に兵舎があるらしく、開門と同時に二人ずつの兵士が槍を持って内と外を守るように立った。

 兵士のひとりが、もう門前にいた私を見つけて声をかけてくる。

「随分と早くから待っていたんだな」

 唾を飲み込んで、何度も練習した言い訳を口にした。家族間で取り決めていた通りに。

「急いでるの。ゴノイの街に住んでるお祖母ちゃんの具合が悪いって連絡されたから」

 さり気なく、首から下げていた身分札を提示する。

 国境に近い場所であれば国が違っても親族が分かれて暮らしている例は少なくない。ましてや二国は元は同じ国であったから、民族も同じだ。

「名前はアニエラで、年齢は十五歳、と。ギェレク在住で家業は商家か」

「うん。父さんたちは店があるから、私だけでも先に行けって」

「しかし若い娘っ子をひとりで夜に移動させるなんて」

「ここだけの話、おばあちゃん、結構小金持ちらしくて。他の親戚より先に着くようにって。一本道だし、逆に夜は誰も通らないから安全だろうって言われた」

「その通りだが、なんか世知辛いなあ。じゃ、通行料を貰うぞ」

「はい、銀貨一枚ね」

「通ってよし」

「おばあちゃんが心配なのは本当だからね!」

「ああ、分かった。早く顔見せに行ってやんな」





 門を過ぎて川の上の広い橋へと足を踏み出した時に、それは起こった。


《アニエラ、わたくしの愛娘。それ以上進んではなりません。わたくしの加護が届かなくなります》


 それは、私が受け取った二度目の女神からの声だった。



 日付が変わろうとする真夜中、そう私が眠っていた数刻前。私は女神からの啓示を受けた。

 この国の主神である女神は、五十年毎に聖女を選ぶ。選ばれるのは十代の娘。女神の愛し子と呼ばれ、聖なる力で国を守り富ます存在になる。そう、今代の聖女に私は選ばれてしまった。

 啓示を受けた私の最初の感想は「やっぱり」だった。

 普通の娘ならば大喜びする案件だ。身分上は国王よりも上になり、神殿に迎えられて王族に嫁す。最高の名誉と贅沢な暮らしが約束されているのだから。

 けれど私は今まさに国境を越えようとしている。聖女の役割を放棄するために。

「女神様。私は聖女にはなりません」


《アニエラ、わたくしの愛娘。今、この国でわたくしの愛娘となれるのはあなただけです》

「私は、それを望みません。どうぞ他の方に。いえ、できるならばもう、誰も選ばないでください」

《それはできません。建国の際、王との契約がなされました。国が亡ぶまで五十年毎に愛娘を選び加護を与えると》

「女神様。ルチナとカシアを覚えておいでですか」

《それはかつてのわたくしの愛し子ですね》

「はい。かつての、私の先祖の血族です」


 五十年毎にひとり、女神より選ばれる聖女。既に建国より八百年を超える私の国。聖女の数もそれなりにはなる。元の身分に関係なく選ばれるが、女神にもどうやら好みというものがあるらしく。特定の血族から何度も選ばれることがある。私の一族もそのひとつ。ルチナ、カシア、そして私アニエラ。

 うちはずっと平民で、農家の小作人だった先祖が家を飛び出して商いを始め、それからは代々、商人の家系だ。そんな普通の家系に既に二人選ばれていたため、三人目もあるのではと予想されていた。王家と神殿は取り込むために。一族は逃げるために。


「女神様。私たちの一族は決して女神様への信仰を捨てたわけではありません。私たちが捨てたのは王家と神殿への信頼です」


 どれほど清冽な水でも濁るように。安寧が約束されていれば尚更に。国守である聖女を守るべき王家と神殿の上部が腐敗していくのは、必然というものなのかもしれない。とはいえ、ただの平民には知る由もない天上のこと。正しくあるのに違いないと信じるばかりで日々を送るものだ。

 始まりは、きっと正しくあったのだろう。けれどいつからか、聖女に選ばれた娘は、もう二度と生家に戻ることはなくなった。連絡も面会も許されない。至上の存在になったからだと説明され、俗世から隔離されてしまう。身分は国王よりも上になるが、貴族の出身であろうと庶民の出身であろうと小娘には違いなく、生家から切り離されれば無力な存在でしかない。聖女が力を振るわなければ民が死ぬ。そうと知って祈りを拒めるような娘は選ばれない。王族と神殿の思惑に踊らされて。自由もなく能力だけ絞り取られて。王族の産み腹にされて終わるのだ。

 普通であれば一介の平民が知るはずのないこと。けれど私の一族はどうやら代々、感応力が強いらしく、ルチナの時も、カシアの時も、血族全員が彼女たちの悲痛な心の叫びを受け取ってしまった。そして彼女たちの置かれた状況を知ってしまった。ただの商人に王家や神殿上部に逆らえるはずがない。助けることもできない。国のためだ、たったひとりの犠牲で済むのならと、関係がなければ思うかもしれないが、彼女たちが死ぬまでその嘆きを受け取り続けた一族に許せるはずもなく。

 だから、逃げることにした。ひっそりと息を潜めて目立たぬように一族は名も変え、店も故郷も捨て、少しずつ王都を離れ、国境を越えて行った。あとは、そう、うちの家族だけだったのだ。母は元々身体が弱く、わたしも幼い頃は病弱だった。そのため、自然に怪しまれぬよう動けず、最後になったのが裏目に出た。


「女神様。現状、聖女は王族と神殿に搾取される生贄です。ルチナもカシアも幸せではありませんでした。彼女たちの嘆きは女神様に届きませんでしたか? 血族には届きました。私たちには世俗の権力に逆らう術はありません。ただの道具にされると分かっていて、聖女になりたいと、どうして思えるでしょう?

 私を愛し子と思っていただけるのでしたら、どうかこのまま逃がしてください」


 聖女選定の託宣は真夜中、日付の変わる頃に下される。現聖女と新聖女に。現聖女不在の場合は大神殿の奥にある神像より告げられることになるが、今回は五十年務めた聖女がいる。聖女は真夜中に託宣を受けるが、それを他者に告げるのは夜が明けてから。そこから大神官へ王族へと伝えられ、新聖女の所在に一番近い神殿に迎えが命じられる。最速でおそらく昼には迎えが来るだろう。だからこそ急いだ。隠し棚のあった額は外してきたから、きっと両親も今頃出立の用意をしているはず。「その時が来れば全部捨てて逃げろ」と代々伝えられてきた。あの街から国境まで、馬を飛ばせば四半刻もかからない。


《アニエラ、わたくしの愛しい子。あなたは、わたくしの加護を捨て、国を捨てるのですね》

「これが不敬で大罪であることは承知しています。私はきっと、この国に住む人に一生負い目を持つでしょう。でも、どれほど誹られても。私は私の幸せを諦めたくないんです。それに」

 私は光にしか見えない女神という存在から目を逸らさずに言い切った。

「聖女がいなくても人は生きていけます」


 在任期間は五十年。それは人の一生からすればあまりに長い。ほとんどの聖女が五十年を待たずに死出の旅に出る。病や怪我が元でなくなることもあるだろう。ルチナは五年、カシアに至っては一年も経たぬうちに自害したという。つまり、存外、聖女の不在期間というのは長いのが常なのだ。聖女の不在時に国は軍備を整えて対処してきた。今回はその対処期間が丸々五十年というだけのこと。きちんと務めを果たす聖女がいても、誰も死なないというわけでもない。聖女を当てにして削ろうとしていた予算が浮かなくて一部の人間は悔しがるだろうけれど。


《アニエラ、わたくしの愛しいアニエラ。あなたをわたくしは止めることがもうできません。そして届かぬとも、わたくしの加護はあなたの上に。あなたが幸せでありますように》


 啓示の光が薄れ、消えていった。その余韻を振り切るように橋の上を走って、加護を感じなくなる。国境を越えたのだ。

「ごめんなさい。ありがとう女神様」


 隣国への門も無事に通り抜け、目指すは国境近くのゴノイの街。そこには本当に祖母がいる。実際はとても元気な。

 さあ、これから自分と家族の幸せを掴みにいこう。



裏設定。

アニエラが逃げ出した隣国が、『ドアマットヒロインなぞやっている暇はございません』の舞台の国になります。聖女だったカシアと引き裂かれた恋人が、聖女のいらないシステムを作りたいと、魔石に魔力を込めて使用する方法を生み出しまして。王家と対立していた辺境貴族がそれを取り込んで独立した国です。

それを知って、アニエラの先祖たちは隣国へと徐々に逃げ出しています。感応力の強さから分かるように、魔力を結構持っていた一族なので、そちらで下位ですが貴族に叙されていたりします。


五十年毎の聖女に選ばれないよう、その時期は特に女の子が生まれれば優先的に幼い頃に出国させる手筈を代々していたのですが、アニエラの母親の親族の反対などもあり、ずるずると動けずにいました。


歴代の聖女のうち、心を病んでしまった者もおり、そうなると聖女の力は使えません。

聖女は王族に嫁がされ、相手の正妻扱いになりますが実権はなく、生まれた子供とも引き離されます。聖女の産んだ子供には若干ですが加護があるため、王族が取り込むことにしました。

今代の聖女が任期満了までたどり着けたのは、彼女が有力高位貴族の娘だったので、実家の圧があったので扱いが悪くなかったこと、託宣を受けたのが十歳で環境に馴染んでしまったこと、宛がわれた王家の相手がたまたま元々の婚約者で拒否感がなかったこと、などとかなり運のよいケースでした。籠の鳥には違いないですけれど。


女神にとって五十年もあっという間のことで。女神にとっては愛し子である聖女を選べば、もう次の聖女を選ぶくらいの感覚です。なので聖女たちの嘆きとか届く間もなく終わってしまいます。人の感性や感覚もない存在ですし。アニエラの場合は任命した途端にいなくなりそうという非常事態に驚いて二回目の接触をしました。この女神はこの国の土地神なので他国では力を持ちません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編ありがとうございます [一言] こういった視点からの短編には なかなか出逢うことができません 正直、聖女モノには結構悶々としていました ヤッパリ聖女も平民出身だと 神殿と貴族の都合の…
[良い点] 面白かったです。逃げ出すシーンから始まり、何から逃げているのか分からないまま、国のあちこちに緩みやガタが来ている描写が入り、国境でまさかの相手が判明する。センスオブワンダーを感じました。 …
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