4話 帰らないでほしいな。
放課後に始めたこともあり、撮影が終わった時点で、窓の外はもう暗くなっていた。
動画を撮影していると、準備やら片付けやらに時間がとられることもあって、あっという間に時間が過ぎる。
『もう待ってるから』
メッセージアプリに届いた通知を確認した俺は、急いで帰り支度をはじめた。
まず髪をぼさぼさに戻し、猫背へと回帰。服もあえてださく着崩して、動画に映っていた「日夜チャンネル・ひなた」の面影を消し去る。
それから脱いだ制服など鞄に荷物を詰めだしていると、クッションに座ったままで細川さんが言う。
せめて足は閉じてほしいのだが、無防備にも投げ出してくれているから、目のやりどころに困った。
「あれ、もう帰るんだ?」
「これから家に梨々子が……幼馴染が来て、晩御飯作ってくれることになってるんだよ。今も、帰宅の催促メールが来たしな」
「……なるほど、日野さんに晩御飯作ってもらうのかぁ」
一音一音、事実を確かめるかのように、美夜は俺の言葉を繰り返す。
それから、ちょっと考え込むように目を瞑ったあと、ぽんぽんと叩いたのはクッションだ。
それはさっきまでの撮影で、俺が座っていたものである。
「ね、もう少しお話していこうよ」
などと、その薄紅のリップを乗せた唇は動くのだ。
……ほんとに、どうしちゃったんだろうか、この展開は。
俺たちの関係は、あくまで動画の伸びを得るためのビジネスの関係だ。
撮影が始まってから終わるまでは、あたかも恋人のように振る舞うけれど、あくまでそれはその限定的状況における話。
終わってしまえば、普段から全然関わり合いにならないクラスメイトの一人でしかない。
前までなら、撮影が終了すれば、あっさり「さようなら」。
むしろ、すぐに帰ってくれとでも言わんばかりの雰囲気を発していたのが、細川美夜だったはずだ。
学校で会話したこともほとんど皆無だ。
「いいじゃん、まだ少しはあるでしょ。ね、そうだ! 私もおなかすいたから、今からごはん食べたい。そこにいてくれるだけでいいから、一緒に食べよ?」
が、それがなんの因果か、今やこう。俺に向かって、手まで合わせて懇願までする。
きゅっと瞑られた目の片方を開けて、俺の方を窺っていた。
「一人で食べるのって、たまーに辛くなるんだよねぇ。今日、そういう日なの」
「だからって俺じゃなくても、ほかの友達誘ったほうが楽しいんじゃないの。細川さんが探したら、すぐに見つかるだと。男でもいいなら……そうだな、赤松とかさ」
赤松が美夜と話したがっているという情報は、今日の帰り道に仕入れたばかり、ほやほやの新情報だ。
はからずも、あの男の願いをかなえる手助けをすることになるのは心外だが、彼ならば間違いなく誘いに乗ってくれる。
多少の用事があっても、それら全部を下心だけで蹴とばして、まるで発情した犬のごとく、舌をはぁはぁ出しながら、走ってやってくるに違いない。
が、しかし。
「えっと、それはなに……? おあいそ? お会計のポーズ?」
「違うよ、見たまんまバツだよ。山名は、なんにも分かってない。私が誘ってるのは、山名だよ。他の誰かじゃ嫌だし、赤松なんて最低中の最低です~」
指で小さくバツを作った彼女は、つっと顎をあげ、目を瞑る。
どうやら少しすねたらしかった。
……なにその可愛いを詰め合わせたみたいな怒り方は。
ビジネスだ、どうのという建前が一瞬にしてすべて忘れ飛んで、どきりとさせられる。
どういうわけか、このモデル顔負けの絶世の美人様はなぜか俺との食事をご所望らしかった。
いや、だが、そんなことがあるはずない。
こうやって他人からの好意を誤解して、痛い目をみてきた間抜けな男どもを俺は何人も知っている。
人からの好意はまず疑ってかかるべきだ。
きっとなにか裏があるはず。そう考えて、ぴんときた俺は、部屋の中をくるりと見回してみる。
「あれか、もしかしてまだカメラ回ってる? そういうドッキリ?」
「どこにも回ってないよ。さっき止めたじゃんか。ほーら、もう諦めて一緒に食べよ? どーせ、私の晩御飯なんてすぐに終わるから」
そう言って、彼女が掲げてみせるのは、俺が道中で買ってきたクッキーシューの袋だ。
真顔で袋を開けようとする彼女に、ビジネスパートナーとして、いや一クラスメイトとしても、さすがに言わざるをえない。
「そんな生活してて大丈夫かよ」
「む。ちょっと幼馴染ちゃんに手料理振る舞ってもらえるいいご身分だからって、言ってくれるじゃんか。そう言う山名だって、いつもは出前ばっかり食べてるじゃん」
「それとこれとは話が別だろうよ。それに、俺が食べてるのは、ローカロリー高たんぱくなんだよ。クッキーシューは主食にならないと思うけど?」
「あ、美夜ちゃんいいこと思いついたかも。山名が私の晩御飯に付き合ってくれるなら、もう少しましなの食べるよ。レトルトの中華丼とかあるし」
ね、どうかな? と彼女は俺のパーカーの裾を掴むと、二度ほど軽く引く。
ここで断ったところで、たぶん美夜は次なる理由を探してきて、どうにか俺を引き留めようとするのは明白だった(理由は不明)。
ならば、ビジネスとはいえ動画投稿の大事なパートナーの健康のためだ。少し付き合うくらいは、やぶさかではない。
俺は、幼馴染である日野梨々子に詫びのメッセージを入れる。すぐに返信があったが、怖いので内容は見ない。
あとでたくさん謝ろうと決めて、ポケットの中で震えるスマホを黙殺する。
「……中華丼じゃ、足りないな。もっとちゃんと野菜も取るなら残ってもいいけど」
「えー、野菜なら中華丼に入ってるじゃん、筍!」
「そういうこと言うなら帰るぞー」
「あー、だめだめ! 分かったよー、野菜ジュースで許してね」
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