自殺報道に不安になる
速報ニュースを見ての書き殴りです。
読みにくいと思います。
相互フォローしている方のツイートで竜ちゃん、死んだなんてショックと見て、上島竜兵(-ω- ?)ってなるも、まさかなって思っていたら、速報ニュースで自殺報道が来て、衝撃を受けました。
岡田斗司夫の切り抜き動画で20代の大学生の女性からの質問に答えている動画があって、その中で質問者さんは以下のような質問をしているんです。
全てを持っている芸能人の自殺の意味がわからない。
芸能人が自殺するなら、これから社会人になる自分は社会を生き抜く自信がない。
この質問に岡田氏は以下のような返答をしていました。
芸能人は自分が成功したのを「運」だと思っている。
同程度のルックス、実力の人間が有象無象といるなかで自分が成功した理由が「運」以上に思い当たらないから、不安になっていく。
今の成功が将来的に続くとも限らないため、占いやスピリチュアルにもはまる。
全てを持っていると思うかもしれないが、芸能人は持っているものを「幻想」だと思っている人もいる。
引用として、松本人志がフリートークでバイトしたい、「本物のお金」が欲しいと言ったエピソード紹介。
これを見たときに、大槻ケンヂが自身のエッセイで鬱になったことや、それを克服したことを書いていたことを思い出しましてね。
どれほどに成功して、羨ましがられる人生を歩んでいても、悩みや苦しみはあるのだなと痛感したんですよね。
易学では最も良い人生とは「何も起こらない」人生だと言うそうで、良いことも悪いこともなく、凪いだ水面のように波立つことなく、一切が平凡に終わる人生が最高だと言うそうです。
成功するほどに高い波があれば、当然として落ちた先は低くなる。不安定でその上を行く船は常に転覆の危険に充ちている。
凪いだ水面を行くのは退屈で刺激が無いけれど、安全で安心できますね。
でも、そんな凪いだ水面を眺めていても、ふと死にたくなるのが人間だったりもしますね。
死を遠ざけ過ぎた事の弊害かもしれません。
人は必ず、いずれは死ぬ、生と死は地続きのものなんです。黄泉比良坂塞ぐ大岩に常世と幽世が隔てられ、死を禁忌として扱うことが、逆に死を引き寄せているように感じます。
人はいずれは死ぬ、だから死を救済だと、生からの逃走だと思うことの無いように、生きるのが辛くとも、何となく死にたくなっても、いつかは絶対に死ぬんだから、それを前借りするんじゃなく、死ぬまでは生き抜ぬいてやるんだって、そう思える環境をつくりたいですね。
難しいです。
私のかつての同級生も自殺しました。
私の知り合いの親族にも自殺した方がいます。
私自身、自殺を考えたことが一度ではなく、あります。
それぞれの考え、生き方、その結論としての自死ですから、尊重すべきとも思います。
だけれど、遺された者たちの勝手な言い分かもしれない。
「相談してほしかった」
ご冥福を真にご祈念致します。
そして、どうか天国で笑顔でいて欲しい。
今、死にたくなっている方へ、相談することが決意を鈍くする。心配されたくない。迷惑をかけたくない。さまざまな思いがあると思いますが、大好きな人にかけられる迷惑ほど嬉しいものはないし、心配なんて、して当たり前、ちょっと会えないだけで心配するのが人間です。
なにより、他者との繋がりを断たねば決意が鈍ると思うなら、それは生きたい証しです。
貴方が死んで悲しむ人にだけ、貴方の思いを伝えてください。貴方を大切にしない人に、貴方の大切な心を割く必要などありませんから。
生きて行きましょう。