8 ダイナーレディの教え
牧野姫子・・・男勝りという表現は良くないかもしれないけど、いわゆる剛腕ジョッキーだった。競馬学校の初年度にバレンタインデーのチョコレートを持ってきたことがあったけど、体を作ってる最中だからと断ってしまったことがあった。あれ以来、口も聞いてくれなかったけど、今思えば申し訳ない。
まあ今はそんな元の世界でのことを考えていても仕方がない。レースのコースを事前に知っておきたい。おそらく他のジョッキーはこれまでイナカノ競馬場で乗った経験は少なからずあるだろうし、当日も何レースかあるので、そこで騎乗するジョッキーが多いはず。元の世界でもメインの前に一度も乗らなかった経験なんてない。
最強のライバルと目されるブラックアローの騎手は前のレースで慣らしてくる可能性が高い。一応、駿馬は愛子に確認してみると「ちょっと待ってくださいね」と出走リストのペースを開け、パソコンの画面をにらみながら「小幡さんはメインの前に3レース騎乗予定になってますね」と返答してきた。ちなみに当日は5レースが予定されており、それぞれにスポンサーが付いている。
「その他のレースは考えなかったんですか?」
「賞金額から1つのレースで金額を満たせるのが『ナンデモ電機ステークス』しかなくて。あと、うちが登録権を持っているのもこのレースだけ。他は登録料が必要になるし、出走数が多ければ抽選になってしまうので、ここだけに絞って探していたの」
「なるほど・・・」
ハヤテオウの騎乗は目を瞑ってもできるが、心配なのはコース未経験であることとレース勘だ。しかし、スマイル牧場の他につてがあるわけではないし、こっちの世界での実績ゼロで、馬の骨とも分からないジョッキーなんて乗せてももらえないだろう。
「愛子さん、コースを確認する方法はありますか?」
「ああ、前日にレースの説明会があって、ジョッキーが競馬場の管理馬を走らせながら下見できるの。その予約はしておきます」
「お願いします!あと1つ気になったんですけど、レースの斤量は・・・」
「あ、言い忘れてた。今回のレースは定量戦なので、年齢は関係なく牡馬は55キロ、牝馬は53キロ・・・」
うっかりという愛子の表情が可愛らしいが、そんなことにデレデレしている場合ではない。
「あの、体重計らせてもらっていいですか?」
「あ、はい」
愛子に案内されるがまま、壁際の古めかしい体重計に乗ると、針は54キロを指した。やっぱり・・・こっちの世界に飛ばされる前より、かなり太っていた。駿馬は愛子から借りたトレーナーを着ており、勝負服とそんなに変わらないが、そこに帽子とゴーグル、ステッキが入る。さらに鞍が1キロ弱・・・やばい。
「これは超えますね」
「ですね」
二人は顔を深刻に顔を見合わせて、お互いプッと吹き出した。レースは3日後。それまで愛子の美味しい食事は我慢するしかない。
『ナンデモ電機ステークス』が行われるイナカノ競馬場はスマイル牧場から自動車で2時間の町中にあった。このエリアでは最も大きな町らしいが、都心に近い競馬場に慣れていた駿馬から見るとローカル感が漂う。
内側がダート、外側が芝というオーソドックスな作りで、芝は一周で1600メートルという。2000メートルで競う『ナンデモ電機ステークス』はホームストレッチの右側からスタートしてぐるっと周回し、最後の直線450メートルでゴールを目指す。
愛子が説明会と枠順の抽選に出ている時間、駿馬はダイナーレディという競馬場の管理馬に騎乗して、ゆっくり周回しながらコースをチェックした。
関係者の話では元RRCの馬で、引退後は繁殖に上がる予定だったが、不受胎続きで先導馬に転向されたとのことだった。馬体の均整が取れて鹿毛が陽光に映える、とても美しい馬だ。
「(おたくはここ初めてなの?」
「(えっ・・・)」
ギョッとして周りを見渡したが、遠く離れた場所で明日のレースに出るらしいジョッキーがいるだけ。まさか、このダイナーレディが話しかけているのか・・・
「(えっと、このコースは初めてだけど)」
「(そうなのね。私と会話できる人間なんて初めて会ったけど、せっかくだから教えてあげるわね)」
「(あ、はい)」
「(一見普通のコースだけど、内側の芝が深くてスピードが出ないのよ。
「(そうなの?)」
試しに内側に寄ってダイナーレディを軽く走らせてみると、なるほどかなり深い。幅にして3メートルぐらいか。確かにここを通ったら相当なロスになる。
「(でもね・・・)」と再びダイナーレディが心に話しかけてくる。
「(向こう側のストレッチは芝が深いところが狭いから、少し内側でもスピードが乗ると思うわ)」
「(なるほど・・・)」
ダイナーレディとともにスタンドの向こう側まで行くと、なるほど内埓から1メートルほどで固い。その外側よりも走りやすそうなぐらいだ。
「(これがイナカノベルト)」
「(イナカノ・・・ベルト・・・?)」
「(そう。でも、ここのコースをよく知っているジョッキーは狙っているから注意しないとね。もし、そこを取れなかった時は・・・)」
「(はい)」
ダイナーレディをゆっくり走らせながら感触を確かめると、イナカノベルトと
「(あのね、少し外にすごく走りやすい箇所があるのよ)」
「(え、そうなの?)」
ダイナーレディは駿馬の指示もなく勝手に少し膨らみ、そこからスピードを上げた。うわっと駿馬が驚いた直後にはダイナーレディが200メートルほど駆け抜けていた。
通常の競馬で言えば5列目ほどに当たる、やや外側のポジション。イナカノベルトよりも、さらに走りやすそうに感じた。ただ、そこから第三コーナーを周る時に一つ間違えると進路妨害か大きなロスになる。
「(あそこのコーナーのところは?」
「(最内よりは外側のほうが少し走りやすいぐらいで、それほど変わらないわね)」
ダイナーレディと心で対話しながら3周ほどしてチェックを終えた。時間にして30分ほどだったが、ダイナーレディのおかげで色々と知ることができた。
「(ありがとう助かったよレディ)」
「(明日はレースの先導をするから、またその時ね♪)」
別れ際に少し振り返りながら、こっちに向かってウィンクしたような気がした。後日、競馬場あてにニンジンでも送ってあげるとしよう。
それにしても・・・最初はハヤテオウが特殊な能力を持ったのかと思っていたが、もしかしたら自分がこの世界で授かった能力なのか。悪くはないな。翌日のレースに向けて、駿馬の気持ちは昂ぶっていた。
まだまだ未熟ですが頑張ります。よければブックマークなどお願いします!