5 新たな不安
翌日の午前に愛子と駿馬、ハヤテオウは馬運車を兼ねるトラックで、最寄りの診療所を目指した。牧場の留守番は
それにしても愛子さんの作った朝ごはんは美味かった。フラワースマイルや家畜の番は愛子の姪っ子というエミが担当した。自転車でスマイル牧場までやって来たエミは中学生ぐらいだろうか。駿馬を見るなり睨み付けて来たが、馬房でハヤテオウを見て態度を豹変させた。
愛子によると、相当な目利きなんだそうだ。セリに連れて行くと、ほぼ例外なくレースで活躍する馬を的中させるが、今のスマイル牧場には素質馬を買うお金がなく、その度にエミを残念がらせてしまっているという。
それにしても・・・最寄りの診療所と言っても1時間は走ってるな。後ろからハヤテオウの「(暇だ〜、まだ着かないのか?)」という心の叫びが聞こえてくる。
出発の時もフラワースマイルと離れるのを嫌がって、馬運車に入れるのも大変だったのだ。「そんなに嫌ならリードを付けるぞ」と言ってようやくおさまってくれた。
独立レースに出ることについても最初はなんで勝手に決めたのかかなり拗ねられた。彼にもNRCトップホースのプライドがある。それに「(俺はお前の所有物jなないぞ)」と主張するように、そもそも駿馬はハヤテオウのオーナーでも調教師でもないのだ。
「(真っ先に相談するべきだったな。悪かった)」と一応謝りはしたのだが、理由を説明したらすぐに分かってくれたし、フラワースマイルにも伝えたようで、スンスンと鼻先を首元に付けられて、人間でいうニヤケ面みたいになっていた。
犬とか猫は飼い主に似るみたいなことを言われるが、少なくとも異性に対する積極性は似ても似つかない。まあ、あくまで主戦ジョッキーであって、飼い主ではないのだけれど。
「診療所はもうすぐです・・・あの白い建物」
道路の脇に数件軒を連ねた真ん中あたりにその建物はあった。この一帯にどれだけ競走馬を扱っているファームがあるのか知らないけど、なんとも頼りない感じだな。『マカベ医院』という看板がかかった建物の手前にある駐車スペースに、愛子はトラックを停めた。
「さて、行きましょうか」
愛子が入り口のベルを鳴らし、中からの返事を待ってドアを開ける。建物の外観は簡素で大きくないが、ドアは大型の馬も余裕で通れる大きさだ。
結論を言うとチェックは短時間で終わった。院長・・・と言っても受付の女性と彼氏かいないのだが、その場でハヤテオウの馬体を観察し、元の世界でいう新音響のようなものをペタペタ触れただけだ。
馬名:ハヤテオウ
性別:牡
年齢:2歳3ヶ月
健康:異常なし
違法性:問題なし
体重:512kg
院長はそれらのデータを淡々と読み上げた。あれだけのチェックで、なんでこんなことが分かるのか。いかにもゲームっぽいが要はそういうことなのだろう。もう深く考えすぎるのを辞めよう。しかし、駿馬が最も踊りたのはそこではなかった。
「2歳3ヶ月・・・ですか。3歳じゃなくて?」
「ええ、2歳3ヶ月です。間違いありません」
ハヤテオウが2歳馬だって!???
こっちの世界は馬の年齢の数え方が違っているのだろうか。一応、駿馬は愛子に聞いてみたが、元の世界と全く変わらなかった。生まれたてで当歳、そこから1歳、2歳、3歳と年齢を重ねて行く。1年も365日だという。
「どうかしたんですか?」
「あ、いや、特には・・・」
「ハヤテオウ、問題ないみたいで良かったですね」
「そうですね」
一応返事はしているが、頭の中は疑問でいっぱいだ。ただ、言われてみると確かにナショナルダービーを走った時より少し太めで、顔立ちもあどけない気がする。これが違和感の正体か・・・ゲームの世界に来て、ビジュアルが少し変わったのかなと思い、それ以上は深く考えていなかった。
「じゃあ駿馬さん、牧場に戻りましょうか。マカベさん、ありがとうございました」
「ああ。気を強く持つんだよ。『ナンデモ電機ステークス』の結果、楽しみにしているぞ」
院長はドアの外まで来て、受付嬢と共にハヤテオウを乗せて走り去るトラックに手を振ってくれた。ゲームでもこんな演出あるのかな・・・駿馬は少し気を紛らわせたが、まだ疑問は強く残っていた。道中、後ろのハヤテオウに心の会話で聞いてみる。
「(おいハヤテ、さっきのデータお前も聞いたか?)」
「(ああ。健康第一、良い仔が作れそうだ)」
「(おい、お前はまだ種牡馬じゃないだろ。それより年齢だ。元の世界でお前が年齢のことなんて考えていたかは知らないが・・・)」
「(失礼だな。歳の数え方ぐらい分かるぞ。親父は2歳3ヶ月と言ってたな)」
「(おかしいと思わないか?)」
「(いや全く)」
「(だって、こっちの世界に飛ばされたのはダービーを走った直後だろ。知ってると思うが、出走条件は3歳だ)」
「(ダービーなんて走ってないぞ。新馬戦に向けた準備をしてたじゃないか)」
駿馬は一瞬思考が止まってしまった・・・とりあえずハヤテオウに「(ありがとうな)」とだけ言って、心の会話を止めた。ハヤテオウと記憶が食い違っている。ハヤテおうとともに、雷のようなものに直撃されて、この世界に飛ばされたことは間違いないだろう。
ハヤテオウだけが、まるまる1年前に体も記憶も巻き戻った状態で転移したということか。ハヤテオウの態度が少し横柄に感じるのも、駿馬が主戦騎手に指名されて時が経っておらず、信頼関係を築けていないだけなのかもしれない。
そうした疑問に増して、新たな不安が生まれた。2歳それもデビュー前のハヤテオウで『ナンデモ電機ステークス』に勝てるのか。
「愛子さん、独立レースの年齢規定は」
「無いですよ。健康状態に問題なければ何歳でも出られます」
「はい」
「RRCを引退したけどスポットで独立レースに参加する場合もあるし、RRCデビュー前の若馬に実戦を経験させるために出す馬主さんもいます」
「はあ、なるほど」
「ビッグレースの『ナンデモ電機ステークス』に出る2歳馬はハヤテオウぐらいだと思いますけど」
もしかしたら愛子さんはこちらに気を遣っただけでなく、ハヤテオウが若馬であることを察して、本当に勝てるのかという疑念を抱いたのかもしれない。しかし、あれだけタンカを切った以上、引き下がるわけには行かない。
今のハヤテオウが出せるベストを出させて、あとは天命に従うしかない。どの道、ここを突破しなければ新しい道は開けてこないのだ。