10 謎多きライバル
未明にスマイル牧場を出発した駿馬、愛子、そしてハヤテオウ。ナンデモ競馬場に到着してからいそいそと準備して、検量やゲートチェックを済ませた。結論から言えば全て順調で、2歳馬の堂々とした振る舞いに、レースの係員たちからも感嘆の声が出ていた。ちなみに旗手の計量は不正がないようレースの前後に行われる。
駿馬はゲートチェックで一堂に会したライバルの馬たちをできる限り把握した。元の世界では週中に各レースの登録馬リストが出たら有力馬をチェックし、出走馬と枠順が決まったら全ての出走馬の成績、サイズ、斤量、位置取りの傾向、ジョッキー、前走の距離、重馬場の得手不得手などの情報をデータマンにもらって分析、それぞれの調教師と作戦をたてるというのを繰り返してきた。
ただ、駿馬自身はデータ以上に現場での空気感や印象を重視する。当日の感覚で作戦を変更することもあり、駆け出しの頃はそれで調教師に怒られたり、好走したにもかかわらず主戦を降板させられたこともあった。それでも騎手として実績を積み上げ、今はそのときに駿馬を降板させた調教師にも最終判断は一任されるようになっていた。
そもそも今回はそういう情報がざっくりとしたものしかない中で、ゲートチェックで一通りの出走馬を確認できるのは貴重だった。まずは1番人気である白金厩舎のブラックアロー、さらにサンクスギフトをチェックする。
ブラックアローは漆黒の馬体とまさしく矢のような白い縦ラインが額に入っている。7歳馬とのことだが、それほど衰えている気配はなく、中央競馬の重賞ウィナーという貫禄を漂わせていた。
ブラックアローは大外から1つ内側の7枠13番だ。RRCの現役時代は第四コーナーからの差しを得意としていたようだが、どういう展開になっても捌ける自在性も評価されていたと愛子から聞いた。
何より眼光鋭い小幡和義というジョッキーに注意する必要がある。勝負服は白金ファームらしく真っ白に金の縦ラインを入れており、ブラックアローの黒鹿毛とのコントラストでなおさら明るく見える。レース本番では枠に合わせた色のビブスで大体覆われてしまうわけだが。
ブラックアローの《《ラビット》》と目されるダッシュマイケルは6枠11番となっている。明るい栗毛のポニーのように小柄な馬だった。サラブレッドには珍しく両耳が垂れた、文字通りウサギのような馬だ。陣営にとっては大事な役割なのだろうが、ちょっと哀れになってくる。
前回優勝馬のサンクスギフトは4枠7番。青毛が朝の陽光に輝いている。14頭立てのちょうど真ん中からスタートする。情報によると3歳のときに前脚を大怪我してRRCを引退したが、奇跡的な回復を見せて独立競馬で復帰した。現在は6歳で、トップレベルの賞金稼ぎとなっているという。
「(ハヤテはどう思う?)」
「(何が?)」
「(ブラックアローとサンクスギフトだよ)」
「(勝てるんじゃない?)」
「(あっさり言うな・・・)」
「(あっちの馬が危険。気をつけないと)」
「(え、どの馬?)」
「(一番内側の灰色っぽい馬)」
灰色っぽい馬?
駿馬はハヤテオウが顔を向けている最内を見た。1枠1番・・・確か、グランドシャーク・・・芦毛か。500kgは優に超えるとみられる巨体と盛り上がった胸まわりの筋肉に目が行く。そしてサメを模したメンコを装着している。14頭の中で最も情報が無かった馬だが、ブラックアローとサンクスギフトに次ぐ3番人気だった。
最内は一見有利だが、外側の馬に包まれるリスクがある。しかも、ダイナーレディに教わった通り、内側はかなり芝が深く、余程パワーがないと減速は免れない。ただ、元の世界で話すことはできなかったが、ハヤテオウは非常に利口な馬で、危険なライバルを察知するような気配があった。単純に気になる牝馬をキョロキョロ見ていることもあったが。
検量を前にした控室で、駿馬はメインレースに騎乗するジョッキーに一通りの挨拶をした。元の世界でも駆け出しのころは欠かさずやっていたが、そのうち顔見知りがほとんどになり、新人が向こうから挨拶してくる側になっていた。
ちょっと新鮮な気持ちになりながら、ブラックアローの小幡騎手にも「芝野駿馬と言います。よろしくお願いします」と挨拶すると「小幡だ。よろしく。聞いたことない名前だと思ったが、昨日の試乗を見せてもらった。ずいぶん入念に馬場をチェックしていたな」と返された。
そんな、どこの馬の骨とも知らない騎手を観察しているなんて、さすが中央競馬の第一線で活躍していた人だ。いやむしろ知らないから観察していたのかと駿馬が考えていると「おう、知らん顔やな」と斜め後ろから話しかけられた。
「あ、ダッシュマイケルの・・・」
「なんだ知ってるのか。秋野勝利や。名前は秋の勝利やけど、レースに勝つのは秋だけちゃうで」
「はあ。僕は芝野駿馬です。《《しゅんめ》》と書いて《《しゅんま》》と読みます」
「本人が馬みたいな名前やな」
元の世界で言う○西弁か・・・調子が狂うなあ。しかし、いわゆる《《ラビット》》を務めるのは相当に腕が確かでないと、逆に難しいはず。
「おい、今ラビットの騎手か思ったやろ」
「あ、いや、そんなことは・・・」
返答に困っていると、急に顔を近づけて来た。そして右手を口元に当てて「お前は信頼できそうだから教えたる」と声を潜めながら話して来た。
「実はな、本気で勝ってしまおう思てるねん」
「えっ!」
「こら、声がでかいで。内緒やぞ、絶対に言うなよ」
初対面で内緒って言われても・・・わざと誤情報を伝えて欺こうとしているかもしれないので、話半分として受け止めた。
サンクスギフトの石橋歩ジョッキーは名前の通り真面目そうな人物で、愛子の情報では元RRCのジョッキーであり、第一線をしりぞいてからたまに独立レースに出ている実力者だそうだ。何より前回優勝コンビだから要注意でない訳がない。
そして、13人の騎手に挨拶を済ませて残る一人を探したが見当たらなかった。グランドシャークの騎手、ゲートチェックでもゴーグルをかけて、さらに顔の下半分をマスクで覆っていたため、よく分からなかった。どうせ控室か検量室で挨拶できると思っていたが・・・駿馬には少し不気味な感覚が残ったが、とりあえず切り替えた。
大半のジョッキーはメインまでに騎乗予定があるため、時間と共に控室が静かになって行く。入り口のドアから見て左右の奥にモニターが設置されており、レースを観ることができる。第1レースと第3レースはダート、第2レースは芝でも1200メートルの短距離線であるため、どこまで『ナンデモ電機ステークス』の参考になるか分からないが、レース感が少し薄れているため、できるだけ自分が騎乗しているイメージで観ていた。
第2レースの芝1200メートルはイナカノベルトをそのまま通れる2番の馬が好スタートを切って先頭に立っていた。そしてダイナーレディが教えてくれたあたりを通れる5番の馬は差し馬らしく意図的に少し下げていたが、かなり楽な手応えであることを見ると、やはり恩恵を受けている様子だ。結局、勝馬は直前まで1番人気だった7番の馬が勝ったが、2番が3着に粘り、5番も半馬身差の2着まで迫っており、恩恵はあったようだ。
ただ、ゲートがいきなり向正面にある1200メートルとスタンド側からスタートするメインレースでは勝手が違うので、うまく狙いながら、ただ何よりハヤテオウが道中最も能力を発揮できる位置どりを心がける必要がある。
そうこう考えているうちにメインレースの招集がかかった。「よし、やるぞ」と駿馬は声に出して控え室を後にした。




