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1 ゲームみたいな世界

 雨の降りしきる国際競馬場。第四コーナーを回って先頭に立ったのは黒鹿毛の3歳馬だった。


 その名はハヤテオウ。デビュー時からお手馬にしてきた若手ジョッキーの芝野駿馬しばのしゅんまはムチを入れることもなくポンと首筋を叩く。これまでも、ほとんど思いのままスタートからゴール板まで駆け抜けてきた。


 3歳馬にとって最高峰のレースであるナショナルダービーでも変わることはない。1.3倍の人気に応える力強い走りに、雨中のファンも歓声を投げかける。残り300、200・・・すでに2番手からは5馬身が開いていた。


 この最高の舞台で勝つ瞬間まで、駿馬はとにかくハヤテオウの邪魔にならないように、バランスよくまたがることだけを心がけた。100、50、ついに勝利の瞬間が訪れる。ゴール板を過ぎたところで駿馬は右腕を突き上げガッツポーズした。


 スタンドから割れるような歓喜が起きた瞬間だった。唐突な稲光が人馬を襲う。


 ドゴーン!


 巨大な音が競馬場に鳴り響いた時には人馬がその場から消えていた。


特殊スキル《《人馬一体》》を獲得しました・・・


 う〜ん・・・

 朦朧もうろうとする意識のまま駿馬は周囲を見渡す。やけに明るい青空が目上に広がり、周囲は果てしなく緑の芝が広がっている。はるか先に小屋や風車らしきものが見え、周囲を木の柵が囲んでいた。どこからともなく羊らしきメエ〜という鳴き声も聴こえた。


 牧場か・・・

 まだ頭がはっきりとしないが、駿馬は少し落ち着きを取り戻すと、レースの記憶が蘇ってきた。雨の中、ハヤテオウと一緒に直線を駆け抜けて、そこで雷らしき光に包まれてからは記憶が無い。しかし、なぜこんな場所にいるのだろう。雷で僻地に飛ばされるなんて聞いたことがない。


 そういえばハヤテオウはどうなったのか。そう思うなり駿馬は周囲に首を振って見回した。「あ!」と駿馬が声を発した瞬間には振り向いた先から一頭の黒鹿毛が勢い良く迫ってきていた。一瞬ぶつかるんじゃないかと駿馬が思ったのは杞憂で、目前で右にステップして駿馬を避けると、くるっと旋回してゆっくり近づいてきた。


 その立派な体躯と対照的にあどけない表情はハヤテオウのものだった。ただ、駿馬がよく知るハヤテオウとは少しだけ違っている気もする。しかし、紛れもないハヤテオウだ。一体何が起きたのか、状況が全く分かっていないが、ちょっと絵的になっているような世界は気になる。


「なあハヤテ、何が僕らに起こったのか分かるか?」

「(さあ、さっぱり分からない)」


 ギョッとした。ハヤテオウが・・・しゃべった?まさかそんなはずは。


「お前が喋るなんて気のせいだよな」

「(いや、お前の心に語りかけてるだけだ。声で何言ってるかがよく分からない)」


 心に語りかける・・・確かに今もハヤテオウは口も動かしていなかった。頭の中に語りかけてきているのか。しかし、それにしても馬って心に語りかける以前にそんな思考できたっけ。いくら利口なハヤテオウでも明らかに変だ。


「そんなこと、どうやってできるようになったんだ?人馬一体・・・」

「(どうかしたのか?)」


 馬と心の会話ができる・・・まるで何かのゲームみたいだな。まだ状況をよく飲み込めていはいないが、あの落雷でハヤテオウと一緒にどこかへ飛ばされたこと。そして普通の世界ではないということが何となく分かってきた。


 とりあえず、遠くに見える小屋に行ってみるか。そう駿馬は思い立つと、よっこらしょと腰を上げた。


 格好はレースに出た時のままだった。ステッキだけ無かったが、正直なところ駿馬とハヤテオウにステッキは必要ない。そもそもステッキで叩くことをハヤテオウは嫌がり、デビュー以前には調教助手を振り落としたこともあったほどだ。


「ハヤテ、乗っていいか?」

「(どうぞ)」


 これまで通り左足から鎧に引っ掛けて体を引き上げる。動作の感触は雷で飛ばされる前とさして変わらない。前橋寄りに重心をおきながら、軽く首筋を撫でる。


「(小屋に向かえばいいんだな?)」

「ああ」


 ハヤテオウの方から語りかけてきて、自然に返事をしてしまったが、まだ慣れない。ただ、これまで意思で通じ合っていた気はしていたものの、こうして会話ができることは嬉しかった。


 もちろん色んなことを考えたらキリがない。競馬場はどうなっているのか、調教師やハヤテオウの関係者はどんなパニックに陥っているのかとか。ただ、そんなことを考えてもどうしようもない気がして、とりあえずハヤテオウの感触と心の会話を楽しむことにした。


 ハヤテオウは常歩なみあしから速歩はやあしに移行する。さらに駈歩かけあしになると一気に小屋と風車が迫ってきた。最高の乗り心地だ。なぜこの地に人馬が飛ばされてしまったのかは全く分からない。しかし、ハヤテオウと一緒であれば何も問題はない。少なくとも彼の背中に跨っている時は。


 あっという間に到着すると、駿馬はハヤテオウから跳び降りて首筋を撫でた。気持ちは良さそうに首を上げる仕草は変わらない。相変わらず少し絵的な感覚もあるが、もはや気にしない。


 柵は駿馬の胸ほどの高さで、小屋と風車、さらに馬房らしき建物などを緩やかに覆っていた。また遠くからは見えなかったトラックなどもある。様子を見ているうちにヒ〜ンという馬ならではの鳴き声がすると、ハヤテオウが鼻をひくつかせた。初対面の牝馬に遭遇した時のハヤテオウの癖で、その反応を見るたびに調教師は「良い種牡馬になるな」とゲラゲラ笑っていた。


「ごめんくださ〜い、誰かいますか?」


 反応がない・・・さらに大きな声で呼びかける。すると30秒ほどしてガチャっと小屋のドアが開く音がして、人影が現れた。女性・・・栗色の髪が風になびく、控えめに言っても美女だ。背丈はジョッキーの中では大柄な方の駿馬とほぼ変わらないぐらいだろうか。


 その女性はやや訝しげに駿馬とハヤテオウの方を見ると、少しだけ近付いて「どなた様ですか?」と聞いてきた。言葉もそのまま通じるし、やっぱり国内のどこか田舎の方に飛ばされたのだろうか。それはともかく、どう返答したら良いか咄嗟に考えた。


「あの、ここはどこですか?」

「え?」

「あなたは誰ですか?」


「(おい、突然何を聞いてるだ)」とハヤテオウがツッコミを入れてきたが、女性は少し迷って「えっと」と言葉をつないだ。


「スマイル牧場の平地愛子ひらちあいこと言います」

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