第九十九話『共に生きる明日 その2』
震動。
戦闘の余波であり、街の嘆きであり、そこに住まうものたちの、恐怖に慄く悲鳴である。
蒼は、ゆっくりと目を開いた。
全身を蝕む痛みは、未だ容赦がない。 眠っていた方が楽だが、そのつもりはない。
夢を見るには、まだ早い。
ルイが、甲斐甲斐しく包帯を付け足してくれているのが見える。 ルイの手に触れ、優しく制した。
ルイが怪訝な表情を浮かべる。
「どうしたの? ……え、ちょ、ちょっと!!」
その表情は長く続かず、すぐに驚きのものになった。 蒼が背中を預けていた壁に手をついて立ち上がろうとしたからである。
「立ち上がっちゃダメよ!!」
ルイが慌てて蒼を止めようとするが、蒼は歯を食いしばってゆっくりと立ち上がる。
裂けた肌から包帯に血が沁みこむのが分かった。
「ルイ……俺は、ここでじっとしてはいられない」
蒼が何をしようとしているのか、ルイにはすぐ察しがついたようだった。
「な、何言ってるのよ!! そんな体で戦えるわけないでしょう!?」
二歩ほど歩いた蒼の前に回りこみ、ルイは蒼の両腕を掴んだ。
「私やアンタの仲間が今必死に戦ってる! 皆をそのままには出来ないし、私だって戦うつもりよ! でも、FNDの応援だってじきに来るし、そんな状態のアンタが戦う理由なんてないでしょう!?」
蒼は頷かなかった。
「たとえ増援が来てこの戦いに勝てるとしても、俺は戦う。 それが、俺の生き方なんだ。 皆をこれ以上傷つけさせたりしない。 何もしなかった後悔は、一生付きまとうから」
「めちゃくちゃなこと言わないでよ!! アンタはもう十分戦ったでしょ! 誰も、アンタを責めたりなんか――」
「それに」
涙ながらに訴えるルイの言葉を、蒼は穏やかな口調で遮った。
「彼女は……黒縄 リリアの中にいる人は、俺の友達なんだ」
蒼は、ゆっくりと事情を話した。 自分と一緒に転生した清里 茜のことを。
彼女が黒縄に転生したこと。 蒼の友人であること。
そして。
「俺が何もしなかったせいで、彼女は傷付いた。 前の人生で、俺が何もせずに生きてきたから」
ルイは勢いをわずかに削がれて俯く。 彼女が蒼の立場だったら、同じことをすると考えたのだろう。
「後悔してる。 だからせめて、この世界でこそ、彼女を救いたい。 今度こそ、逃げたりしない」
蒼は一歩踏み出す。 ルイは止めなかった。 よろけながらも、足を前に出す。
ルイの横を通り過ぎる。 もう一歩踏み出そうとしたとき、ルイが声を上げた。
「ダメッ!!」
手首を両手で掴まれ、蒼の体が止まった。 振り返らずとも、彼女が悲痛な表情をしているのが、その小さな手の震えで分かる。
「アンタが、死んでしまうかもしれなくて、恐ろしかった……二度と大切な人が目を覚まさないかもしれないのが、怖かった……!!」
声も、震えていた。
「アンタの気持ちは分かる……きっと私だってそうする、でも!!」
ルイは力強く蒼の手を引く。
「もう二度と、あんな思いはしたくない……!! アンタを、失いたくない!! そんな体で戦って、無事で済むわけないでしょう!! やっと、目を覚ましたんだから……!! 絶対に、絶対に行かせないわ!!」
爪が食い込むほど、蒼の手首を掴む少女の力は強かった。
ルイの言うように、こんな満身創痍の体で戦って、自分が無事で済む保証はどこにもない。
もしかしたら、あの深淵に逆戻りすることもあるかもしれない。
だが、蒼には。 ボロボロの体でありながら、それを美しく駆ることが出来ると思わせられるほどの、轟々と燃え盛る感情があった。
それは、死なない覚悟であり、確信でもある。
「ルイ……俺は」
蒼は言う。
「俺は死なない」
振り返った蒼の目を見て、ルイは目を瞠る。 きっと彼女にも、蒼の強い意志が見えただろう。
「俺には、ルイと生きる明日があるから。 絶対に、死なない」
街が今一度大きく揺れる。 そんな中で、蒼はまっすぐルイを見つめ続けた。
「本当に、俺はバカだったよ。 決断を急かされて、自分で自分を追い込んだ。 そして……ルイを、悲しませた。 それは、恥ずべき愚かな選択……ルイを悲しませたこと、本当に悔しく思ってる」
体を向かい合わせ、ルイの手を取る。
「俺は、俺が悲しませてしまった以上にルイを笑顔にするまで……いや、これから先もずっと、もっと、ルイを笑顔にするまで、俺は死なない」
ルイの手から、少しずつ力を抜けていく。
その手を優しく握ると、またルイの手に力が篭っていった。 今度は、寄り添うような感触だった。
「……それでも、俺だけじゃ、黒縄を倒すことはできないと思う」
切れ長の瞳が閉じる。
「だから……俺に、力を貸してくれないか。 一緒に、戦って欲しいんだ」
少しして目を開けた少女の顔立ちは、気高き戦士のものだった。 何度も本やテレビの向かいで見た、蒼の大好きな、強いまなざしだった。