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第九十七話『ルイ、君のこと』

少しだけ、長めです。

 少女の体が、蒼目掛けて闇を舞う。

 薄く白い光を纏った少女は、今一度蒼を呼んだ。


 蒼もそれに応える。 きつく締め付けられた表情が、緩んだのが分かった。


 蒼を吸い込む光に抗いながら、闇を掻き分ける。 ルイとの距離が、縮んでいく。 彼女は右手を目いっぱい開いて蒼へと伸ばした。



「うわッ!!」



 ゴウ。


 光がさらに強い音を上げて蒼の体を引き寄せる。 伸ばした手同士が離れた。


 蒼は咆える。 意識を限界まで燃やし、最後まで抗うために。

 彼女を、泣かせたままにさせないために。


 わずかに沈む速度が落ちる。 もう一度、ルイへと手を伸ばした。


 再び縮む、二人の距離。 一度はお互いを突き放した少女と少年の指先が、微かに触れ合う。



「ルイ!!!!!!」



 最後とばかりに、感情を滾らせる。


 伸ばした手が、ルイの手を掴みとる。 絡み合った手には、確かな温もりがあった。


 ルイが、言った。



「もう、この手を離さない……!!」



 俺だってと、蒼は頷いた。 しかし、体にのしかかる重力は秒を読むごとに強くなっていく。


 引きずりこまれる体を、ルイの手が必死に引き止める。 真下を見下ろすと、光は闇を侵食しながら蒼へとせり上がっていた。


 蒼はルイの紺碧の瞳と目を合わせる。 彼女は力強く頷いて、蒼の手をさらに強く握り締めた。


 今目の前にいる彼女は、蒼の意識が生み出した幻影ではない。 彼の意識の外からやってきた、ルイの意識そのものだと確信する。


 重力と拮抗するルイの手。 ルイの口元から唸りが漏れる。 蒼の体が徐々に引き上がっていく。 蒼は、ルイの小さな手に己のもう片方の手を重ねた。


 生きたいと強く望み、焔に包まれる意識。 それと同時に、蒼の目からは、静かに涙が伝う。


 歯を食いしばるルイを見上げて、蒼は場違いな優しい声を絞り出した。



「ありがとう……………俺を、愛してくれて」



 少女と視線を絡ませる。 ルイは唸りをしまいこみ、意外そうに目を見開いた。

 蒼は続ける。



「まるで……夢、みたいだ」



 ほんの少しの間があった。 それから、ルイは切れ長の瞳を細めて、笑ってみせる。


 バカね。 彼女は彼女らしい口調で、そう言った。



「その夢は、私が与えたものじゃない。 アンタが、死ぬ気で努力して勝ち取ったものでしょう」



 ルイの腕に、力が篭るのが分かった。



「だから、その夢の先を、生きましょう……許されるのなら、一緒に」

「……一緒に」



 蒼は、縦に首を振りながら、強い意思をもって口にする。 絡めた指が、溶け合いそうなほどに握り締められる。


 ルイが裂帛の気合で蒼の手を引く。 蒼も同じように、ルイの手を握り締めた。


 拮抗がわずかに揺らぐが、光はさらに闇を侵食していく。 その勢いは、今まさに蒼の下半身までの闇を祓わんとしていた。

 視界が燦然とした光に包まれる。 闇が悲鳴を上げて周囲から消え失せる。


 光が子どもの駄々を諌める母親のように攻勢を取り戻す。 何かが背中に張り付いてルイから引き剥がそうとしているようだ。 指が引きちぎられてしまいそうな衝撃が、下へと向かう。


 光が空へと伸びて闇を突き抜けるのが見え、ルイが、さらに声を張って腕に力を入れたのが分かった。 蒼を引き寄せるそれは、腕っぷしの強さではない、想いの強さだ。


 喜びに身を委ねているだけではいけない。 蒼も体を動かして、ルイの元へ。

 光が闇を残さず喰らい尽くす。



「小波ッ!!!!」

「ルイ――――!!」



 そして、感じた。 蒼を引きずる重力よりもずっと手前に、少女の柔らかな感触を。


 鼻腔をくすぐる少女の、懐かしい花のような香り。 眠りに落ちそうなほどの安心感が体を覆う。


 絡めていたルイの手は、今は蒼の背中を抱き寄せていた。 もう一度あの場所で目を醒ませたらこの言葉をもう一度伝えよう……そう決意しながら、蒼は彼女の胸の中で、噛み締めるように言った。



「愛してるよ。 俺に生きる力をくれた……ルイ、君のこと」



 光がその輝きを、天井を知らないまま容赦なく強めていく。 瞼を閉じるように、視界が覆われていった。


 意識が、澄明なる光に当てられて眠るように閉じていく。 それでも、ルイの存在がすぐ側にあることだけは、分かった。


 そして、下に落ちる感覚もなかった。 ルイが蒼を抱き止め、蒼がルイを抱き締めていたからである。

 光がどれだけ勢いを強めようと、どれほどの強さでこの場を覆おうと、二人はお互いを繋ぎとめてその場にしがみついた。



「だから……必ず、生きて戻るんだ……ッ!」



 意識が、薄れていく。

 しかし、その最後の瞬間まで、彼らは決してお互いを離さなかった。





 ――花に似た、匂いだ。

 ――夏に咲く清涼で柔らかな、花のような。

 ――彼女の匂いがする。





 自分の声しか、聞こえない。

 今もどこかで、戦闘の喧騒は巻き起こっているのだろう。 ビルも揺れて音を立てているだろうし、歯軋りをするように窓も震えて不安げな音を立てているはずだ。


 だが、聞こえない。 愚かで咎められるべき自分の身勝手な泣き声しか、彼女の五感は捉えられなかった。


 そう、何も聞こえない。 ……小波の心臓の鼓動が、聞こえなくなってから。



「ごめんなさい……ごめ、なさ……!!」



 今までは、努めて冷静を保っていた。


 だが、小波 蒼の命が燃え尽きたのを感じた瞬間から、もうそれは叶わなかった。 というより、その必要がなくなったというべきか。


 悲しみに泣き伏せる以外に、できることなどない。 喪失感に打ちひしがれるままに、彼の死を嘆き続ける。


 小波の表情は動かない。

 わずかに空いた窓から吹き込む風に彼の髪が揺れる。 もしかしたらそれが彼の身じろぎかもしれない、そう期待して彼の名を呼び体を揺するが、応えることはなかった。


 わずかに残る温もりが、時間が経てば消えてしまうと思い込んだ瞬間、体から力が抜けていく。 宇宙空間に投げ出されたような浮遊感のある眩暈に苛まれ、ルイは小波に寄りかかる。


 悲しみが体を震えさせる。 まるで、全身から涙が溢れているようだ。


 強がって普段から誰にも見せなかった自分の弱さを隠すこともできない。


 呼吸が苦しい。 視界がぐにゃりと歪み、涙が閊えて浅い呼吸が続く。 小波の胸部から漏れる血が服に沁みてひんやりとした感触が背筋を凍らせた。


 熱を逃がさないようにと、彼の体を力の抜けた腕で抱く。 小波の首筋に触れた唇は首元の脈の感覚を伝えない。



「……私が、私が……あなたを」



 自分を追い詰める度に、呼吸がしづらくなっていった。 このまま、止まってしまえばいいのにとすら、思う。


 再び入り込んだ風が、二人を撫でて通り過ぎていった。

 小波の髪が揺れて、ルイの頬をくすぐる。 彼の体が一瞬だけ震えたような気がしたが、それは自分の震えだとすぐに思い直した。



「――違うよ」



 自分の思考回路が全て吹き飛んでいたのを、ルイは数秒経ってから気付いた。


 突然、閉じた聴覚の中に誰かの声が入ってきたのだ。 それは、今ルイが身を寄せる小波に似た声だった。


 緊張も悲しみも忘れ、ルイはわずかに体を起こして周囲の気配を窺った。 やはり、誰の気配もしない。 幻聴にしては、嫌にリアルである。


 ふと、ルイは心地のよさを感じて目を細めた。 浅く熱い呼吸は次第に深くなっていく。 また数秒が経つ。



「俺を追い詰めたのは」



 何が触れたのか、分からなかった。 誰の声が聞こえたのか、分からなかった。


 ルイははっと目を見開く。 あまりの唐突さに失われた思考回路をゆっくりと繋ぎ直していくと、奇妙なことが起きていると理解したのだ。


 ルイは、会話をしていた。 ルイが直前に言葉を投げかけていたのは、生命活動を停止していた小波 蒼である。 だがルイは、確かに小波に囁いた言葉が返ってきたのを聞いていた。


 そして、自分が先ほどから感じていた心地の良い感触の正体にも思考がたどり着く。


 頬を、何かが撫でている。 間違えることなどない、ルイを労わる優しい意思の篭った人の、手の感触。


 今この場で、そんなことができる人間などいないはずだった。 ルイが目線をわずかに下げると、小波の腕が、重力に抗ってルイの頬へと伸びている。


 また、思考が飛んだ。 ルイの常識を……いや、死という絶対的な概念を超えた何かが、目の前で起きている。


 唇が言葉を紡ごうとするも、震えたまま終わる。 それを尻目に……小波の口元が、ゆっくりと動いた。


 今度は、風の悪戯などでは、なかった。



「俺自身の、弱い心だよ」



 睫毛が動く。 それから、彼の瞼がゆっくりと持ち上がっていった。


 彼の行使した力の代償なのだろうか。 瞳は水色に濁っていたが、そこには意識がある、決意がある。


 いつもと同じように、彼はゆっくりと口元を緩めた。



「どう、して」



 何度も試行し、その度に空気を吐き出し続けてようやく出た言葉がそれだった。 小波は応える。



「ルイの想いが、聞こえたんだ」



 信じられない。


 その一心で頬に触れる小波の手に自分の手を重ねた。 彼の手は、生きている。



「だから……絶対に死んじゃいけないと思った。 諦めちゃいけないって……思った」



 何の感情も湧かなかった。


 あまりの出来事に感情がショートしてしまったのかもしれない。 彼と会話を交わしたのは、思えばあの雨の夜以来だ。


 ただ、ルイにとってあまりに幸運なことが起きている、それだけは分かった。


 小波の目尻から流れた血の軌跡の上を、透明な液体が流れていく。



「自分の……選択のせいで……泣かせてしまった人がいる、から」



 彼の言葉からも、自責の念が感じられた。


 それが分かるほどには、ルイの心の底から感情が戻ってきていた。 体がまた震える。 目頭が、痛いほどに熱い。


 ルイの目元の涙を、小波の親指が掬う。 彼の口元が静かに動く。


 ごめんね。 彼はそう言おうとしているようだった。

 情熱的に湧き上がる喜びのままに、ルイの体が先に動く。


 謝りたいのは自分の方だと、ルイは蒼を抱き締めた。

いつもありがとうございます。



これは余談になるのですが、第十二章の各話のタイトルには、ちょっとした小ネタが隠されています。よかったら、そういった視点で見てみてくださいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 蒼の活躍が楽しみすぎ [一言] 第二部があるかもしれないという情報に圧倒的感動!感謝!
[良い点] 第一部!? 良かった・・・毎日3話くらい更新してったら1週間くらいで終わるって言ってたから生き甲斐が終わってしまうのかと [気になる点] ルイの中でハヤトは今どういう位置になってるんだろう…
[良い点] 瀕死まではすごい勢いでダメージ受けるけど そこからある程度戦えるぐらいまではすぐ回復する様式美 [気になる点] 戦闘どうなったんだろう……
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