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第九十四話『流転の中で』

 ここは、意識の世界……深い深い、己のみの場所。 暮れ行く黄昏に身を委ね、いずれ塵も残さずに消える、墓場である。 


 墓場でありながら、景色は様々流れ行く。 少年は項垂れて目を閉じ、記憶の反芻を拒んだ。


 鼻歌が聞こえる。 遠い過去の自分の歌声だった。 中原 重音の声だ。 この曲調は、セカゲンの主題歌だろうか。


 目を開けると、目の前でベッドの上で仰向けになって本を読んでいる過去の重音がいた。


 立ち上がり、のそのそと彼の側へ。


 表紙には不機嫌そうに腕を組む金色のツインテールの少女の姿がある。 ツインテールが美しい曲線を描き、よく映えている。 重音の目はしっかりと本の世界にのめり込んでいた。


 きっと、自分の魂をハヤトに重ね、ルイと共に苦難を乗り越え、幸せな日常を送っているのだろう。


 だが、彼の顔には時折不満もチラつく。 どれだけ心酔しようと、どれだけのめりこもうと、彼の魂も、体も、結局はこの寒々しい世界に取り残されたままなのだ。


 ルイの花のような香りも、照れ隠しに背中に打ち付けられるカバンの感触も、彼は感じることが出来ない。



「…………ああ、あ」



 あまりに幸運なことだった。 小波 蒼として、あの世界の大地を踏みしめていたことは。


 ルイと同じ世界に立ち、ルイの声を聞き、ルイの息遣いを感じ、ルイの笑顔を目の前で見れたことは、どれだけもがいても、絶対にありえないことだったのに。


 何の因果だったのか、誰の意思だったのかは分からない。 だが、彼は確かに、夢にまで見た世界にいた。


 そして。



「嫌、だ……嫌だぁ……!!」



 足から力が抜け、布団の縁に突っ伏す。 感触もない冴えた世界で、悲しみが仮初の涙を流させ、洪水のような悲哀が蒼を傷つける。


 ……与えられた夢の世界を、彼は捨ててしまったのだ。 それも、自分の意思で。


 清里を見捨てることは絶対にできない。

 しかし、冷静でいれば、堕天狂化を使わずとも、彼女を救える手立てが何かあったかもしれない。


 彼のとった愚かな選択は、彼を夢のような世界から剥がそうとしている。


 今の蒼に、その後悔を払う機会は、残されていなかった。 粛々と迫る死が、それを許さない。



『何で毎回私より早くいるのよアンタ』



 顔を上げた蒼は、時計台の側の地面に膝をついていた。 人が大勢入り乱れているが、音もなく存在感も薄い。


 世界の真ん中にいるのは、金色のツインテールをした碧眼の少女と、何の変哲もない黒髪の少年。 少女は腕を組んでいつもの通りツンツン気味だ。



『まだ待ち合わせの三十分前じゃない』

『そりゃあもう、楽しみで楽しみで!! 昨日は寝れなかったよ!』



 子どものような輝かしい笑顔で語る少年。 首を左右に振った蒼の目から、ボロボロと涙と喘ぎが漏れる。



『それにしても、ルイもめっちゃ早いね。 もしかして、意外とデートが楽しみだったり!?』

『ば、バカッ!! 勘違いしないでよね!! 私はいつでも三十分前行動なのよ!! いい!? 変なこと言ってないで、さっさと行くわよ!!』



 顔を上気させて獅子の如く威嚇するルイ。

 立てた人差し指をしまいこみ、ツインテールを振り乱しながら、さっさと歩いていってしまうルイの後姿を見て、少年は嬉しそうに笑っていた。



「ルイ……ま、待ってくれ……!」



 少年とは裏腹に、蒼はしわがれた声で縋るように前かがみに立ち上がった。

 少女の後を追いかけ、倒れこむように手を伸ばす。


 しかし、蒼の体は、空しく少女をすり抜けていった。 倒れた蒼の喉から、嗚咽が漏れ続ける。



「ああああああああああ……ッ!!」



 悔しさを振り払うように声を上げる。 だが、彼を陥れる後悔は、容赦なく彼の心を締め付けた。



「くそ……くそッ……!!」



 地面の上を悶える。 心が引きちぎれそうなほど、痛かった。



「あのときは、こんな思い、しなかったのに……っ!!」



 交通事故で死んだ日、死は恐ろしくなかった。


 迫る死に身を委ね、眠るように命を落とした。 死の寸前、ちょっとした後悔を口ずさんだだけだった。


 そうだというのに。 二度目の人生、以前のような後悔を残さないように生きると決めた人生の最期…………比べ物にならないほどの後悔が、そこにあった。


 死が、とてつもなく恐ろしかった。 夢にまで望んだ世界から自分の愚かな選択のせいで消えるから、ルイに会えなくなるから、それだけではない。


 景色が流れていく。



『あまり心配をかけさせないでくれ。 お前は、立派な五人目の家族なんだからな』

『大好きだよ、蒼。 私が側にいるからね』



「……俺の、家族」



 優しい父親と朱莉の声。 ビルの上、そしてベッドの中。 景色は巡る。



『楽しそうやなぁ。 最近ずっとそんな調子だな』

『私にも、出来るのかな? 小波みたいな生き方』



「……俺の、友達」



 霧矢と刹那の、和やかな声。 公園のベンチ、夕暮れの帰り道。 景色が揺れ、新しい声が聞こえる。



『ははは、毎日毎日いいねー少年!! 頑張れー!!』

『ルイルイを幸せにできるのは、アオくん……あなたしかいない、私はそう思う』

『後悔しないように生きる。 あなたが教えてくれたこの言葉は、今でも私の財産ですよ』



「……俺の、仲間」



 ミミアとセナ、琴音の力強い声。 教室で、星空の下で、降りしきる雨の中で。



『俺と、どっかで会ったことあるか?』



「……俺の、ライバル」



 主人公、ハヤトの声。 桜散る広場の中。


 彼らのことが、忘れられない。 しゃくりあげ、その度に涙が零れていく。


 蒼は、色濃い毎日を走り続けた。 そうして突き進む内に、いつの間にか育んだ絆があった。

 前の人生にはなかった、濃密で尊ぶべきものだ。 だから、この墓場の景色は色鮮やかだった。


 ルイだけではない。 必死に生きた蒼には、失いたくない大切なものが、気がつけばたくさんあった。 蒼はこの世界を、愛していたのだ。


 だから、なおさら自分の愚かな選択を憎く思うし、死が恐ろしく、苦しいのだ。


 景色が消えていく。 黒く、暗く。 彼の命が、静かに消えようとしている。

 蒼の大切な少年と少女たちの幻影が暗く沈む光景の中にうっすらと浮かんでいたが、それすら静かに透明になっていく。



「嫌だッ!!」



 蒼は、沈む世界に向かって吠えた。 あのときと同じ、体が少しずつ浮遊感に包まれていく。



「まだ、生きたいんだ!! 皆のいる世界で!! ルイのいる世界で!!」



 走り回り、死神に訴える。 手が幻影を掠め、一人、また一人と消えていく。



「ああ……ああ……!! イヤだッッッ!!」



 子どものように泣き叫ぶ。 刹那が、琴音が、暗闇と同化する。 最後に残ったルイが、背中を向けて暗闇の中へと歩み去っていく。


 彼女を追い求め、果てのない暗闇を彷徨う。 壁にぶつかることもなく、ひたすらによろめいて消えたルイを探す。


 力が抜けて、倒れた。 ううという嗚咽が口から聞こえる。

 あまりに、未熟だった。 自責、怒り、悲しみ、後悔。 蒼は鋭利な感情に苛まれて吠える。

 暗闇に、彼だけが取り残される。



「もう一度、もう一度だけでいい……!! ルイに、皆に会わせてくれよぉ……!!」



 憎むべきは、己。 臓物を腹から引きずりだしたくなるような憎悪と、臓物を口から吐き出したくなるような後悔が叫びに変わる。

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