第八十九話『愛と愛 その2』
小波の胸部に飛びつき、そのまま進む。
小波は崩れ落ちそうになりながら後退し、瓦礫に体を押し付けられる。 腕を押さえたルイの腹に、小波の膝が刺さった。
体がわずかに持ち上がりくの字に折れ曲がる。
それでも腹にしがみつき、小波の体から離れない。
がむしゃらにもがく小波が両手を合わせて大きな拳を作り、槌のようにルイの背中を何度も殴りつける。
衝撃が体全体に伝播し、骨がひび割れる音がした。
(放すか、放すもんか!!)
あの日、自分の手で彼を突き放した空しさが、未だに手の中に残っている。
その虚無感と、強い後悔が、彼女をさらに強くする。
今一度、体を起こして小波の腕にしがみついた。 瓦礫に身を擦りつけながらもみ合う少年と少女。
立ち位置がめまぐるしく変わり、乱雑な暴力と確固たる意思が溶け合う。
小波が足をもつれさせる。 ルイは覆いかぶさるように小波を押し倒した。
「大人しくしなさい!!」
猛獣の叫びを前に、ルイも声を張った。
小波の手がルイの首元へ伸び、締め付ける。
体が回り、息が詰まったと思ったときには、今度は小波がルイよりも上にいる。
拳が降り掛かる。 首を傾けて拳をいなし、しがみついてまた小波を押し倒す。
もつれ、もがき、押し倒し、倒され、乱れる。
神聖で美しい装衣は泥と小波の血に塗れ、高ぶった意識は背中に張り付く瓦礫の破片からくる痛みを認識から排除した。
小波がルイの上に再び乗る。 何度も、何度も拳を振りかぶった。
数え切れない拳の何発目かを、ルイは反射的に腕で防いでしまう。
痛みに、握り締めた手がほつれる。
腕輪が、カランと地面を転がった。
(しまった……!!)
腕輪に手を伸ばそうとした矢先、小波の両手がルイの首元を押さえた。
凄まじい握力に気道が瞬く間に閉塞し、それ以上に首ごとへし折れそうだ。 両手が本能的に拘束を解こうとするが、片手を何とか外して手を伸ばす。
「くッ……!!」
届かない。 指先よりも拳数個分先の場所に、腕輪は横たわり続ける。
こっちに来い。 苛立つ脳内で腕輪を怒鳴りつけるが、無機質な腕輪は応えない。
酸素を求め、体が危険信号を出す。 小波の濁った瞳は、自分の死期を察して血走っていた。
それでも、握りつぶさんとする力は強くなっていく。
腕を必死に伸ばす。 欠乏した酸素が視界を朧に塗り、虹色の腕輪が遠のいたように思えた。
小波が片手を外し、拳を構えた。
その手に灼熱が宿る。 マズい。 今のルイに、それをかわす術はない。
(届け……届きなさいよ!!)
出鱈目に体を動かして腕を伸ばす。 だが、やはり届かない。
小波が、拳を振り上げた。
「蒼ッッ!!」
突き刺すような誰かの声が、小波の動きを止めた。
朱莉だった。 瓦礫をどけてきたのだろう、制服はコンクリートの粉まみれだった。
小波は、自分が捕まえた敵の排除を優先し、ルイを見下ろす。
愛しい兄の元へと走る朱莉の姿。 拳が、頂点へと掲げられた。
「ダメッ!!」
朱莉が、振り上げられた小波の腕に抱きついた。
直後、朱莉の悲鳴が木霊する。
小波の腕が纏うのは、焦熱の炎。
それにしがみつくなど、『煌神具』を起動してもいない生身の人間に、耐えられる責め苦ではない。
しかし、目から涙を流しながらも、朱莉は歯を食いしばって果敢に小波の腕を食い止め続ける。
小波は、朱莉を気にかけることなく拳を振ろうとする。
朱莉の全力など、今の小波にとっては空気に等しい。
だが、彼が気を散らせた一瞬こそが、好機。
「早くッ!!」
朱莉がつま先で腕輪を弾く。 ルイは、その手で朱莉の想いをしっかりと受け止めた。
そして――
小波が拳を振り上げるよりも早く、ガチリと、重い音が響いた。
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