第八十八話『愛と愛 その1』
心の中に焦燥が芽生える。
小波の体は秒を読むごとに壊れていく。 腕輪を装着させるには身動きを止めねばならないが、彼の体に危害を加えることは、彼の死を早めることに相違ない。
だから、迂闊に手を出せない。 しかし、手をこまねいていることもまた、彼を殺すことである。
そして、小波 蒼は。 死が近づくほどに、さらに動きを研ぎ澄まさせていった。
「ォォォォォオオオオオッッ!!」
小波が均衡を揺るがすべく吠えた。
また一つ、彼に傷が増える。 傷が、彼を強くしていくようだった。
互いの叫びが、刃と共にぶつかる。
小波の手の亀裂から大量の血が漏れ、柄頭から落ちていく。 それに気を取られている隙を縫って、小波が剣を振り抜いた。
ルイは横によろめき、小波が手に風を纏う。
ルイもその手に二色の雷霆を生み出した。
近距離での力の激突は、強い斥力で二人を真反対に吹き飛ばした。
「くッ!!」
背中を打ちつける。 腰を上げたルイに、いち早く立ち直った小波が詰め寄る。
力任せに叩きつけられる一撃を、刃を水平にして受け止めた。
勢いで再び背中が地面に押し付けられ、小波の乱暴な攻撃が続く。
二撃目、三撃目。 そのたびに熱が体を蝕み、表情が苦悶に歪む。
小波が一際高く剣を振り上げる。 ルイは体を回転させてその一撃をかわした。
爆心地から吹き上げる熱は甘んじて受け止め、衝撃に体を持ち上げてもらう。
空中で体勢を整え、滑るように着地した。
機能を失いかけた肺で繰り返す、嗄れ切った呼吸が聞こえる。
小波の目から落ちる赤黒い液体。 瞳は濁っている。
最早彼に視力が残っているのかすら定かではない。 だが、その死んだ目には、未だにありありとした闘気が浮かび、死すらを凌駕せんとしたあまりに強い意志が、彼のぼろきれのような体を動かしていた。
「如月……ハヤト……!!」
その状態でありながら、彼は敵の存在を捉え続ける。
剣を構えた。
「お前さえ……お前さえいなければ、ルイが……幸せに……!!」
愛故に。
シュゴウに侵された思考の中でも、自分の刃がルイを救うと信じて、彼は戦う。
ルイを救うために、絶対に、敵を打ち破るまでは死んでたまるかと。
だから、彼はさらに加速し、さらに強く吠え猛る。
小波が黒縄を討ったあの日も、彼は同じように戦っていたのだろうか。
その愛を、強い刃に変えて。 彼の繰り出す一撃、それは全てルイへの愛だった。
(私って……本当に、これ以上ないほどに愛されてたのね、小波)
元々は、シュゴウの精神汚染が生み出したもの。
それでも、彼からの愛を、ひしひしと感じてしまった。
胸の奥……心の熱が、さらに強くなった。 熱は、涙をこみ上げさせる。
ルイは一度胸に手を当てて、それから強い眼差しで小波を見つめた。
狂い荒ぶ水色の灼熱。 純然たる自然現象の塊……亜種でないにも関わらず、その力は圧倒的だった。
ルイの背中に、一対の黒い翼が現れた。 体よりも二回り以上巨大な艶かしい翼はルイを守るように丸く閉じると、熱風から容易く主人を守り切る。
翼が黒い光の粒子へ還ると同時、小波が疾駆した。
「……あなたを、死なせてたまるもんですか」
息を吐ききり、刀を構える。 雷火が弾け、ルイは時計の秒針が動くよりも早く刀の間合いに小波を落とし込んだ。
刃が火花を散らす。 息つく間もなく次の一閃が繰り出される。
幾度となくいなし、何合と打ち合う。
小波が愛を刃に変えているのと同じように、ルイが駆る牙もまた、彼への愛だった。
涙を、思い出す。 抱き合って二人で崩れ落ちたあの日の夜のことを。
お互いを想う故に、お互いを傷つけてしまったあの日の夜のことを。
あのときと、ある意味では同じだなと思いながら。 小波と刃を重ね続けた。
「う、ああああああああッッッッ!!!!」
ルイが刀に乗せて声を張る。 ギリギリで保たれていた均衡が、崩れる。
打ち合うごとに小波の剣が押し込まれていく。
彼はさらに加速するが、ルイの動きはそれをさらに上回った。
剣閃が舞う。 小波が僅かによろめき、次の攻撃への対処に一瞬の遅れが生まれる。
次いでルイが下から斬り上げた一撃が、小波の剣を上空へと弾き上げた。
刀を投げ捨てる。 しまっていた腕輪を胸元から取り出し、ルイは一直線に小波の元へと突っ込んだ。