第六十一話『掛け違うボタン その3』《閲覧注意》
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腰に押し付けられる手すりの鈍い痛み。
しかし、そんなことよりも唇に伝うルイの感触は絶対的で、脳天に昇って思考を甘く溶かす。
柔い唇の感触の間から、かすかなルイの息遣いを感じる。
それすらを押し殺すように、ルイは蒼の唇に自分のそれを強く押し付けた。
誰よりも彼女に近い距離。 睫毛の一本一本すら見える。 ルイの細く清涼な匂いが、先程まで食べていた美食の味を忘れさせるほどの艶美さで鼻腔を突いた。
歯がぶつかるが、ルイの舌が蒼の舌をなぞるたびに、ガラスをすり抜けて夜の街へと落ちるような浮遊感が体を揺する。 ルイの味というあまりに未知のものに、体が固まる。
ルイを押し返そうとする手に、力が入らない。
ルイは蒼をガラスに押し付けながら、幾度となく唇を重ねる。
火照る体はその天井を知らずに熱を帯びていく。 唇の端から漏れた熱い息が頬を撫で、また一つ思考が消えた。
一瞬の永遠だった。 十階に着いたようだ。
ルイが唇をゆっくりと離し、頬を上気させながら荒い呼吸を繰り返す。
ルイとキスをした。 何度も妄想で描いたキスの光景。 ルイの柔和で耽美な感触。
全てが現実だった。 本能は狂気じみて喜びを湛え、思考は焼き切れんばかりに加速しだす。
だが、理性だけが冷静に、その行為を拒絶していた。
ルイの悲しみに満ちた顔を見て、欲情はできまい、と。
開いた先は、照明と華美な絨毯、絵や花瓶の並ぶホテルの廊下。 ルイは蒼を引く。
「チェックイン、もう済ませてるから」
「ルイ、ちょ、ちょっと、待っ……!!」
カードキーを扉に翳し、扉に入る。
部屋は豪華で広いが、内装に気を配る余裕はない。
寝室まで、暗いまま突き進む。 窓際は眩い夜景が眺望できるガラス張り、部屋の暗さも相まって様々な色が宝石の輝きのように溢れる。
ルイは蒼をベッドに投げ出した。 抵抗の出来ない蒼の体は柔らかい布団に受け止められ、ルイは窓へと歩いてせっかくの景色をカーテンで遮ってしまう。
カーテン同士を合わせ、そのまま止まった。 何か、決意を固めるような仕草だった。
「小波。 私のお願い、聞いてくれる?」
いつもだったら、即答していただろう。 君のためなら何でも、と。
だが、蒼に向いた瞳の揺れが、そうは思わせなかった。
蒼の元に舞い戻ったルイは起き上がろうとした蒼の肩を軽く押し、蒼はそれに逆らうことが出来ずに天井を仰ぐ。
ルイの軽い体重が蒼の腰の上に乗る。
「な、なにを……?」
馬乗りになったルイを退けようと伸ばした蒼の両手首が掴まれ、ベットの上に組み伏せられる。
垂れたツインテールが頬を撫ぜ、一滴の涙が頬に落ちた。
「私を、抱いて」
言葉の意味を理解するよりも早かった。 ルイの青い瞳が近くなっていき、再び蒼の唇にルイの唇が乗せられる。 聴覚が遠のき、息が詰まる。
舌先に触れる柔く湿った感触が奥へと侵入し、絡まる。 ルイの頬を伝った涙が蒼の頬にも伝い、高ぶる熱の中に冷ややかな一滴が流れていく。
足が絡まり、蒼は身動きが取れない。
唇を重ねる最中、不意に両手の拘束が外れる。 蒼が腕に全力を込めてルイを押しのけようとするが、彼女はそれを意にも介さず自身の背中に手を回した。
じじじ、とファスナーが降りる音の後、ルイの纏ったワンピースが、花が落ちるようにふわりとほどけた。
足で雑に押しのけられたワンピースがはらりとベッドの外に落ちる。
唇がようやく剥がれる。
酸素を取り戻した蒼の視界が、薄暗闇の中で、白く淡いルイの柔肌を克明に映し出した。 傷一つない白い肌に思えたが、ただ一つ……左腕に絆創膏が乗っていた。
夢にまで描いた少女の細くくびれた体が、理性を瓦解させようとする。
その肌に触れたら、どれだけ心地が良いだろう。
が、蒼は唇を血が出るほどに噛み締めて、理性を優先させた。
「ルイ!!」
「お願い!! お願い……!! 私を、抱いてよ……」
ルイも必死だった。 下着が蒼の胸の上に落ちる。
蒼の片手を取ると、ルイは曝け出された己の仄かな双丘に手を運び、押し当てた。
ぞっとするほどに、柔らかかった。 そのまま手が彼女の中へと溶け落ちていってしまいそうなほどに。
蒼の頬に、二つ涙が落ちた。
ルイが手に力を入れると、蒼の手がルイの胸へ沈み込む。
そのさらに奥に、低く唸る拍動があった。 ぼろぼろと大粒の涙が零れ、蒼を濡らす。
「私、苦しいの……!! こんなに苦しかったことなんてない……! 黒縄の毒なんかよりも、ずっとずっと胸が苦しい……!!」
ルイは片手を胸に押し当てたままもう片方の手で蒼の服のボタンに手を掛ける。 一つ、また一つ外れていく。
「あなたの気持ちは嬉しい……本気で、心の底から愛してもらってるって実感する……! 他の男なんかとは違うわ……あなたが私に会いに来てくれて、本当に嬉しい……! でも、だからこそ……それに応えられないのが、苦しいの……!!」
ボタンが全て外れ、服がはだける。 胸に落ちた液体は、冷たい。
「だから、せめて、これぐらいは……! これぐらいしかあげられない私を許して……!」
胸に当てた手を離し、ルイの手は、蒼の胸の傷を撫でる。
「ルイ…………俺が君を好きでいることが、君を傷つけるんだね」
蒼は、また覚悟を決めなければならなかった。
2つの人生を経て固めた大きな覚悟を、捨てる覚悟だ。 蒼は片手を優しくルイの肩に添え、押す。
ルイの体はあっけなくベッドに横たわり、今度は蒼が体を起こしてルイを見下ろした。
花のように広がる金色の髪、青く勝気な瞳は、泣くにはもったいないほど美しい。
涙がこみ上げる。 だが、この場で泣いていいのはルイだけだと思った。
蒼は、努力して笑みを作った。
「あのときの勝負、ルイの勝ちだよ。 降参だ」
手の甲で頬を撫ぜる。 ルイの目からまた涙が零れた。
蒼の喉にもう言うまいと思っていた言葉が込み上げる。
言葉だけを表すのは、難しい。
「ルイのことはもう――諦めるよ」
口の中が血の味でいっぱいだった。
「もう大丈夫。 もう、大丈夫だよ。 苦しめて、ごめんね」
ルイが堰を切ったように泣き声を上げる。
「お礼なんて、しなくてもいい。 君と過ごせた日々が、俺には一生の宝物だから」
目元を押さえて大きな声で泣き叫ぶルイに覆い被さり、抱きしめる。
ルイも蒼の首元に手を回すと、息が出来ないほどに強く蒼を抱きしめた。
「うぁ、ごめ……ごめんなさい……!!」
「ううん。 この日々は、俺の2つの人生で一番幸せだった。 ありがとう、ルイ」
蒼は泣かなかった。
丁度、窓に水滴がぶつかる音がし始める。
空が、代わりに泣いてくれていた。
蒼は、泣かなかった。
その4に続きます。
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