第五十六話『代償』
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次回から第九章です、是非お楽しみください。
「な、なんですかこれ……!!」
琴音がたたらを踏む。 それほどに、大地が鳴動していた。 爆発が収まるが、いまだに大地の震動は消えない。
「行ってみよう」
セナの言葉に、一同は頷く。 五分ほど歩いたとき、ミミアが掠れた声で言う。
「うっそでしょ……」
大地が、死んでいる。
岩は水色に爛れ、大地には工業排水でも溜まったかのような液体が水溜りを作っている。
対照的に、焼け落ちた灰からは未だに淡い水色の炎が燻っている。
「誰か来る……」
ハヤトは死んだ大地から歩いてくる人影に目を凝らす。
その人物が誰かを認識した瞬間、ハヤトたちは一斉に身構えた。
「黒縄!!」
怨敵だった。
黒髪に、水色の瞳。 この世界にやってきたハヤトが出会った、最初にして最悪のもてなし人。
その名は、黒縄 リリア。
だが、何か様子がおかしい。
「ハハハハハハハハハハハハハハハッ!!! アハハハハハハッ!!!」
この耳障りな金切り声が聞くたびに不愉快なのは言うまでもない。
その狂気に満ちた瞳も、口元にある邪悪な笑みも、前に見たときと何も変わりはしない。
ただ、彼女は見たことが無いほどに傷ついていた。
体は血だらけで、泥がそこら中を汚し、乱れた黒髪が顔面にかかっている。
憔悴しきって肩は上下し、『毒神具』を使う余裕すらないらしい。 引き裂かれた黒装束は無残だった。
その目は、ハヤトではなく、その奥にいる誰かを見ているようだった。
ゆっくりと腕をもたげ、黒縄は指差した。
……ハヤトの奥にいる、ルイを。
「アハハ、御機嫌よう、早乙女のお嬢さん! ねぇ、教えてよ……あれは誰!? あんなにいい刃を、どこで見つけてきたの!? アハハハハハッッッッ!!」
ゼェゼェ、と酷く掠れた声で悦びと痛みに身を委ねる。
顔面を手で押さえ、愉悦とともに、珍しく恐怖の色を滲ませて悶える。
「ありえない……この私が……? ふふ……殺される……? こんな場所で……? 誰とも知らない男に……!? ふふふふ、アハハハハハ……!!!! 何故!! ハハハ!! おかしい!! 面白いわね!!!! どこであんな恨みを買ったのかしら……?」
次の瞬間だった。
黒縄の胸から、何かが突き出した。
剣だ。 投げつけられた剣が、黒縄の胸を突き破ったのだ。
黒縄の口から赤黒い血が漏れ、彼女は至極楽しそうに振り返った。
「ねぇ、あなたは何者!? すごいわ、私を殺すなんて!! 私の耳に、そんな存在がいたなんて情報は入ってこなかったわ!! アハハハハハハハッ!! 理不尽ねぇ!!」
「気にするなよ……俺は、ただの、モブ、さ」
ルイが、息を呑んだのが分かった。 黒縄と対峙する一人の少年。
……何故立てているのかも分からないほど、ボロボロだった。
水色に濁った瞳の脇から、赤い血がボタボタと垂れている。
体には痛々しい水色の裂傷が走り、そこから血がとめどなく流れ落ちていた。
体内を焼き焦がされたように、口元から黒い煙が吐き出される。
最早視点に焦点が定まっていない。 黒縄に与えられた傷も見るに耐えない。
左腕は折れているだろう。
散々わめき散らした黒縄の声帯が、動きを止める。
開いた両腕も停止し、彼女の体はそのまま仰向けに倒れた。
小波 蒼は、黒縄の最期を見えているかも分からない目で追うと、ハヤトたちの方角を朧げに見つめ、言った。
「も、もう……だい、じょ、ぶ」
口元は、笑っているようだった。
少年の体が、重力に負けて、倒れ伏す。
水しぶきが高く上がった瞬間、ルイが我に返って悲鳴に近い声を上げた。
「小波ッ!!!!!!!」
黒縄の死体を飛び越え、薄汚い水しぶきを上げながらルイは小波の傍まで行き、膝をついてしがみつくように蒼の体を抱く。
「ちょっと!! 小波!! しっかりしなさい!! な、何よこの傷……!」
今にも泣き崩れてしまいそうなルイの声に、セナたちが遅れて駆け寄った。
ハヤトは黒縄の傍に屈み、脈を測る。
彼女は、間違いなく死んでいた。
「バカな……」
最強の魔法使いと謳われたハヤトでも手をこまねいた相手が、殺されている。
一体あの少年はどんな力を……いや、“どれだけを犠牲にして”、黒縄を斃したのか。
「小波くん!!」
「蒼!!」
見知った顔の冥花と、FNDの面々が遅れてやってくる。
冥花もなりふり構わず屈み、小波の容態を診た。
小波は、白目を剥いていた。
「ね、姉ちゃん……小波っち、どうなって……」
「先生、さ、小波が……」
「話は後!!!! 医療班!!!! 早く!!!!!!!!」
冥花の恫喝に、FNDの面々が凄まじいスピードで入り乱れる。
応急処置を施される小波の近くへ歩み、ハヤトは眉をひそめた。
「何故……どうやって黒縄を……あの力だけでは、勝てるわけがない……」
冥花が爪を噛みながらぶつぶつと呟いている。
「なぁ、冥花」
「如月くん。 テロリストの件はお手柄でした。 でも今あなたと話している時間は……」
「――コイツ、何で腕に起動装置を二つつけてるんだ?」
ハヤトの言葉に、冥花は目を見開いて蒼の亡骸に近い体を見下ろした。
小波の両腕には、一つずつ起動装置が巻きついていた。
「まさか……2つの『煌神具』で、あの力を……?」
冥花の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「早く!! 彼を病院に!!!!!!!!!!」
☆
体が軽い。 解放されたのだ。
黒縄が死んだことで、彼女が体内に残した毒が体の中から消え失せたのを、肌で感じる。
もし今日起きた出来事がこれだけだったら、これほど晴れ晴れしい日はなかっただろう。
だが、目の前で起きる現実が、そうなることを決して許しはしなかった。
「蒼っ!! 蒼ぃ!!」
「朱莉! 落ち着くんだ!!」
山林部の入り口。 生徒たちの野次馬が見つめる中、担架で運ばれ救急車へと担ぎこまれる小波。
泣き喚いて追いすがる妹の朱莉を、父親らしきFNDの男性が必死に押さえていた。
「大丈夫、大丈夫だ。 蒼には俺がついてる!!」
父親の必死の説得に、朱莉の勢いがようやく収まる。
父親は急いで救急車に乗り込み、未だに大声で泣き叫ぶ朱莉を刹那が抱きしめた。
関西弁の少年と、朱莉の友人ら数名も寄り添って彼女を落ち着かせようとしている。
そんな中で、ルイは一人呟いた。
「私の、せいだ……」
先日、小波に聞かされた信じがたい話。 自分たちがいるこの世界が、彼のいる世界では本に描かれていたというもの。
彼は、ルイが黒縄の毒にずっと苦しめられていたことを知っていた。
それを助けようとして、彼はあんなことをしたのだろう。
体は軽いが、心はそれとは対照的だった。 朱莉が、キッとルイを睨みつける。
「あなたの、あなたのせいだッ!!」
泣き崩れる朱莉。
尖った言葉の矢に射抜かれ、ルイは呼吸ができなかった。
セナが肩に手を置いてそんなことないと優しい言葉をかけてくれるが、ルイの体は、石になってしまったかのように動かなかった。