第三十三話『夕暮れの中、君と二人で』
沈む太陽が奥多摩に残された遠くの山々の稜線を赤く浮かび上がらせている。
先日刹那と歩んだ川の縁側。 何だか、あのときとは見え方が違うような気のする蒼。
(なななななななななななななにが起きてるんだッッッ!!!)
やはり、喜びと感動は、尋常ならざる緊張と共に後からやって来た。
心臓の鼓動が止まらない。 陽射しが強くなったかのように視界が白んでいる。
鼓動が一つ脈打つ度に身体が妙な方向に動く。 全ての映像が重なって見えるが、横を向いたときに見える天使の姿だけは、後光が差したようにハッキリと見える。
その少女がカツンと靴音を鳴らせば、金色の二つの尾が軌跡を生む。
青色の瞳は宇宙に存在する全ての青色に勝る。
蒼の最愛の想い人が隣にいた。 モブとしてすれ違うのとは訳が違う。
苦節二年、今彼は、世界の中心にいる遥か高嶺の花の側に、拒絶されることなくいる。
彼女は蒼の存在を認め、感じているのだろう。 それほど大げさでないにしても、彼女は確実に蒼を認識している。
ルイと今、一緒に帰っている。 中学時代の自分がこの光景を見たら、どう思うだろう。
同じ道を歩き、同じ場所を目指し、二人だけで、会話を交えながら,一緒に帰るのだ!
夢ではないか? だが、夢ではないのである。 この瞬間を噛み締めないといけない。
蒼は口を開くが、あれだけ威勢よく帰りを誘っていたくせに、中々言葉が出てこない。
寮は近づいてくる。 一生着くなと祈りつつ、蒼は顎の関節に鞭打ちながら言葉を――
「あのあのあのあのあのあのあのあのああああああのあのあああああの」
「落ち着きなさい」
「どうどうどうどうどうどうどうどうどうどうどうどどどどどどどどうしてどどどど」
「馬でも操ってるの?」
紡げなかった。
蒼はタンマと言わんばかりに立ち止まり、膝に手を当てて呼吸を整えた。
(バカ野郎、後悔したくないだろ!! どうしてこうなったか分からないけど、絶好のチャンスだよ!!)
「ど、どうして、急に、俺と、一緒に……!?」
息切れしながら、蒼はルイを見上げて問う。
見上げたその顔が美しすぎて動悸がまた乱れる。
「火威さんに頼まれたのよ」
「刹那が……?」
あのウィンクはそう意味だったのか。 刹那の大きすぎる手助けに、どんなお礼が相応しいかが分からない。
「それに。 一応私も、アンタにお礼を言わないといけないしね」
腕を組むルイ。 茜色の光を浴びながらも、その金と青は塗り替えられることなく輝いている。
お礼。 ルイが、蒼に、お礼。
「余計なお世話ではあったけど、アンタが岩槻を叩き潰してくれたおかげで、私の退学がどうとかいう話はチャラ。 それに、スカッとしたわ。 感謝してる」
「……………………」
「ちょッ!! 何で泣いてるのよ!!??」
「ごめん……ずっと我慢してたんだけど」
「我慢してたの!? 何でよ!!」
自分でもこんなに制御の出来ない涙は初めてだった。 抑えようとしても、血のように勝手に出てくるのだ。
……いや、血のようなものかもしれない。
その感涙には、彼女に会うために、蒼が世界の片隅で死に物狂いに努力した血が混じっているのだ。
「まさかあなたに、感謝される日が来るなんて。 一緒に帰れるだけで、夢のようなのに」
目元を拭きながら、上体を起こして蒼は涙ながらに笑う。
隣を通り過ぎた中年の夫婦が、蒼の言葉を聞いて明らかに彼を二度見していった。
ルイが蒼の言葉を咀嚼し、それから頬を赤くさせた。 片腕で顔を庇うようにし、後ずさる。
「い、いきなり変なこと言わないでよ!! さっさと帰るわよ!!」
ルイは振り返ってずんずんと歩いていく。 二つの尾っぽが怒ったように跳ねていた。
蒼は今一度涙を拭いて彼女を追いかける。