第二十七話『求める力の理由』
「……確かにぼくは、冥花先生から『堕天狂化』の知識を盗みました。 その理由は、どうしても話せません。 そして、冥花先生に腕を斬り落とせと言われようと、ぼくはこの力を手放す気はありません。 才能に見放されたぼくにはどうしてもこれが必要なんです」
冥花先生は煙草を噛む。
物語の内側に座する存在の力強い圧を前に、蒼は拳を握り締めて耐える。
「いいですか。 確かにこの実力社会では、同情を禁じ得ない才能の差があります。 しかし、その力でトーナメントを勝ち残ろうとも、名誉にはならない。 己の寿命を縮めて誉れを得ようとする戦士など、ただの自己満足の愚か者です」
「ぼくは誉れが得たくて如月 ハヤトの前でこの力を使ったんじゃありません。 “ぼくがどうしても倒さなければいけない敵が、如月 ハヤトより強かった”。 だから、先ずは彼を倒して、自分の実力を確認したかったんです。 彼は特別です、だからこの力を使いました。 他の誰が相手だろうと、この力は使わなかった。 誓います」
「……倒さなければいけない敵とは、何です? まだ若いあなたに、不俱戴天の仇でもいると言うのですか?」
「います」
蒼は即答した。 それくらいは、話しても差し支えないだろう。
「先生。 もし……最愛の人が、必ず死ぬ運命にあるとしたら、先生ならどうしますか?」
「?」
「そう……例えば、本を何度読み直しても結末が変わらないように。 自分の一番愛した人が、遠くない未来に誰かに殺されることが決定していたら」
蒼はコーヒーを口に運ぶ。 豆が違うのか、はたまた転生して他人になって味覚が変わったせいか、その一口はとてつもなく苦かった。
「そして、もし自分が、それを変えられるかもしれない唯一の人間だったら、どうしますか。 自分以外の全てがただ一つの結末に向かう中で、自分だけが別の道に向かうための特異点になれるかもしれなかったら。 もし自分に微力しかなく、才能もなく、世界の片隅にいたとしても、自分の愛する人が死なない未来を作るために怨敵を斃さねばならないのなら、ぼくなら、何をしてでも、その敵を斃します。 先生も、そうしませんか? ぼくは、そうします。 それだけの話です」
冥花先生の瞳が見開かれる。
彼女には、蒼の話は理解しやすかっただろう。 “死にゆく大切な恋人を守るために、『堕天狂化』という外法の力に手を出した彼女には”。
ピピピ、と場違いな音が鳴った。 冥花先生は少し不機嫌そうに自分の携帯の着信に応えた。
「はい……はい。 分かりました。 それでは十分後に」
どうやら、呼び出しのようだ。 この息苦しい尋問もこれ以上続くことはないだろう。
コーヒーをもう一口飲む。 やはり苦いままだ。
「……あなたの言うことを、私は半分程度しか理解していません。 しかし、あなたが何か、危険なことをしようとしているのは分かります」
「ぼくを、どうするおつもりですか?」
立ち上がった冥花先生を見上げる。
「私が理解したのは、あなたが誰かを救いたいと強く願っているということです。 あなたのその気持ちを、曲げさせることは出来ないでしょう。 その怨敵とやらについて、そしてあなた自身のことについて、また聞かせてください。 私もこう見えてFNDのエースでしたから。 あなたの力になります」
蒼は面食らう。
正直、権力だのなんだのを行使して蒼の動きを封じ込めに来るのかと思っていたが。
力になる。 その言葉には、温もりが込められていた。
母の抱擁を受けるような気持に、頬が痛くなる。 この人になら、ずっと抱えてきたものが話せるかもしれない、そうも思えた。
何より、モブを自負する蒼に、メインキャラからの厚い気遣いがあったことが、嬉しかった。
「い、いいんですか?」
「私は、あなたの担任の先生ですよ、小波君。 あなたに危険な真似はさせません。 それと、その力は絶対に使わないように。 では私はこれで。 また学校で会いましょう」
冥花先生は煙草を灰皿に押し付け、それから「支払いはこちらでやっておきます。 これから来る人の分も出しておきますから、お好きに注文してどうぞ」と言葉を残す。
「いいですよそんなこと!!」
「今言いましたけど、私はあなたの担任の先生。 まさか、生徒と教師で割り勘なんてできないでしょう? では」
冥花先生は黒髪を揺らしながら去っていく。
彼女の吐き出した煙だけが、まだそこに残っていた。
すれ違いで、刹那が店に入ってくる。 ぺこぺこと冥花先生に頭を下げながら、刹那は蒼を見つけて小さく手を上げた。
「ごめんね遅れちゃって! ちょっと準備に時間かかっちゃって……」
「大丈夫。 俺も来てから全然経ってないよ」
刹那が席に座り、それから咳き込んだ。
「何か煙草臭いね」
そう言ってから、刹那は側に置かれた灰皿を見下ろす。 煙草が一つ、転がっている。
「……小波、タバコ吸ってる?」
「そんなわけないだろ」
そう言って二人で笑い合う。 その隙間に、蒼は店の入り口の方を見やった。
くすくすと上品に笑う金髪の少女。 その青の瞳は、相変わらずハヤトのことを一途に見つめていた。
(ルイ。 俺が――必ず君を救ってみせる)