第二十四話『光が眩しくて、影を感じる昼下がりに』
呑気な日曜日の昼下がり。
蒼は今日、刹那と課題を終わらせるべくとある喫茶店に足を運んでいた。
明日から学年別トーナメントの三回戦が開始されようとしている中、休みだというのに学校へと鍛錬へ向かう三回戦出場選手たちとすれ違いながら喫茶店に来た蒼の心情は、さながら自分の学年だけ学級閉鎖になって登校する他の学年の子を窓から眺める小学生のものであった。
この後、メインヒロイン白峰 琴音と主人公如月 ハヤトの熱い三回戦があるわけだが、蒼にはそれほど興味のあるイベントでもないし、蒼自身惜しくももう出番はないので、普通の学校生活に戻って来たようなものだ。
刹那はまだ来ていない。 蒼は店の奥の四人掛けテーブルに一人腰かけてメニュー表を眺めている。
客足は多いが、皆会話には落ち着きがあり、奥行きのあるジャズのBGMがしっとりと心を落ち着かせる。 コーヒー豆をミルで挽く音に乗って、豆やエスプレッソの香りがやってくる。
「いらっしゃいませー」
カランカラン。 そんな音とともにまた、紳士や淑女が来店する。
と、思っていたのだが。
「まったく、ほんとにアンタって男は……三回戦、殺されないといいわね」
「ふふふ、まさかあの白峰 琴音ちゃんの胸を鷲掴みにして、カンカンに怒らせちゃうんだもんね。 どれだけの女の子の胸を揉めば気が済むんだこのスケベ~」
「わざとじゃない……」
まさかの幼馴染三人組の登場である。 シナリオにない場所での遭遇は、中々驚く。
トップアイドルのセナと早乙女家のルイ、そして件のトーナメントで話題を掻っ攫ったハヤトの三人の入店は、静かなジャズの奥で不可視の意識の集中を招いた。
彼らは遠くの窓際に座り、店員が軽快なステップで注文を取りにいく。
……軽快なステップ?
「しゃっせ~! おー、皆お揃いじゃ~ん! 注文どうする? アタシのおすすめはね~」
「出たわねギャル女」
「ちょっとぉ、疫病神みたいな言い方しないでよ~」
「ミミア、ここで働いてたのか」
「そっ。 どう? 似合うでしょこの制服。 見惚れちゃうなよ~? あ、でもこの前みたいにスカート引きずり下ろしたりするのはなしだかんな!」
「あれは事故だ! 変な言い方しないでくれ……」
「そうそう。 毎日起きる事故なのよね」
全く物怖じしないと思えば、セカゲンのピンク担当、羽搏 ミミアの御登場である。
そういえばこのころから、主人公一行に彼女は付きまとっているのだった。
中世のメイド風の制服を纏った彼女がくるくると回り、セナが可愛い可愛いとニコニコ手を打っている。
何だか、眩しい。 窓の近くで光が差す彼らと、店の奥にいる蒼には、確かな明暗の差があった。
だが、それだけではない。 彼らが放つ力強いエネルギーとか、オーラとか、そんな華やかな何かが彼らの周囲を明るく彩っているのだ。
店の奥にいる蒼の周りは暗く影が差してどこか陰湿で、あれだけ雰囲気を出していたコーヒーの香りすら今はかび臭く思える。
彼らはいつだって世界の中心で、蒼はいつだってモブであった。 あの光に届こうともがくのは、身の程知らずなのかもしれないと、心のどこかで思ってしまう。
「ご注文はお決まりですか……って、蒼……!」
注文を聞きにきた店員が固まっている。 見上げると、その店員は朱莉であった。
メイド服を身に着けた彼女は、頬を赤らめ、片目だけで蒼に抗議の視線を送りつけている。 注文票を握り締めて顔を寄せ、朱莉は小声で言った。
「どうして来たの? 私のバイト先には来ないでって言ったじゃん」
「あー。 言われたけど、どこがバイト先かは聞いてないと思うな」
そう言われると、朱莉は目を少し丸くして、確かにと顎に手を当てた。
蒼は、言葉を付け足す。
「でもその制服、似合ってると思うよ」
「…………………………バカ蒼。 もういいから早く注文してよ」
朱莉の顔がポッと赤くなる。 制服を身内に見られるのがよっぽど嫌だったのだろう。
急かされるままに、蒼はメニューの文字の上に手を這わせた。
「じゃあ、コーヒーを」
朱莉から、返事はなかった。 顔色を窺うと、朱莉は不思議そうな顔で蒼を見ている。
「蒼、コーヒーなんて飲むんだ」
「え?」
「あんな苦くてマズいもの一生飲まないって、言ってたから」
「あー、ちょっと、チャレンジしようと思ってさ」
「……ふーん。 じゃあ、コーヒーね。 ちょっと待ってて」
朱莉が怪訝そうな顔で店の奥へと引っ込んでいく。
危ない。 他人の人生のレールの上を行くからには、もう少し何事も慎重にいかなければならない。
「しゃっせ~! あ! ねーちゃん!!」
今度は入り口の方で声がする。
幼馴染三人組のテーブルに居座っていたミミアが、入店した人の顔を見てパァッと顔を明るくしていた。 入店してきたのは冥花先生だ。
ハヤトとセナが会釈をし、ルイは律儀に立ち上がって軽く頭を下げた。
冥花先生もこの心地の良い昼下がりをここで満喫しようということなのだろうか。
会話を交わす主要キャラクターたち。 蒼は相変わらず影の空気を吸い込んでいる。
窓から差し込む光が、なおさら強くなったような気がした。
やはり、冥花先生のような主要キャラクターは、ハヤトたちのような人間と関わるものだ。
一介の生徒である蒼には、関わりなど――
「――少しいいですか、小波 蒼くん」
メニュー表でも見るかと伸ばした、手が、止まる。
蒼の席のすぐ側で、他ならぬ冥花先生が、蒼を見つめていた。