第百七話『狂気が導いた“鍵”』
砂塵と閃光。 蒼は顔を背けてそれをやり過ごす。 爆音が鼓膜をしきりに叩くが、その中でハヤトの舌打ちが嫌に大きく聞こえた。
顔を上げる。 見る影もない大通りの先に、不満そうな顔の黒縄がいた。
その目は、明らかな非難の色を宿して――目の前に佇む、シュゴウを睨んでいる。 殺意に近いほどの怒りだった。
(防がれた!?)
黒縄とシュゴウの周囲には、円形状の焦げ跡がある。 その外側は、見事に消し飛んでいた。
「リリア、帰りますわよ。 長居は無用」
「邪魔、しないでよ」
彼女が原作で何度か見せた怒りの表情は自分の遊戯を邪魔されたときにしか出ないが、今もそれに倣う。
凄まれた視線に、しかし、シュゴウは揺らがない。 このお転婆悪辣な少女が自分に噛み付くことはないという自信でもあるようだ。
「ここは敵の本拠地のど真ん中。 あなたを連れ戻すのがわたくしの役目であり、あなたは大人しくわたくしについてきて、“あの方”に何が起きたのか説明するのが使命ですわ。 血が昂ぶるのは分かりますが、遊びはまたにしなさい。 あなたの獲物は、逃げずにあなたを追ってくるでしょう?」
シュゴウが小さく息を吐くと、口から白煙が漏れる。 既にシュゴウの周囲には霧が形成され始めている。
遠くから、空気を切る音がする。
直後、蒼たちの上空を数十機のヘリコプターが通過していった。 整えられた陣形を組む機体には、FNDのエンブレムが刻まれている。
遅めの到着だ、恐らくシュゴウが根回しをして大量の雑兵をFNDの妨害に回していたのだろう。
それだけ、CODE:Iという組織における黒縄という殺戮に長けた駒が重要ということであろう。 そしてそれは、蒼が黒縄を逃がさんとする理由の一つ。
自分の足が地面を擦ると同時、ルイの足元でも同じ音がした。
「ほら。 FNDの“上”の連中まで出てきたら、面倒ですわよ。 総力戦になったら、さすがに二人でも分が悪い」
後方が、騒がしくなる。
様々な光芒が、触手と兵士たちを生み出す沼の根元を焼き切った。 多くのFNDの隊員が地上を進む。
琴音が保護され、岩槻に肩を担がれる冥花先生の姿も見えた。 蒼たち生徒のために無理をしてくれたのだろう、堕天狂化の影響で体があまり動かなさそうだが、無事でよかった。
喧騒が広がる中、黒縄の目が、ぎょろりと蒼を見た。
「……そうね」
口元が、酷薄に歪む。 黒縄の足元に再び沼が広がったと思った束の間、首をもたげた無数の触手たちが――――シュゴウへ、飛びついた。
突然の行動に、蒼はたじろぐ。
太い触手が黒縄の四肢に固く巻きつき、細い触手がシュゴウの白い肌を這い回った。
「何のつもり」
シュゴウの目が鋭さを宿す。 黒縄は薄ら笑いを浮かべながら、言った。
「あなたの言うとおり、彼は私を追ってくる。 でも、あなたが思ってるよりも、あの子はずっと執拗なの」
蒼がうろたえている間にも、シュゴウの肌を触手が撫でた。
(何だ。 何をする気だ……?)
シュゴウの手首に細い触手が向かっていく。 一方で、巫女服の襟から内側へ入り込むものもあった。
「だから決して、この場から私を逃がしてはくれないのよ」
小さな金属音。
それは……シュゴウの手首から、起動装置が外される音だった。
胸元に入り込んだ触手が、何かを探して蠢いている。
「だから、ここで倒さないといけないの。 せめて、あの坊やたちだけでもね」
「……今度こそ、本当に殺されますわよ」
シュゴウは触手に身を縛られながらも冷静に黒縄を見据えている。 黒縄は目をギラつかせながら好戦的に笑う。
「私は……死なないわ」
自分と同じことを口にした黒縄に、悪寒を覚えた。
同じでありながら、その本質は全くの別物。
戦いを限界まで愉しもうとするその姿勢は、まさに狂気だ。
「地獄には、私を愉しませる戦いなんてないでしょ?」
視線が、蒼たちを縛る。
恐れではない。 漠然とした不安が、戦場に満ちている。
未来を暗く閉ざそうとする、黒雲の如き不安。
「敵の方が強いなら、それを超えればいいだけ。 ……その方法は、あの子たちが教えてくれたわ。 あなた……一つくらいは余分に持ってるでしょう?」
触手たちがシュゴウの拘束を解く。
細い触手の先に、“起動装置と禍々しい黒の鍵をぶら下げながら”、黒縄の元へと帰っていく――
「まさか……ッ!!」