第百四話『ここで、討つ』
毒の光と青の光が強烈に発散し合う。 触れた刃同士から溢れる大量の側で二人の少女の視線が交錯する。
飛び散った青電が黒縄の肌を削るが、一方の黒の光はハヤトの防壁によってルイの命を脅かすことはない。
先に拮抗を嫌ったのは黒縄、背後に飛びずさる。 しかし、追撃すべくルイが人差し指を黒縄に突き立てた瞬間、大空が轟音を打ち鳴らした。
青空にヒビが入るように、いや、青空を更なる青で覆い尽くすように、休みなく閃光が迸る。
人間の抗えぬ自然の摂理が、一様に黒縄を睥睨する。
「落ちろッ!!」
また一つ、空が怒号を発し、雷の鉄槌が超速で落ちる……この場にいる、敵の総本山目掛けて。
大地を穿たんとする一撃の先端には、先ほどルイが投げたのと同じ剣がある。
黒縄は剣が自身を貫く寸前、得物を薙いで剣の横っ面を弾いた。
真横に吹き飛ばされた剣が瓦礫に突き刺さり、青の爆発を起こす。 役目を終えてなお、雷は膨大なエネルギーを放ち続け、周囲の残党たちをなぎ倒していた。
一撃、また一撃。 雷の刃は幾度となく黒縄へと降り注ぐ。
黒縄は双剣で雷神が振り下ろしていると見紛うほどの力をその場で弾き続ける。 それでも、地面に突き刺さる剣が二十を数えたとき、黒縄の剣の一本が耐久の限界を超え、砕け散った。
黒縄は歯を見せて唸りながらすぐに新たな得物を生成するが、二の舞を憂いその場から飛び出した。
突き刺さるごとに、剣は豪快に地面を消し飛ばす。
「落ちろッッッ!!」
今一度ルイが唱える。
頭上の雷たちが竜の如く咆え、その勢いをさらに強めていく。
黒縄を狙い打つ青雷は二の矢との隙をさらに減らし、逃げる先を奪うべく、数を増やして同時に広範囲に落下する。
針の穴を縫うような繊細さと強靭な反射神経で黒縄は雷の間をすり抜ける。
そして、ルイもまた嵐の中に身を投じていく。 未だ鳴り止まない雷と爆炎の中を駆け、黒縄へと挑む。
大量に地面に刺さった剣の内二本を掴み取り、次々黒縄へと投げ放つ。
黒縄はたまらず正面から迫る雷撃を双剣で叩き落すが、ルイが形成した雷霆の嵐の中、戦いを楽しむ表情に変わりはない。 避け、弾き、ルイが投げた剣を強引に叩き伏せる。
その間、一秒として同じ場所にい続けることはない。
裂帛の気合で、黒縄は空から飛来した雷撃を斬り落とす。
溢れ出した黒の粒子が、斬撃となってルイへと迫る。 ルイは拾い上げた剣でそれらをねじ伏せ、さらに攻勢に転じて得物を投げつけた。
「俺は後衛からの支援に徹することにするよ……」
ハヤトが残党を易々といなしながら一人ごちる。 かの魔導王にそう言わしめた雷の降り注ぐ領域は、わずかな隙間もなく荒れ狂っていた。
人を寄せ付けぬ至高神の御許か、はたまた神すら厭う暴虐の地か。
「骨も残らない死に場所なんてごめんだぜ」
だが、蒼は駆ける。
空間認識に意識の大半を注力し、空から飛来する無限の鉄槌をかわしながら剣を振り上げた。 そして、投擲。
「――まぁ、翼をもがれた悪魔には、これ以上ない断頭台かもな」
ハヤトのぼやきを余所に円を描いた剣は黒縄にさらなる追撃を仕掛け、彼女は歯噛みしてそれに対応する。 ルイが叫ぶ。
「アンタに当たっても知らないわよ!!」
「当たったら、俺の人生その程度だったってことだよ!!」
「なら当たらない、わね!!」
空は止まずに鉄槌を振り下ろし続ける。 真横に落ちようとした剣を横から掴み取って自分の得物にし、雷の中を駆けた。
傷口から血が噴き出したのも気に留めず、蒼の振り上げた刃が黒縄のそれと交錯する。
黒縄と蒼はすぐさまその場を離脱、剣の雨を潜り抜け、再び交わる。
魂と魂のぶつかり合い。 体に感じる熱は、外から降りかかるものか、自分の内から沸きあがるものか。
青く細い線が視界の至るところを覆っていた。 そこを、瞬きでもすれば見失うほどの速度で、一際太い青の光が奔る。
それは、黒縄と蒼がぶつかった一瞬に、黒縄の背後を取っていた。
超高速で移動する覇王の姿である。 早すぎて、一筋の雷と見紛うほどの。
「あなたたち、強いわねぇ!!」
黒縄は、振り向かずに剣の一本を背後に添えるだけでルイの一撃を反らした。 膂力と反応速度もさることながら、長年の戦闘経験が全方位の視野を確立させている。
離合集散。 幾度となくぶつかり、その度にギリギリで決定打を逃す刃たち。
その中で、絡み合う蒼とルイの絆の力は、黒縄の能力を猛烈な勢いで上回っていく。 煌きの残滓を浮かべる一閃は、既に黒縄の心臓を捉え始めていた。
散った血は、ほとんどが黒縄のもの。
「ふふ……っ!! 私は、こんなところじゃ終わらないわ……!!」
黒縄 リリア、口元から漏れる笑いとは裏腹にその顔には苦悶が浮かぶ。
とめどなく降り注ぐ剣、投擲される雷、迫る挟撃……彼女が捕らえられている青と赤の檻は、思考すら許さない。 頬にべったり張り付いた黒髪が、艶かしい光沢を見せた。
黒縄の表情には人間らしい恐れがある。 自分が死ぬかもしれないという明確な恐怖。
原作の十巻、捲るページが残りわずかになったときに見せた表情と同じだった。
しかし、黒縄はまた笑う。
恐怖と愉悦の二律背反。 蒼は、それが成り立つ由縁を知っている。
黒縄 リリアにとって、己の恐怖すら、自分を昂ぶらせる餌なのだ。 彼女は、どこまでも執拗に戦を求め、どこまでも泥臭く生きる。
たとえ敵が自分より強かろうと、しがみついてくる。
「今日終わるのは、あなたたちよッッッッ!!」
強者との戦いで得られる感情全てが、空虚な幼少時代を飢えたまま過ごした彼女を喜ばせるのだ。
強者と刃を交えるスリル。 相手が露にするむき出しの感情。 自分が死ぬかもしれない恐怖。 己が身に沁みる敵の殺意。
その全てが。
黒縄は、恐怖を喰らって破顔する。 ただ、欲望のままに。 怪物は、身に迫る死神の足音を聞いて、かえって苛烈さと哄笑を強めた。
幾多もの攻防が入り乱れ、その度に耳に残る甲高い金属音は悲鳴のよう。 ルイが、低い声で言い放った。
「アンタはここで終わりよ。 いえ……もう終わっていた。 最期に、アンタの取り憑いた子を手放すくらいの潔さを見せなさい!」
そう。
二人合わさった力は、黒縄の力量を凌駕している。 空から閃いた雷鳴が、黒縄の肩を抉った。
わずかに鈍った動きは、致命的。
物語の中でルイの命を奪い、今も清里の命を脅かす女。 一体何人の命を奪ったのか……その小さな体躯には、重すぎる罪が圧し掛かっている。
逃がさない。 蒼は自身をさらに焚きつける。
強く、速く……心を燃やし、悪魔を討つ――!!
一瞬の隙を前に、強く踏み込む。
そして。 弧を描く二色の剣閃が、黒縄の体に鮮血の軌跡を刻んだ。
蒼とルイは飛びずさり、怯んだ黒縄を空から精密な一撃が狙う。
「う、あぁッッ!!」
筋肉の軋み。 無理な体勢で、黒縄の刃が辛くも雷撃を叩き落した。
空からの鉄槌が、止む。
黒縄の叫びの残響が、崩壊した街に砂塵とともに流れていく。 対峙する者たちの息遣いが、廃墟の群れが生み出す静けさの中に残っていた。
ルイが、小さく息を吐きながら顎に滴る汗と頬から落ちた血を腕で拭うのが見える。
あれだけの出力の剣を落とし続けるのは酷だろう、見た目以上に消耗しているはずだ。
地面に突き刺さった幾千の剣は、未だに沈黙の中で青電を散らつかせる。 この空間の中で、黒縄の荒い呼吸が、蒼の耳には一際大きく聞こえた。
「…………ふ、ふ、ふふふふふふ、アハハハハ!!!!」
疲労を感じさせる吐息は、笑いに、そして高らかな哄笑へと変わっていく。
同時に、彼女の周囲で膨れ上がる禍々しい黒の光が大地と空間を埋め尽くしていく。
「手放す……!? この世界が、私のたった一つの居場所なのよ!? 手放してなるものですか!! この子を喰らい尽くして、私は、もっと!! たくさんの、私を愉しませてくれる人を殺したいの!」
――来る。 だが、それよりも早く。
「これ以上、アンタの悪辣な趣味に誰も巻き込ませたりしない」
ルイが黒縄へ五指を翳す。 瞬間、地面に数多突き刺さっていた剣が眩く光り輝いた。
剣と剣同士の間を、青い稲妻がネットワークを結ぶように奔る。 その道中にいる黒縄に、四方八方から雷が絡みついた。
黒縄が苦悶の声と共に膝をつき、体を小刻みに震わせる。
青の電流は、罪深き少女を縛り続ける。 ハヤトが、隣に並んだ。
呪文の大半を完成させたのだろう。 ハヤトの背後に、十個以上の魔法陣が現れた。
一つ一つが違う色の光で形成された紋様の数々は、蒼の知識通りなら第八階梯の攻撃魔法の序曲を奏でる。
名前は……極彩色の、なんだったか。 とはいえ、この鮮やかな光景に違わない名前であることは、分かる。
「初めてお前と会ったとき……お前との因縁が、これから長く続いていくような気がした。……人生って、分からないもんだな」
蒼も手に持った刀身に雷を宿す。 自分を飲み込んでしまうと思うほどに、雷は苛烈に燃え上がる。
黒縄が、蒼たちを睨み上げ、相好を崩す。
自分が死ぬかもしれない、だが死ぬことは絶対に有り得ない。 そうとでも言いたげな表情だった。
雷に身を蝕まれながら、彼女はその身から貪欲に黒の光を溢れ出させる。
ルイが手を翻すと、黒縄を縛る剣たちが、さらに発光を強めた。
蒼は、噛み締めながら言った。
「これで、最後だ――!!」
咆哮。 黒縄の高らかな絶叫とともに、全ての力が解放のときを迎える。 黒縄が、体勢を崩しながらも光を繰り出した。
「『森羅万象、放て』!!」
ハヤトの魔法陣より出でるは、この世の摂理の数々たち。 雷、炎、水、氷、光、闇……色鮮やかに絡み合い、黒の光を迎え撃つ。 その真横を、赤の雷が突き進む。
溶け合い、混ざる。 力と力の激突が、街に響き渡った。
蒼が光たちの行く末を見守る中でみるみる呑まれていく黒の光。 その先にある黒縄の瞳が、恐怖と愉悦に燃えているのが見えた。
「爆ぜろッッ!!」
ルイの声に呼応するように、剣たちが鬨の声を上げた。
蒼とハヤトの力が黒縄に届くと同時、剣たちが身の内の全てのエネルギーを外界に曝し、蒼たちの視界は青白い光に覆われた。