第百一話『共鳴れ、研ぎ澄ませ、挑め』
蒸気が鼻腔を抜ける感覚があるが、どうにも血の匂いばかりだ。 嗅覚はあまり機能していないのかもしれない。 視界が朧なのも、この白煙のせいではあるまい。
それでも、その奥にある邪悪な気配を見逃さない。
視界が開け、日の光が差したのが分かった。 黒縄が、いる。
その奥にある二つの人影は、琴音と……ハヤトだろうか。 唾を飲み込もうとするが、体が上手く機能せず、噎せ返りそうになった血と唾の混ざり合った液体を蒼は吐き捨てた。
今、蒼の体は超常的な力に支えられている。 体の機能を無視して、意識だけで動いているような状態だ。 手綱を手放せば、すぐに眠りに落ちてしまいそうだ。
目を覚ませば、病院のベッド……そうなる前に、まだやらねばいけないことがある。
目の前の仇敵を見据えてから、蒼は並び立つルイを見た。 彼女の青い瞳は、嵐の前の海面のように静かで、その闘志は底知れなく深く、激しい。
共に戦う仲間でありながら、その獅子の如き威光に蒼は息を呑んだ。
蒼は我に返って身に付けているものを改める。 起動装置は一つ。 朱莉が持っていったのだろうか。 彼女の安否が気に掛かる。
残った起動装置から鍵を引き抜いた蒼は、目を瞠った。
「これは……?」
禍々しく、鈍い赤色を放つ鍵だ。 それは、同じ超常の力ながら蒼が使っていた凡庸なものとは一線を画す、否――圧倒的な超えられない壁の先にある力を感じさせた。
自分の身に起きたことから、蒼の起動装置にそれが刺さるに至った経緯を予測する。
――そうか、意識の底で出会ったルイは……。
そこまで考えて、蒼は血と血の交わりが起きたことに気付く。
「もしかして、あのとき……?」
ルイは静かな目で蒼を見つめ、頷く。
嬉しさと、不安が半々にこみ上げる。 彼女はきっと、自分の強い意思で蒼の命を救う手段になろうとしたのだろう。
だが、早乙女の血を分け合うなんてことをすれば、早乙女家からの叱責以上のものは免れない。
そんな蒼の不安を汲み取ったのか、ルイは黒縄を見据えながら言う。
「気にしないでいい。 後悔なんて、してないから。 今は……アイツを倒すことだけを考えなさい」
彼女の強い言葉に、それ以上の心配は出来なかった。
「……その力は、アンタのものよ」
ルイは青の鍵を握り締め、青の光が指の隙間から滲む。 蒼は首肯し、鍵を見下ろした。 見惚れるほどおぞましい力が、開花を望んでいる。
蒼も同じように鍵を握り締めると、鍵は呼応して仄かな光を纏った。
高笑いが、聞こえる。
「あははは、っふふ……!! やっぱり、この街は最高ねッッ!!!! ねぇ勇者くん、まさか、ボロボロで戦えないなんて言わないわよね!? さっきみたいに私を楽しませてくれるのよね!?」
目を目いっぱい見開き、歓喜に身を震わせる狂った少女。 少女の奥に眠る、もう一人のか弱き少女の悲鳴に耳を傾ける。
「前言撤回するわ!! 死に行くものに縋るのも、悪くないわねッ!! そのおかげで、死んだと思ってた人がもう一度立ち向かってくれるんだもの!! 最高よ!」
「そうか」
噎せ返りそうな血混じりの息を吐きながら、黒縄に返す。
「俺は死んだと思ってたアンタともう一度戦うことになって、最悪の気分だよ」
鍵が震える。 戦いのときを、今か今かと待ちわびている。
瓦礫が崩れ、街のサイレンが遠くで聞こえる。 風が地面を掃き、砂塵が波のように流れた。
「清里を、返してもらう」
「もう消えてなくなってるかもよ?」
嘲笑う目。
ふつふつと湧き上がる集中が、喧騒を遠のかせる。
「……さぁ、覚悟しろよ」
「それ、私のセリフ」
ルイが横目で訴える。 互いに口元を緩め、そして引き結ぶ。
同時に、唱えた。
「「『共鳴れ』」」
《『唯一無二』》《『不撓不屈』》
《《Caution》》
鍵がさらに強い光を放って手元を離れる。
蒼とルイの足が、地面を蹴った。
バチリと、雷の弾ける音がする。 鍵は疾走する二人の周囲を遊泳し、伸ばした手の根元にある起動装置へと突き刺さった。
《《接続》》
瞬間、凄まじい圧が蒼の体に圧し掛かった。 湧き上がる力が体の中だけに収まっていない。
体から雷火が漏れ体勢を崩しそうになるが、蒼は歯を食いしばって走り続ける。
普段感じる高揚感と力の重み、その天井を気安くぶち破り、『堕天狂化』よりもずっと心地よい力の奔流が体を巡る。
視界は澄み渡り、体は軽くなる。 まるで、ルイが背中を支えてくれているようだった。
ルイの周りに幾多もの青い稲妻が着弾し、蒼の視界を空から飛来した赤の稲妻が塞いだ。
服が悪魔の如き赤い装束へ切り替わる。 伸ばした手の中に、一振りの剣が現れた。
間髪入れず、薙ぐ。
赤の雷が周囲に弾け飛び、その内の一筋が黒縄に喰らいついた。
黒縄が首を傾げ、そこを雷は通過した。 奥にいたハヤトへと雷は伸びていくが、ハヤトが腕を一振りすると、不可視の壁に衝突して霧散する。
「ったく、はりきりすぎだぜ」
ルイと蒼の足が、再び地面を踏みしめる。 直後、一足の元に、蒼とルイの体は黒縄への肉薄を終えていた。
黒縄の刃が鈍色の輝きを見せる。
《《Welcome to Fiona Server》》
二色の雷が、閃いた。
いつもありがとうございます!
この度、第四十二話に挿絵を頂いたのでいれさせてもらいました。
是非ご覧になってくださいませ。