第14話 母強し
ルミナスはこの家で一番上等であろうグラスを出して私の前に置いた。
そして酒を注ぐ。それは庶民の酒の中でも上級のものであった。
「すいません。ジン様。計画を誰にもいうわけにもいかなかったので、このような形に。しかし誰にも内緒にしておいてくださいね」
「当然だとも。信用ないなぁ」
「いえいえ。万が一を思ってです。ジン様だからこそライラも伝えようと思ったので」
「他には誰にも知らないんだろう?」
「いえ、ただ一人──」
「え? それは誰だい?」
「それは……。リック王太子殿下ですよ。私とライラが学校の物陰でキスしているところを見られてしまって。いやぁ、あの時は絶望でした。よりによって婚約者に。ところが、リック殿下はすぐに気付いたのです。この計略のことを」
「そ、そうなのか? リックが……」
「私たちは包み隠さず正直に申し上げました。すると、愛するもの同士が結婚するのは庶民でも当たり前のこと。応援すると」
「へー……」
「そして、自分も愛する人と結婚したいとこう仰ったんです」
「──つまり、それは」
「そう。ジン様。あなたのことです」
「……そうか」
そこへライラが料理を持って来た。油で揚げ、砂糖をまぶしたドーナッツ。
ライラの顔が料理を作った汗で覆われている。
「ささジン。熱いうちに食べて。近所の子どもたちに大人気なんだから。安くて甘い、ウチのドーナッツ」
「さぁジン様。もっとも、商売に出すのはクズ粉のドーナッツですが、今日はライラが油から粉から上等のもので揚げました。お口にあいますよ! たぶん」
彼は熱々のドーナッツを口へ放り込んで、親指を立てる。
それにライラは胸を張っていばった。私もそれを口に入れて余りの熱さに前のめりになり、涙を少しだけこぼした。
「あ。ジン、大丈夫?」
「アチチ。大丈夫。大丈夫。これは世界中のどんな料理よりもうまいよ」
「うれしい! 油が熱いうちにフライも作っちゃうわね!」
ライラがキッチンにまた入る。
そして大声。
「ルミナース! あなたはお団子でもいい?」
「別にいいよ。まったく。お客さまには一尾だして、亭主には団子かよ」
私には大きなフライを出して、ルミナスには小魚をつぶした団子のフライを出すという意味だ。ルミナスはそんな日常になれているのであろう。楽しそうに笑っていた。
まさかこんな日がくるとは思わなかった。粉もの屋の主人のルミナスと同席して酒を飲んでいる。そして親友は私に料理を作って振る舞ってくれる。
なんということだ。誰よりも王室に近かったライラが庶民化している。
なんとたくましい。
そしてうらやましい。
愛する人とそばにいるということはこんなにも強くなるものなのか。
ライラはフライを揚げて、私の目の前に上等な皿を置いた。
そしてルミナスに3つの魚団子。自分には2つの団子。
「さぁ、食べましょうよ。今日の恵みに感謝をして!」
ライラの声に私も手を合わせる。
こんなに楽しい夕食はいつぶりだろう。
彼らは自分たちの食事を分け合っていた。
こんなに仲睦まじい二人を笑顔で見ていた。
「たくましいなライラ」
「そりゃそうよ。母は強しだもん」
「母ってあの~」
「そうなのよ。実は駆け落ちする前に妊娠しちゃった。それだけが計画違い。本当は結婚してから子作りしようといってたのに」
そう言ってルミナスを睨みつけると、ルミナスは驚いて声を上げる。
「おいおい。オレのせいなの?」
「違うの?」
「二人の──だろ?」
「聞いた? ジン。男って卑怯よね」
二人のやり取りにまた笑ってしまった。
楽しい晩餐だった。もう私が入り込む隙間などどこにもない。
二人はこれからも楽しい生活を送って行くのだろう。
「ご馳走になった。帰るよ」
「やーん。泊まっていけばいいのにぃ~」
「ベッドがないだろ。ムチャいうなよライラ」
「あら、ルミナス。あなたは仕事場の机で寝ればいいのよ」
「おいおい。じゃジン様と同じベッドで寝るの?」
「そーよ」
「さすがにちょっと危険だなぁ」
「いやルミナス。絶対に何も無い。だが泊まらないよ。そこまで甘えられないからな」
笑う食卓。
おそらく寝室には小さなベッドが一つ。そこに二人で抱き合いながら日々の疲れを分かち合って寝ているんだ。
それはどんな人間よりも人間らしい。
ライラ──。
尊敬するよ。キミのことを。
私は席を立つと、ライラが近づいて来て耳打ちをした。
「ルミナスには内緒だけど、20歳まで商売を頑張ったら、お父様が大きな農場をプレゼントしてくれるの。この小さなお店も好きだけど、ルミナスの夢なのよ。農場でのんびり暮らすのが。だからジン。私たちを応援してて」
「当たり前だよ。応援するよ!」
「それからリックの求愛を受けてあげて。彼だって婚約破棄という自分の価値が下がることを進んでやってくれたの。ジンの気持ちが急に変わらないことくらい分かるけど。彼の気持ちも考えて上げて欲しいの」
「──分かった」
「ホント? もしも二人が結婚したなら、王室に上等の粉を献上するわ!」
「そうそう。ライラの粉の挽き方が上手になったんですよ。その日までにもっと修行させますから」
「ふふ。分かったよ」
私は二人に送られながら、暗く細い辻を歩いた。
そして独り言を言う。
「ランドン閣下。あなたは大嘘つきですね。しかしどんな父親よりも立派だ!」
見上げる空には丸くて大きな月が輝いていた。
そこに浮かぶのはリックの顔。私は月に微笑む。
「まったく。キミも大嘘つきで強引だ。そんなキミを好きになれだと? お断りだ。好きになるんじゃない。前から横恋慕していたのだ。だから余計に不誠実さに腹がたったのだ。だが、私の思った通り、キミは影でライラとルミナスのことまで考えていたのだな」
ようやくこれで──。
全てに決着をつけることが出来るのかも知れない。