日替わり転移外伝 ~仮面部族のいる異世界~
本編とは異なり、チート能力を持っていなかった頃の逆萩亮二の物語となります。
加筆した1話冒頭部分と、鬱展開が含まれています。
この先を読む場合には、くれぐれもご留意ください。
それは、俺がコンビニでチキンを買った帰りのことだった。
「やあやあ! 君は神を信じるかい?」
「はぁ?」
突然、やたらハイテンションで派手な格好をした男がクネクネと動きながら俺の進路を塞いだのだ。
白のシルクハットに燕尾服。ステッキを振り回したりして、見るからにヤバそうな奴である。
俺はこう見えても、そこらのチンピラなら一人で制圧できる腕っぷしは持っているのだが……目の前の男が決して関わってはいけないタイプなのは明らかだった。
「い、いや。自分、無神論者なんで」
「なんだって! それはいけないなぁ」
俺のそっけない返しにシルクハットの男はしたり顔で。
「実を言うと、僕が神なんだよね」
なんだ、ただのアホか。宗教勧誘にしたって酷いもんだ。
そのときの俺はきっとそういう顔をしてたし、そう思っていた。
「俺、これから家でチキン食べて人生の至福を堪能するんで。これで」
そう告げて、にべもなく男を避けようとする。
今思えば、どんなに強引にでもここでチキンを食っておけばよかった。
そいつは……いけ好かない笑顔で、こう言いやがったんだ。
「そんな君でも神を信じられるようにしてあげよう。それ以外に君の道はない――」
「おいおいおいおい! 何なんだよ、これはー!」
シルクハットの男に何か言われたと思ったら周囲が輝いて……気がついたら俺は着の身着のまま、ジャングルを走り回っていた。
周囲から聞こえてくるのは獣とも鳥ともつかぬ鳴き声。そして背後からは。
「グルアアアアアアッ!!」
腹をすかせていると思しき恐竜のような怪物がヨダレを振りまきながら、俺を追いかけてくる!
「だ、誰か説明しろーっ!!」
「うんうん、どうやら彼は君を食べたいみたいだねえ!」
「て、てめぇ! ここはどこ……つーか、なんで空飛んで!?」
さっきのシルクハットの男が寝そべったポーズのまま、俺と並走するように飛行していた。
ここで、ようやくこいつが只の妄想イカレ野郎ではないと悟る。
「お前、本物、か……?」
「フフ……ヒントをあげようか。君をこの世界に喚んだのは彼だよ。腹をすかせているようだねえ。何か食べさせてあげればいいみたいだ……その願いを叶えてあげるのが君の役目だよ」
クイクイっと親指で恐竜を示しながらしたり顔で囁く男の顔が、酷くムカついたのを覚えている。
「だったら、これでも喰っとけ!」
恐竜もどきに向かってコンビニ袋を投げつける。
奴は袋を咀嚼すらすることなく、一呑みにする。中には俺の大好物のコンビニチキンこと、フェアチキが入っていたのだが……。
「ぬおおおっ!」
恐竜もどきは俺を追うのを一向にやめてくれなかった。
「足りないってさ! どうだい、試しに彼に食べられてあげたらどうかなぁ?」
いやらしい笑みを向けられた瞬間、俺はプッツンした。
「神だろうが、なんだろうが、知ったことか……!」
男の襟首をガシっと掴む。
「ひょ?」
「お前が! 食われろぉ!!」
宙に浮いた男をぶん回し、遠心力でもって倫理観やら殺人への忌避感やらと一緒に恐竜もどきへ放り投げる。
「あーれー!」
バクンッ! と、男が恐竜もどきの口内に消えると同時に、俺の足元に魔法陣のようなものが浮かんだ。
「今度はなんだ? うわあっ!?」
体が光に包まれたと思いきや、今度は岩場に放り出される。
太陽の厳しい日差しが俺の身を焼くように照らした。
「あ、あぢぃ……ジャングルの次は砂漠かよ。一体何がどうなって……?」
顔を上げると、今度は奇妙な形の仮面を被った連中が俺を取り囲んでいた。
「***###!」
「な、何て言ってるんだ……?」
「おお、そういえばチート能力をあげるのを忘れていたね!」
隣にボンッと煙が立ち上ったかと思うと、中からさっきの男が手品師のようにポーズを決めて出現した。
「お、お前、なんで生きてんだ!」
「言ったはずだよ、僕は神だってね! それはそれ、君にプレゼントだ。異世界トリッパー御用達……『翻訳チート』!!」
男がこちらを無視してクルクルと器用にステッキを回し、俺に向けて静止させる。すると先端からキラキラとした光条が伸びて、一直線に俺の胸を貫いた。
「ぐほあっ!?」
「大丈夫、痛みは一瞬さ!」
心臓を焼かれるような痛みは、たしかにすぐ収まった。
けれど、痛みへの恐怖心と後頭部にこびりついたような違和感がなかなか消えない。
それはまるで、自分の体をまるごと何か別のものに上書きされたかのような。
「おお、我らが神の使徒よ。どうか我らを渇きから救い給え」
「なんだこいつら。いきなり日本語喋り始めたぞ……」
「違うよ」
チッチッチッ、と舌打ちしながら男が人差し指を振る。
「君が彼らの言葉を覚えたのでも、彼らが日本語を喋っているのでもない。それでもお互いに意思疎通ができる。『そういうもの』なんだよ、君に与えた『源理』はね」
俺はへたり込んだまま、ドヤ顔で見下ろしてくるシルクハットの男を見上げた。
こんなに目立つことをしているのに、仮面の連中は俺だけを拝むように見つめている。
まるで、目の前の男が存在していないかのように。
「なんなんだ……なんなんだよ、お前はぁっ!!」
理解不能の連続に、俺はあらん限りの叫び声を上げる。
「僕が何者かなんて、そこんところはどうでもいい!」
男がキュッとシルクハットを深くかぶり直し、タンタンッ! と踵を踏み鳴らした。
「いいかい、サカハギくん。君に最初に与えたのは『召喚と誓約チート』だ。君は異世界トリッパーとして、ありとあらゆる世界を巡り続ける運命にあるんだよ。召喚者の願いによって召喚され、叶えたら次の異世界へと召喚される。そこでも願いを叶えて、また次へって具合にね。そして、すべての多次元宇宙に存在する願いを叶え終わるまで、君の使命は終わらない。つまり、帰りたければ願い事を叶え続けるしかないのさ!」
「ふっ……ざっけんな! 俺の意志は!?」
「そんなのないよ! あ・り・え・な・い♪」
シルクハットの男が意味不明のリズムに乗りながら奇妙なポーズを取ったかと思うと、俺に向かってステッキを突きつけ。
そして、冷たい瞳で見下ろしてきた。
「何度でも言うよ。君に、それ以外の道はないんだ――」
「神の使徒よ。どうか我らの部族を救い給え」
砂漠のど真ん中。
原始的な槍に露出の少ない厚い布地を纏った仮面部族が俺を取り囲んでいる。
「あー、まったく! さっきからうるせえっての!」
当時の俺に、まだ神に対する憎しみはなかったので使徒呼ばわりされることに別に腹は立たなかった。
ただ単に同じセリフを呪文のように繰り返されることに苛立っていただけである。
「おやおや、まだ理解していないのかい?」
シルクハットの男――もといクソ神が小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、ステッキをクルクル回す。
「君は彼らに召喚されたんだよ。彼らの望みは喉の渇きを満たすこと。それが叶うまで、君はずーっとこの異世界で滞在することになる」
「お前が俺を解放すれば済むことだろうが!」
そう食って掛かるものの、クソ神は手の届かない高さに浮いている。当時の俺には空を飛ぶ手段なんてないので、歯噛みするしかない。
「それはできない相談だね! 召喚者の望みを叶え続け、元いた地球に辿り着く。君にはそれしか道はない!」
「チッ……!」
馬鹿の一つ覚えみたく「道はない」を連呼するクソ神を相手にしても埒が明かないと思った俺は、ひとまず周囲の様子を観察することにした。
砂漠……とは言ったが、よく見ると岩砂漠だ。
俺が投げ出された場所も平べったい上の上にストーンサークルというのだろうか……不規則に並べられた石。
当時はピンと来なかったが、今思えば召喚魔法陣だったんだろう。
一つ前に召喚された異世界も、恐竜もどきにクソ神を喰わせるというファインプレーで誓約を果たせたわけだが、当時の俺に自覚はなかった。
だからこのときの異世界が実質的に「最初の異世界」と言えるだろう。
とはいえ代理誓約のルールすら知らず、誓約もはっきりしており、クソ神も同伴という時点で……まだチュートリアルだったのだろうと思う。
「使徒よ。どうか――」
「わーかったよ、わかったわかった! 水をなんとかすりゃいいってんだろ!」
などと誓約を安請け合いした当時の俺の見通しは、非常に甘かった。
とりあえず話を合わせて時間を稼げば、クソ神と話をつけて地球に帰れるなどと頭の片隅で思っていたのである。
この砂漠の広がる異世界で半年近く足止めを食うことを、このときの俺はまだ知らない。
仮面部族は岩砂漠の合間にある大きな岩を日陰にして生活していた。
部族連中がこんな過酷な砂漠で暮らしている理由はついぞわからなかったが、当時の俺にはどうでもいい話だった。
今となっては、さらにどうでもいい。
話を聞いたところによると唯一の井戸が枯れてしまい雨乞いした結果、俺が召喚されたとかどうとか。
おかげで俺は神の使徒として部族で歓迎され、食事も――この連中の基準ではあるが――豪華だった。
「つってもよ。こんな砂漠のど真ん中で水とか……どうすりゃいいってんだよ」
連中の歓待の証である塩辛い謎の丸焼き肉をかじりながら愚痴る。
この期に及んでフェアチキが食べたい……などと思っていると、クソ神が呆れたように指摘してきた。
「そりゃあもちろん『現代知識』を使うに決まってるじゃないか!」
「現代……知識ぃ?」
「君たち地球人は、彼らよりもずっと進んだ技術や知識を持っているだろう? それをうまく使って、ちょちょいのちょいと解決してあげればいいのさ!」
「随分と簡単に言ってくれるけどよぉ……」
現代知識。
地球人、とりわけ運悪くノーチート召喚された者にとっては唯一にして最強の武器である。
クソ神の多次元宇宙で創世される異世界のほとんどは、地球と同一の物理法則や環境を採用している。
そのため現代知識は異世界でも転用可能なことが多い。
地球の鉱物や化学物質が発掘できる異世界は、よくある。
多くの神が日本人に持ち前の現代知識を生かしてもらうため、何より創世で手抜きをするために地球の構成材質をコピーするからだ。
だから異世界に召喚されたトリッパーが銃を作って無双する、なんて真似も充分に可能なのである。
さらに言うと多くの異世界人には『現代知識称賛遺伝子』なるものが組み込まれているため、未知の知識を披露したからといって恐れられたり問答無用で排斥されることは少ない。
むしろメチャメチャ重宝されるから異世界に召喚されたときには現代知識を積極活用していくほうが得……ではあるのだが。
「俺にはサバイバル知識なんてないぞ。どうしろっていうんだよ」
当たり前の話だが、必要な知識がなければどうしようもない。
恵まれない子供を助けるようなボランティア精神のない当時の俺には井戸掘りの技術はもちろんのこと、砂漠で水を作る方法すらわからない。
おそらく普通の異世界召喚では、そういった専門知識を最初から持っている人間が適切に活躍できる場所に喚び出されるように神々が調整しているのだろう。
一応、召喚時点で達成不可能な誓約では喚ばれないから、この程度の難易度で済んだというのはあるのだが。
「んー、しょうがないなあ。じゃあ、これはサービスだよ!」
クソ神がステッキを振るうと、ポン! とコミカルな音とともに煙の中から専門書サイズの本が現れた。
地面に落ちそうになるのを慌てて掴んで、表紙に目を落とす。
「『サルでもわかる井戸掘り』……おい、なんだよこれ」
「知識がないなら、身につけるしかないでしょ?」
「ふざけんな!」
ふわふわ浮かんでいるクソ神に向かって本を投げつける。
自分に命中して地面に落ちた本に視線を落としてから、俺の方を不思議そうな目で見てきた。
「僕は大真面目なんだけど?」
「こんな力があるなら、お前がやればいいじゃねえか!」
ああ、これは……昔の俺も馬鹿だったな。流石に弁明できない。
まだまだ自分の中に甘えがあったんだろう。
目の前に浮かんでいるクソ神がなんやかんやで俺を助けてくれたりするんじゃないかと。
人間のことなんて相手にしてないどころか、そもそもどうとも思っていないような奴相手に情に訴えようとしていたのだから、この頃の俺は本当にアマちゃんだった。
だから必然、クソ神はふてくされるでもなく。
「ふーん。だったら、ずっとここで暮らせば? 僕は別に何も困らないから」
などと言い残して、唐突に消えた。
「なっ!? おい!!」
それから俺がどれだけ悪態をついたり呼んだりしても、クソ神は現れなかった。
このときはどうせまた憎まれ口を叩きに出てくるだろうとタカを括っていたが……結局この異世界にいる間、クソ神が姿を見せることはなかった。
それから無駄にモラトリアムして2ヶ月の時が過ぎた。
「クソまずいぜ、ったくよぉ……」
相変わらず塩辛い謎肉と、ドロッとした液体が出される。
なんでも、このドロッとした液体のおかげで水分補給がかろうじてできている状態らしい。
「使徒よ。どうか……」
「わかってる。わかってるから待ってろ」
今思えば……おそらくスライム系のモンスターの残骸か何かだったんだろう。
部族連中はこのスライムの摂取を切り詰め、最優先で俺に供出して、最後の希望を託そうとしていた。
そんなこととは露知らず、その辺をほっつき歩いてるチンピラホストに過ぎなかった俺は無駄飯食らいに堕していた……とはいえ、まったくこれっぽっちも何もしてなかったわけではない。
クソ神がいなくなって数日でようやく現状を変えられるのが自分だけだと理解した俺は、クソ神の出した本を拾い、必死に井戸掘りの知識を勉強していたのだ。
「おにいちゃん」
そんな俺のところに、とてとてと駆け寄ってくる少女がいる。
仮面を被っているのでどんな顔をしているかはわからなかったが、俺のところにやってきては何かとかまってもらおうとするガキだった。
「あそんでー」
「なんなんだよ……他の友達んところに行けよ」
そんなふうに俺にぞんざいに扱われても、そのガキはいつも俺にぴったりとついてきた。
水源を探すために出かけるときもだ。
「ねえねえ、これはなにー?」
「ダウジングだ」
笑われるかもしれないが、涼しくなってて多少は出歩けるようになる夕方ぐらいになると……俺は集落周辺を2本の棒きれをつなぎ合わせたものを両手に持ってうろついていた。
「だうじんぐ?」
「そうだ。これで水源を探すんだよ」
地下に水源があるところがあれば、棒が開いて知らせてくれる……らしい。
クソ神の本によればだが。
「まほう?」
「まあ、そんなようなもんだ」
正直なところ、俺はこんなもので水源が見つけられるとは思っていなかった。
人間が潜在的に持つ感知能力を視覚的に理解できるようにする由緒正しい方法だとか書いてはあったが、これっぽっちも信じていなかったのだ。
まさか今後の異世界でもたくさんお世話になるとは、この頃の俺は夢にも思っていない。
「あたしもやる!」
「あぁん……?」
思わず眉を潜めてしまったが、部族連中に手伝わせるという発想に至ったのは、このガキの発言がきっかけだ。
「じゃあ、今度作ってやるよ」
「ほんとー? やくそく!」
「ああ、約束だ」
このとき俺は適当な感じで対応していたし、約束もすぐに忘れた。
地球に帰る……その一心で自分の心を支えていたから、ガキの相手をしてやる余裕なんてなかったっていうのもある。
だからというわけじゃないが……この約束が守られることはなかった。
召喚されてから3ヶ月。
この頃になると部族連中にダウジングを作ってやっていた。
仮面部族の顔はわからなかったが、これで水を見つけられると教えただけで喜んで手伝ってくれる。
それでも一向に水源は見つからなかったが……。
最近は自分で出歩くことは減り、棒きれを使ってダウジングを作る作業に没頭していた。
「帰るんだ。俺は、帰る……そんでもって、フェアチキをたらふく食べるんだ……」
そしてすっかり塩辛謎肉とスライム水の摂取に慣れた俺は、念仏のように唱えながら食事をするようになっていた。
今と比べればストレス耐性もかなり低く、並の人間に過ぎなかったから仕方がないと言えば仕方がない。
だから俺を頻繁に取り囲んで拝んでいた部族連中の数が減っていることにも気づかなかったし、集落がだんだん静かになっていることにも頭が回らなかった。
「そういえば、あいつ……」
少し前までくっついてくるガキが姿を見せなくなったことに気づいたのは、この頃だったか。
でもそのときは、他のガキと遊ぶようになったのだろうと思いこんでいた。
そもそも、集落では他の子供を見かけなくなったというのに。
召喚されて4ヶ月。
この頃になると、日数を数えるのを忘れたりしてたから、あくまでだいたいだ。
「頼むよ……俺を帰してくれよ……」
精神的に極限状態を迎えつつあった俺は、すっかり弱音を吐くようになっていた。
ダウジングづくりもせず、毎日のように天幕内でゴロゴロしている。
それでも部族連中は文句ひとつ言わずに食糧を提供してくれるのだ。
今も部族連中はダウジングで水源を探しているのだろうか?
他人事のように考えながら、塩辛い肉をかじり、ドロドロした液体をすする。
そんな毎日だった。俺も詳細はよく思い出せない。
召喚されて5ヶ月……だったと思う。
ついに、食料の供給と液体の供給が止まった。
ていうか……ここまで成果を出せずにいた役立たずが、よく殺されなかったと思う。
「水……水を……」
食事が絶えてから三日、天幕から這い出して、水を求めて彷徨い歩いた。
外はつんとした悪臭が立ち籠めていたが、そんなことよりとにかく水が欲しかったのだ。
天幕をはしごするが、当たり前のように水はない。
それどころか、仮面の部族がひとりもいなかった。
果たして彼らはどこへ行ったのだろう……などと考えることもなく、渇きを潤すために集落の中を荒らし回る。
探索の最中、天幕の中で倒れている人を見つけた。
そこはどうも調理場だったらしい。
らしい、というのは一見すると調理場には見えなかったからだ。
まな板……というより、石板の上に横たえられていたのは倒れている仮面の部族とは別の人間。
人間だけど、手も、足も切り落とされていて。
倒れている仮面の部族も、石板に並べられた肉も、どちらも死体。
そこで俺はようやく、すべてを悟った。
俺が食べていた塩辛い肉の正体。
遊びに来なくなった子供。
次第に減っていった、水を請う声。
「は、ははは……」
全部理解できたのに、俺の口から発する乾いた笑いには、なんの意味もない。
だって、何も残っていなかったのだ。
正常な思考力も、現実を受け止められるだけの精神力も、何も。
「おげえぇぇ……!」
俺は、その場で何時間も胃液を吐き戻した。
その後、ゾンビみたいに徘徊を再開した。
「水、水はどこだ!」
ない。ない。水はない。
この集落のどこにも、水なんてない。
だから水を求めて集落を出ようとした、そのとき。
なんと地面からちょぼちょぼと湧き出る泉を発見したのだ。
「水だぁー!!」
すかさず泉に覆いかぶさり、一滴たりとも零さないよう貪る。
どれほどそうしていただろう。
気づけば、集落のあちこちから水が湧き出ていた。
「水、水、水!」
当時の俺には何が起きているかわからなかったし、そんな判断力も残っていなかったが。
今だからわかる。
彼らの土地は敵対部族に呪われていた。
部族がひとりでも生きている限り、土地は決して水に恵まれない……そんな呪いに。
仮面部族が潰えたことで呪詛が解けて、それまで押し込められていた水が一斉に戻ってきたのだろう。
だけど、そのときの俺にはすべてがどうでもよかった。
何故なら俺の胸の中は約束を守れなかった少女への申し訳無さも、部族を救えなかった罪悪感もなく、喉の渇きを潤せる歓喜だけで満たされていたのだから。
当然、足元に出現している魔法陣にも気づいてない。
『部族へ水をもたらす』という誓約を無事に果たした当時の俺は、周囲から次々と溢れる噴水の中で踊り狂っていた。
これで帰れると。
まさか何千年と戻れないなどとは、知る由もなく。
どこまでもおめでたい頭で。
無様に、無様に。
「――と、いうことが昔あったんだ」
俺が異世界を巡る旅をすることになった最初の経緯を、イツナは無言で聞いてくれていた。
「ごめんね、なんか聞いちゃって」
「いや、うん、こっちこそすまない」
あまりにも壮絶な鬱展開にイツナのテンションがすっかり沈んでしまっている。
だが、この話には続きがあるのだ。
正確には、今できたのだが。
「えっと……それが、ここの異世界なの?」
イツナが確認してくるが、これは当たり前だ。
今回、俺を召喚したのは仮面を被った部族で、彼らの願いは集落に水をもたらすことだった。
その召喚現場には、イツナも居合わせたのだから。
しかし、俺は首を横に振る。
「違うよ。ここは俺がかつて救えなかった部族がいる異世界の、分岐並行世界だ」
分岐並行世界。
異世界の歴史は、ひとつではない。
歴史の特異点を起点として、分岐した並行世界がいくつも生まれる。
クソ神が管理する多元宇宙ではエントロピー問題が解決され、エネルギー不足による宇宙の剪定……つまり枝切りをしなくともいいどころか、世界が増えれば増えるほどエネルギーが満ちていく仕組みが完成している。
だから、分岐並行世界は増加の一途を辿っているのだと、俺の古参嫁が言っていた。
とはいえ俺が巡る異世界の旅の最中に、まったく同じ願い、同じような分岐並行世界に召喚されることは本当に珍しいことだ。
「確かに俺が全滅させちまった部族と同じ流れを汲んでるけど、仮面の色と形がちょっと違う。どういう歴史の分岐があってそうなってるかはわからんけど、些細な違いだ」
ここにいる部族たちは、かつて俺が助けられなかった異世界人と同一人物ではないが、同一起源ではある人々だ。
よもやこんな形で初期誓約をリベンジできる機会が訪れるとは思わなかった。
今回の彼らが抱える問題はまったく同じ。
敵対部族による呪詛攻撃で土地の水が枯れている。
だから解決方法は至って簡単、俺が呪詛を敵対部族に跳ね返してしまえばいい。
そうすれば枯れた井戸が自然に回復するのを待つだけだ。
そうすれば敵部族だって勝手に全滅して後顧の憂いを断てるし、万々歳というわけである。
「この人たちを助けても、サカハギさんが助けられなかった人たちが生き返るわけじゃないんだ……」
イツナが寂しそうに呟く。
別に俺はあのときの自分が悪いことをしたとも、間違っていたとも思わない。
力も知識も経験も、何もかもが不足していた。
ただ、それだけだ。
それが罪と言われればそれまでの話で、否定する気もない。
だから、これから俺がやることは感傷的な贖罪なんてものでは一切なく、いつもどおりのルーチンワークに過ぎない。
それでも、そうだな。
ひとつだけ悔いがあるとすれば。
「おにいちゃん。あそんでー」
仮面を被った子供たちが、俺たちの天幕にやってきた。
「えっと、お兄ちゃんは忙しいから、わたしが――」
「いいぞぉー。でも、どうせだったら水を探す遊びをしないか?」
何か言いかけたイツナがぎょっとしていたが……スルーして、アイテムボックスからあるアイテムを取り出した。
「見てくれ。こいつは、ダウジングっていってな」
今思えば、あのときの少女は……一緒に遊ぶ友達がみんないなくなってしまったから、俺のところに来たのだろう。
そしてあの子の肉体は俺の血肉に、魂はエネルギーに還って、どこかの異世界のリソースとして活用されている。
ここにはいない、それはわかっている。
それでも、俺は忘れていた約束を思い出したのだ。
あの日果たせなかった、約束を。