03 飛び蹴り
「………」
私は絶句した。
宮廷の中庭は背の高い草や木々が密集して生い茂っており、至るところから動物の鳴き声が聞こえてくる。鮮やかな模様の鳥が、動けずにいる私の肩にフンを落としていった。
「………」
「………」
「………」
父も継母も現状を飲み込めずピシリと固まっている。義妹ですら笑みを消して宙を舞うロータス殿下を見上げていた。
殿下は空高く吊されている蔓を使って、楽しそうにジャングルを横切っている。次の蔓に飛び移る前に、私たちの存在に気がついたのか「おお!」と嬉しそうな声を上げた。
「サベージ公爵達も来たか! 苦しゅうない、近うよれ。此度は無礼講である。大自然の中で、余と共に戯れよう」
後半は私たちに向けて言ったのだろう。蔓にぶら下がりながら、殿下は父から視線を私と異母妹に移した。
私が咄嗟のことに何も言えないでいると、エリーゼが「恐れながら殿下」と口を開く。
「父からお茶会だとお聞きしたのですが? これではまるで野人の遊戯ですわ」
いつもの笑みを浮かべながら、エリーゼは言った。
不敬とも取られそうな発言に、父と継母が顔を青くする。幸いなことにロータス殿下の機嫌は損ねていないようで、彼は「ほう?」と面白そうに目を細めた。
「何を言っている。余は婚約者を選ぶとは言ったが、茶会を開くとは招待状に一言も書いておらんぞ。勝手に勘違いしたのは其方の父であろう?」
殿下の言葉にエリーゼは無言で父へ視線を投げる。父はビクリと肩を跳ねさせたあと、震えた声で娘に謝罪した。
「す、すまない。エリーゼ。確かに招待状には婚約者選びをするとしか書かれていなかったけど、まさか中庭でこんなことが行われているとは思わなかったんだ……」
父は明らかにエリーゼに対して怯えていた。いくら娘が可愛いからといって、この程度で怖がるのはおかしくないだろうか?
異様な光景を私が怪訝に思っていると、ロータス殿下が呆れたような様子で口を挟んできた。
「ふむ、その程度か。エリーゼよ。余を恨むのならば、追いかけてみよ。もっとも、その蔓を握れるならの話だが」
殿下はそれだけ言うと、また蔓から蔓に飛び移って私たちの目の前から姿を消してしまう。
すると、エリーゼがあからさまに不機嫌になった。義妹の様子に、継母が慌てて懇願する。
「エ、エリーゼ。お願いよ。機嫌を直してちょうだい。あなたが欲しいドレスも宝石も何でも買ってあげるから。ほ、ほら! 見なさい、エリーゼ。あそこで愚図な令嬢が転んでいるわ! あんなに泥だらけになって、ああおかしいこと!」
継母が左前方を指差した。そこには確かに同い年くらいの女の子が転んで泣いていた。
あそこの地面はぬかるんでいるのだろう。ドレスどころか頭まで泥だらけになって、膝には擦り傷ができている。
泣いている彼女を笑う継母に思わず顔を顰めた。それに同調した父も、異母妹も。
ああ、くだらない。大嫌いだ。こんな連中。
私は彼らに背を向けて、転んでいる女の子の元に向かった。
何やら後ろで言われているけど、無視する。ぬかるむ地面に気をつけて、私は女の子に声をかけた。
「大丈夫?」
手を差し伸べれば、彼女は驚きつつも恐る恐る手を握ってくれた。私は女の子を引っ張って立ち上がらせると、怪我の具合を確認する。
「膝、痛い?」
女の子はこくりと頷いた。医務室に連れて行こうとすると、裾を引っ張られ引き止められる。
「……ドレス、お母様が選んでくれたの」
そして、嗚咽を堪えるようにボソボソと話し始めた。
「お母様が殿下の前だから可愛い格好でいきましょうねって。私の家、貧乏だからそんな余裕ないのに……お父様とお母様が私のためにドレスを新調してくれたの。普段、苦労をかけているからご褒美だよって。これから大きくなるからすぐに着れなくなるかもしれないのに。それでも買ってくれたの……なのに」
女の子が、私の裾を強く握る。
「こんなに、泥だらけにしちゃったよ……」
彼女は言い終えると、堰を切ったように泣き始めた。
「………」
私が裾を握りしめる女の子の手をそっと離させると、彼女は怯えた様子で謝ってきた。
「あ、ご、ごめんなさい。あなたの服が汚れ——」
「泥なんか気にしてない」
誤解させてしまった女の子の手を優しく握り、首を振る。
そんなことより、もっと頭にきていることがある。
私は周りを見渡した。至るところに天から蔓が垂れていることを確認して、先ほどの殿下の言葉を思い出す。
「余を恨むのならば、追いかけてみよ……ね」
私は女の子の手を離すと、すぐそばにあった蔓を掴んだ。
「やってやろうじゃないの」
*****
「いやああああああ! アザレア様! おやめください! 危険でございま——きゃあ!?」
女の子——追ってきたリリアが地上で必死に首を振るが、私は構わず次の蔓へと飛び移った。
一瞬の浮遊感のあと、地面へ引っ張られる感覚。その勢いを借りて、静止していた蔓を大きく動かす。そしてその勢いが死なないうちに、次の蔓へとまた飛び移る。今掴んでいる蔓はかなり天高いところに吊るされており、ここから落ちたらひとたまりもない。リリアが悲鳴を上げるのも無理もないだろう。
しかし私は綱渡りだと思いつつも、周りを見渡しロータス殿下を探した。
久々に怒った。あの王太子に一発いれなければ気が済まない。
あまりにも非常識。奇を衒ったのかもしれないが、宮廷の中庭がジャングルになっているなんて予想しろというのが無理な話だ。
蔓からぶら下がって地上を見下ろせば、私たちの他にもご令嬢とその家族がいた。皆、正装かそれに準じた格好で来ており、それぞれ混乱した様子だった。
当たり前だ。宮廷に招待されたのだ。失礼に当たらない格好で来るのが普通である。しかも、王太子の婚約者選び。たとえ招待状に明記されてなくても、場所が中庭と指定されたのならお茶会やパーティなどといった様式を想像する。服装に気合が入るのも無理はない。せめて、服装の指定があればリリアのように傷つかないで済んだのに——。
ああ、むかつく。嫌い。大嫌い。臣下を顧みない為政者なんて私が一番嫌いなタイプだ!
私が色々と過去を思い出して腹を立ててると、視界にちらりと赤い髪が映った。
私は慌ててそちらへ方向転換した。今度は燃えるような赤い髪の人物をはっきりと視界に入れる。
目的の人だと確信した私は、思わずニヤリと笑った。
見ぃつけた。
私はすかさず大きく身体を揺らし、蔓に更なる勢いをつける。
ロータス殿下は、暇そうに大木の枝に足を引っ掛けてぶら下がっていた。斜め上空にいる私には気付いていないようだ。逆さまになった状態で欠伸をし、ポツリと言った。
「むう、つまらんのう」
その発言に、私はリリアの泣いている姿を思い出し——不敬とか考える前に、身体が動いた。
勢いが一番強くなるときに蔓から手を離し、右足をピンと伸ばし殿下の腹部へと狙いを定める。
未だぼうっと眠たそうにしている殿下へ、私は叫んだ。
「——殿下ァ! お覚悟ォ!」
どこぞの刺客かのような掛け声に、ロータス殿下が驚いたように私を見上げた。
「えっ」
殿下の呆けた表情に、彼へ飛び蹴りを実行した私はやらかしに気がついた。
あっ。どうしよう。
着地、何にも考えていなかった。
後悔するももう遅い。ときの流れは万人に共通だ。
見事殿下に飛び蹴りを命中させた私は、彼と共に地上へ落ちていった。