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20 疑心


「二年も一緒にお過ごしなら、いい加減気がついたでしょう? ()()は根幹からして違う生物です。普通の人間とは規模が違いすぎて、良くも悪くも周りに影響を与える。最たる例が、ジュター伯爵の事件です」


 真顔で語る義妹に、私は口を挟めなかった。


「かの伯爵は転移魔法の研究者として有名でしたが、ある時期を境に研究はパッタリと途絶えました。何故でしょうか? 答えは、当時八つのロータス殿下に己の著書の不十分さを指摘されたからです。それがきっかけで魔物へと堕ちてしまったのですから、なんとまあ心が弱いこと。ですが、同時に理解もできます。研究を十年以上続けてきた大人が、まだ八つの子供に得意分野で論破されては、心が折れるというのも納得です。人間というのは、存外、脆いですから」


「……何が言いたいのよ」


「お姉様もいずれそうなるという話です」


 義妹の言葉を私は否定した。


「あり得ない。私が殿下のせいで心が折れて、それが理由で死ぬとでも言いたいの?」


「ええ、そうです」


 義妹があまりにもキッパリと断言したため、私は咄嗟に言い返せなかった。

 その隙に、彼女は私に問いかけてくる。


「お姉様。お姉様はご自身の価値をどこに見出しているかちゃんとご存じですか?」


「は……?」


 何よいきなり。

 義妹の質問が理解できず怪訝な顔をすると、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


「ああ、やっぱり。無自覚でしたのね。答えは簡単ですよ、お姉様」


 義妹は無表情から一転、満面の笑みを浮かべた。


「お姉様がロータス殿下の婚約者であることです!」


 義妹は立ち上がって、さほど離れていなかった私に近づき手を取る。そして、笑顔のまま告げた。


「天才でありながらその才能ゆえ孤独であった彼の側を離れないこと。それでいて彼が自分に寄せる好意を甘んじて受け入れること。そして、その貰った分だけの好意を返し、彼の孤独を埋めること。主にこの三つでしょうか? お姉様がロータス殿下に依存していると思われる行動は。どうやら、自覚していませんでしたが」


 迫る義妹から逃げようと後退るも、無理やり握られた手が逃亡を許さなかった。振り解こうとするも、ちっとも力は緩まない。それどころか私の手を握る力は大きくなる。


「な、なにを言っているの……?」


 目の前の彼女の言動が理解できず、私は動揺した。上手く頭が回らず、言葉が出てこない。

 怖い。まるで今までの出来事を見てきたかのような言い草に、義妹に得体の知れない恐怖を感じた。


「どうして? と、思っている顔ですね。先ほど言いましたでしょう? 私は、宮廷の使用人にお力添えして貰っているって」


 私の心を見透かしたかのように義妹が言った。

 彼女は私を見上げ、嘲笑う。


「ねえ、お姉様。何の取り柄もないお姉様のことですから、自ら殿下の婚約者を希望したわけではないでしょう? おそらく、誰かにせがまれて……もしくは、ご本人に直接頼まれたりでもしたのかしら? どちらにせよ、お姉様は婚約の話を消極的に受けたはず。もしかしたら、他に立候補者が居ればお姉様は婚約者の地位をお譲りになったかもしれませんわね。でも、今はどうかしら?」


 義妹の金色の瞳が細められた。


「もし、殿下が他の方に心移りして、お姉様に別れてくれと仰ったら、お姉様はそれを受け入れられるのですか? ……ああ、ごめんなさい。お姉様とロータス殿下がとてもとても仲睦まじいことはかねがね存じております。ええ、きっと、あり得ない未来です。でも、ねえ? 人の心なんて移りゆくものですから。『絶対』とは、口が裂けても言えませんわ」


 ですから、お姉様。

 義妹は「あくまでも」と、強調する。


「ほんのひとつまみの可能性として。もし、ロータス殿下がお姉様のことを『いらない』と、『必要ない』と判断されたら——そのときは、どうするのですか?」


 殿下が私を不必要だと判断したら?

 そしたら、私は——。


「潔く身を引きますか? 引けるのですか? 今まで自分にだけ向けられていた笑顔が、違う女に向けられてお姉様は心穏やかにいられるのですか? 殿下の婚約者であること、殿下に愛されていることに喜びを見出しているお姉様が、その光景に耐えられるのですか?」


 矢継ぎ早に質問責めしてくる義妹に、私は否定するよう首を横に振った。


「ロータス殿下はそんなこと……」


「あら? お姉様、ちゃんと『はい』か『いいえ』で答えてください。それとも、答えられないのですか?」


 ニヤニヤと馬鹿にしてくる義妹を無視して、論点を逸らす。


「……そんな未来の話と私が死ぬことに何の関係があるのよ」


「大有りですよ。だって、考えてみてください。ジュター伯は研究で成果を残すことが己の価値に繋がっており、依存先を壊された彼は自滅してしまいました。そんな伯爵とあなたに、違いがあるのでしょうか?」


「違うに決まっているでしょう!」


「同じですよ」


 義妹のあっさりとした物言いに腹が立って、私は声を荒げた。


「馬鹿にするのもいい加減にして! 私はそんな心が弱い女じゃないわ!」


 私の言葉を義妹は鼻で笑った。


「怒鳴らないで、お姉様。お詫びに、どうしてさっき質問に答えられなかったのか教えて差し上げますから」


 余計なお世話よ。

 そう言い返す前に、義妹は淡々と私に告げた。



「お姉様は、本当はロータス殿下のことを愛していないからですよ」



 彼女の発言に、耳を疑った。


「なにふざけたこと言って——」


 反射的に反論する。だが、言い終わる前に義妹は私の言葉を遮った。


「ふざけている? ずるいお姉様。そうやって純情ぶって、本当は殿下のこと大して好きじゃないくせに、居心地が良いからお側にいるだけではありませんか」


「——随分と、勝手に言ってくれるわね」


 あんまりな言い草に、私はカッと頭に血が上った。

 私の気持ちなんて知らないくせに、勝手に断言する義妹に怒りが湧く。


「私の気持ちは私が決める。あなたに好き勝手言われる筋合いはない」


「あらあら、では、殿下のことを愛していると? 耳当たりの良い言い訳ですわ」


 義妹は声を上げて笑う。


「では、お尋ねします。お姉様、あなたは一度でも殿下に『好きだ』と言ったことがあるのですか?」


「え……」


 それは……私は、彼に好意を伝えたことがあるということだろうか。

 そんなの、あるに決まっている。行動で、態度で、十分示してきたはずだ。言葉でなくても、彼に十分伝わったはずだ。

 ……ああ、でも。

 ——私、殿下に「好きだ」と言ったことあったっけ。


「お姉様。私に『殿下を愛している』と反論しながら、なぜ彼に言葉で好意を示さないのですか?」


 私の心を見透かしたように、義妹が矛盾を指摘する。


「そ、そんなの、わざわざ言葉にしなくたって、伝わるから……」


 強く反論できない。こころなしか声が震えた。

 心臓が早鐘を打つ。嫌な汗が額に滲む。

 私はロータス殿下が好きだ。好きなはずだ。

 なのに、どうして、こんなに不安になるのよ。


「あはは。みっともない言い訳ですこと」


 義妹が笑う。嗤う。彼女は私を見上げているはずなのに、その目は私を見下している。


「お姉様。可哀想なお姉様に、もう一度教えて差し上げます。あなたはロータス殿下を愛していない。だって——」


 義妹は握っていた手を離し、代わりに私の頬を両手で挟むように添えた。


「お姉様は、自分の価値を見出すためにロータス殿下を利用しているだけ。そんな醜い感情を『恋』だとか『愛』だとか綺麗な感情で誤魔化しているだけでしょう?」


 顔から血の気が引く。

 違う、と小さく首を横に振った。

 否定する私に構わず、義妹は話し続ける。


「醜い感情から目を背けて、心地よいぬるま湯に浸かっていたいだけなんですよ」


 ……違う。


「殿下に愛されて嬉しいけれど、それは一般的な恋愛感情ではなく、お姉様が公爵家で愛情を注がれなかったその反動です。誰にも必要とされていないところに、頼られてしまっては、嬉しくて勘違いしてしまいますよね」


 ……違う。


「でも、お姉様は行動や態度で好意を匂わすも、無意識に言葉ではハッキリと伝えませんでした。せっかく手に入れた愛情を失いたくはないけれど、言葉にしてしまえば、同時に違和感に気がついてしまう。だから、あなたは目を逸らした」


 ——違う。


「今のお二人の関係ならば、精神的に優位なのはお姉様の方です。余裕があったせいで、その歪んだ承認欲求に気付きにくかったのかもしれませんね。ですが、もう理解したでしょう? お姉様の殿下に対する感情は、恋愛ではなく、執着であり依存だということに」


「——違う!」


 私は頬に添えられた義妹の手を払った。

 一歩後退って、情けなく肩を震わせながら彼女に言い返す。


「わ、私は、ロータス殿下のことが好きよ。あなたが言う歪んだ感情ではなく、ちゃんと、恋愛感情として……」


「嘘吐き」


 義妹は無情にも私との距離を詰め、肩を両手で掴んできた。


「お姉様、そんなに真っ青な顔をして反論しても説得力ありませんよ? お姉様、図星を突かれて動揺しているでしょう? 何年一緒に住んでいたと思っているのですか。それくらい見抜けますよ」


 ギリギリと私の肩に義妹の爪が食い込む。痛みで顔を歪めると、彼女はとぼけた声で謝ってきた。


「ああ、ごめんなさい。お姉様があまりにも鈍感で、苛ついてしまって、つい」


 義妹はパッと肩から手を離した。もう私には、彼女を非難する気力は残っていなかった。

 そんな私を覗き込むように、義妹は可愛らしく首を傾げた。


「私が少し指摘しただけで、これですもの。お姉様。このままでは死ぬという意味がわかりましたか? 今ですらちょっと後押ししたら自殺してしまいそうなのに。今後ロータス殿下と付き合って、己の醜さと向き合ってしまったとき、心が押しつぶされない自信がありますか? 衝動的に己を殺さないと誓えますか? できないでしょう?」


「……私が死んでも、あなたが困ることなんてないくせに……」


「困りますよ。すごく困ります。凡人なお姉様には理解できないでしょうけど、私には色々あって、お姉様が必要なんです。まあ、本音を申し上げますと、あなたの精神が壊れようがどうでも良いのですが、死んでしまうのだけは困るんです。ですから、こうして親切に忠告しているんですよ? お姉様、心が壊れたらその勢いのまま自殺してしまいそうな性格なので」


 早口で捲し立てたあと、義妹は何かに気がついたように扉を見た。つられてそちらに顔を向ければ、いつの間にか扉が空いており、リリアがいなくなっていた。義妹はその場に座り込んで震えているイザベラを一瞥すると、「そろそろ時間ですね」と言って、くるりと私に背を向けた。


「全く。役立たずのせいでとんだ無駄足を運びました。まあ、お姉様に嫌がらせ(忠告)できたので良しとしましょう」


 私が何も言えないでいると、義妹は半身だけ振り返って言った。


「お姉様。今日の私の言葉を良く考えてくださいね? 公爵家はいつでもお姉様のお帰りを歓迎致しますよ」


 義妹が見惚れるほど美しい笑みを浮かべたとき、突如、彼女の頬に亀裂が入った。

 甲高い音を立てながら、亀裂は彼女の全身に広がっていく。私が息を飲んでいる間に、義妹は笑みを浮かべたまま、まるで硝子の破片のように割れた。

 人の形を失った義妹は、白い砂へと姿を変える。パラパラと床に積もっていくそれを呆然と眺めていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。


「——アザレア!」


 振り返れば、ロータス殿下が息を切らしながら私に駆け寄ってきた。やや遅れて、リリアも切羽詰まった様子で部屋に入ってくる。呆けている私に、彼はもう一度私の名を呼んだ。


「アザレア。大丈夫か、アザレア」


 彼は心配そうに私の肩を揺さぶった。私は小さく頷き、目の前に積もった白い砂を指差した。


「エ、エリーゼが……」


 死んだ、と私が言い切る前に、殿下は首を横に振った。

 彼は私から離れ、白い砂を摘む。そして、私に見せるように反対の手のひらに移し、一言二言呟いた。

 すると、白い砂は小さな鳥を形成し、殿下の手のひらから飛び立つと彼の肩へと止まった。


「遠隔魔法の一種だ。動物の骨を砕いた粉を利用し、形を変え、術者の意思に沿って動かす魔法。本体は最初から宮廷にいない……ここに忍び込んだ、もしくは誰かが手引きしたという事実は変わりないが」


 苦々しい表情でロータス殿下は言った。

 私は目の前で人が死ななかったことへの安堵と、義妹がまだ生きているという事実に複雑な気持ちを抱いていると、殿下が「すまぬ」と謝ってきた。


「遅くなった。余が不甲斐ないばかりに嫌な思いをさせた」


「い、いえ、大丈夫です。殿下……」


 ロータス殿下のことだ。彼がすぐに駆けつけられなかったということは、何か事情があるのだろう。義妹が何か妨害を仕掛けた可能性もある。彼を責めるつもりなど毛頭ない。

 だから、心配させないよう気丈な姿を振る舞おうとして、彼と目を合わせた。

 だけど、太陽のような赤い瞳を見た瞬間、義妹の言葉が脳裏をよぎった。


 ——お姉様は、本当はロータス殿下のことを愛していないからですよ。


 そんなことあり得ない。いつもの義妹の虚言だ。

 人の事を馬鹿にして、見下して、人を傷つけて、取り乱す様をケタケタと嗤って楽しむ。そんな性悪な女の言葉なんか信用できないに決まっている。

 ……決まっているのに。


「……アザレア?」


 顔を上げてすぐ俯いた私に、殿下が怪訝そうに声をかけてくる。

 私は俯いたまま、彼に言った。


「……ロータス殿下。少し、一人にさせて貰ってもよろしいでしょうか?」


 殿下の顔を見れない。

 私は本当に殿下が好きなの? 愛してるの?

 好きってなに? 愛ってなんなの?

 そんな単純で馬鹿みたいな疑問を頭の中でぐるぐると巡らせながら、私は殿下の返事すら聞かず居室から出て行った。


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― 新着の感想 ―
[一言] う~ん、賛否両論別れそうな展開ですね。私個人として「アザレアちゃんの立場になってみ?前世・今世、人として否定され続けて生きて来て、婚約者を愛しているか聞いてくるのがトラウマ必死の妹とか…」っ…
[良い点] さてはこの作品凄い面白いな… まだ20話しかないなんてここから続き気になり過ぎるから辛い奴。 思ったより風呂敷大きそうなんでしばらく浸れそうで期待値高めです。楽しみします。
[気になる点] そもそもの話、宮廷の人間を懐柔して転移で無許可で侵入した時点で、真面目に処罰の対処だと思うのですが。 結果的にただ話をして終わってますが王太子妃を襲撃してるようなものですし。 しかも物…
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