11 頭突き
クウロのおかげか、下山途中で獣に遭遇することはなかった。無事に皆を村へ送り届けることができて、ほっと胸を撫で下ろす。
魔物の襲撃があっただけあって、村は酷い有り様だった。建っている家屋はボロボロなうえ、畑は荒れている。あちこちに血痕や壊れた農具が散乱している状態だ。
私の身長の二倍はあるクウロを連れているためとても目立っているのだろう。荒れた畑を整えていた人が、私たちに気付いて何やら指を指して叫んでいる。すると、家屋から続々と人が出てきた。
私と一緒に下山した村人たちは、それを見た瞬間、家族のもとへ走っていった。涙を流しながら父や母、夫と子供に抱きつく彼らを見て、私も思わず安心して笑みを浮かべた。
「アザレア様!」
すると、コンダさんが私を呼んだ。彼の隣には年配の男性が立っている。手招きするコンダさんに近寄ると、彼は私に隣の男性を紹介した。
「アザレア様、今日は本当にありがとうございました。こちらは、俺らの村……エボウ村の長、コウメ様だ」
「話はコンダから聞いております。この度は村の者を救っていただき真にありがとうございました、アザレア様。あなたとロータス殿下はこの村の救世主でございます。貧しい村ですが、どうか今夜はもてなしをさせてください」
コウメと呼ばれた男性は、白髪が混じった頭を私に下げた。私は「頭を上げてください」と言い、コウメさんに対して微笑んだ。
「……お気遣いありがとうございます。ですが、私は貴族としての義務を果たしただけのこと。礼には及びませんわ」
私は彼と目を合わせた。コウメさんは態度や言葉使いこそ丁寧だったが、私を見るその瞳はどこか怯えている。高位貴族に対しての恐れではない、それよりもっと、単純で暴力的な……親に叱られる前の子供のような怯え方だ。
私がやんわりと断って王都へ帰ることを告げると、コウメさんは焦った様子で引き止めてきた。
「そ、そんな。村の恩人に何もしないで帰すわけにはいきません。どうか、私どもを思うなら、どうか、茶の一杯だけでも……」
私がもう一度首を振ろうとしたら、コンダさんが口を挟んできた。
「アザレア様、ダメですか? そりゃあ、アンタらが普段飲み食いしているもんには敵わないだろうけどよ……俺のカミさんのロクザのパイも絶品ですぜ。どうか、一口ぐらい食っていってくれませんか?」
コンダさんの悲しそうな表情に、私は良心が痛んだ。早く帰った方が良いとは理解しているが、彼の好意を無碍にはしたくなかった。
私は根負けして「では、お茶だけなら」と村長の意見を呑んだ。
*****
結論から言うと、ロクザのパイはすごく美味しかった。なんてこった。前世はともかく今世はかなり良い食生活を送っている私が、一口食べただけで思わず美味しいと唸ってしまうほどの代物だとは……。
本当はワンホール食べ切れるぐらいの美味しさだったが、子供たちが羨ましそうにパイを見てきたのだ。私は大人ぶって「とても美味しいのですが、私一人では食べきれませんわ。よろしかったら手伝ってくださる?」と残りを全て子供たちにあげた。私、ちゃんと大人になった。成長してるよ、私。
それは置いといて、私は村長の自宅でお茶をご馳走になっていた。先ほどまでコンダさんとその奥さんが話し相手になってくれたが、二人ともコウメさんに呼ばれたのだ。
長居したつもりはないが、昼からそれなりに時間が経ったようだ。そろそろお暇した方が良いだろう。私は窓越しで夕焼けを眺めて、ティーカップを置いた。小さな村だが、村長は良い暮らしをしているようだ。家や調度品からして「貧しい村の長」とは思えない物ばかりだ。
それに違和感を持って首を傾げると、どんどんと窓から音がした。
「なに……て、クウロ?」
窓を見れば、クウロがガラスを叩いていた。窓を開けて、白銀のドラゴンに問いかける。
「なによ、どうしたの? 城にさっさと帰れって言いたいの? もうすぐ用事が済むからそれまで待って——」
私が頭を窓の外に出すや否や、クウロは私の襟首を口で咥えてきた。そのままとんでもない力で、有無を言わさず私を外へ引っ張り出す。
「え、ちょっと、きゃ!?」
どすん、と雑に窓から身体を放り投げられた私は、尻もちをついた。地面に打った腰を撫でながら、クウロに文句を言う。
「なにすんのよ! 痛いじゃない!」
しかし彼女は私の抗議など構わず、襟首を咥えたまま私をずるずると引きずってどこかへ運ぼうとしていた。
「わかった、わかったって。そっちに行けばいいんでしょ。わかったから首を離して」
私がクウロの頭をペチペチと叩くと、ようやく彼女は私の襟首を解放する。そして、「見ろ」と言わんばかりに顎で前方の曲がり角を示した。
「……こっちに何かあるの?」
私はクウロに急かされて、曲がり角に近づいた。玄関とは反対方向だったため、曲がり角の先は村長の家の裏口か裏庭でもあるのだろう。何か気になる物でもあったのかしらと考えていると、誰かの話し声が聞こえてきた。
コウメさんだ。彼は誰かと会話しているようだった。盗み聞きは悪いなと思って踵を返そうとしたら、クウロに背を突かれそのまま進めと睨まれる。
「ちょっと、クウロ。一体私になにをさせたいのよ」
小声でクウロを責めていると、コウメさんの悲鳴じみた訴えが聞こえてきた。
「そんな! 私どもは生贄を差し出したではありませんか!」
物騒な単語に、思わず振り返る。曲がり角から顔だけを出して様子を伺うと、彼は私たちに背を向けて誰かと言い争っていた。口論している相手は私からは見えなかったが、声は何とか聞き取れた。
「なにを言うか。お前が生贄を献上したことが事実なら、それらが逃げ出したのもまた事実。そして、あの男を拠点に案内したのもお前のところの村人の仕業だ。ならば、この不始末はお前の責任だろう」
「ですが、新たに生贄を要求するなど……これ以上魔物に女子供が拐われては、村人たちに不自然だと勘付かれてしまいます! あの公爵家の娘一人で手を打ってくださると、先ほど仰っていたではありませんか!?」
なんですって?
あの村長の口ぶり。魔物の襲撃はあらかじめわかっていたと? いや、そもそも、生贄として差し出していたってことは……。
「黙れ。人間のお前が魔族の我に口答えをするのか?」
すると、村長に隠れて見えなかった相手が、私からでも確認できるほど膨張していった。人間ほどの大きさだったそれは、倍以上まで膨らみ、肥大化した右手でコウメさんの頭を握った。
悲鳴を上げる村長を「うるさい」と一蹴し、魔物——オーガは笑う。
「お前は我らに生贄を差し出す。褒美として、我らはお前に金銀を分けてやる。そうして我が主人が取引してやったというのに……思いあがったか、人間」
「あ、あ……お、お許しを……」
「今更許しを乞うても、もう遅——」
刹那、クウロが飛んだ。土埃を上げ凄まじい勢いでオーガまで一直線に駆ける。声を上げる間もなく、クウロはオウガの首にかぶりつき、そのまま食し始めた。
私は血で汚れていく地面から目を逸らし、恐怖で固まっている村長の胸ぐらを掴んだ。
「村長! 一体どういうことよ! お前は守るべき村人を魔物に差し出していたのか!?」
説明しろと怒鳴る私に、コウメは怯えながら話し始めた。
「し、仕方がなかったんです……ご領主様に逆らえば、私の命もない……」
「なんでそこでジュター伯が出てくるのよ! 関係あるの!?」
コウメは震えながら頷く。
「ご領主様はもう……人間ではありません」
怯える瞳は、私に対してではない。顔面蒼白となって、コウメは言った。
「あの方は魔物——それも、吸血鬼に、なられたのです」
*****
「だーかーら! 城に戻るのではなくて! ロータス殿下のもとへ行くって言ってるの! 言うことを聞いてよ!」
私はジュター伯の屋敷がある東へクウロを飛ばせようとしていた。しかし、彼女は何度言っても王都のある西へ身体を向ける。
身体を押してクウロを東へ方向転換させようとしても、彼女はびくともしない。私はぜいぜいと息を切らして、クウロを怒鳴った。
「いい加減にしてよ! もうすぐ夜になるのよ!? 時間がないの! 言うことを聞いてってば!」
私は村長の話を聞いて焦っていた。
コウメ曰く、一昨年からジュダー伯の様子はおかしかったらしい。昼間に外へ出ないことや、川を渡るのを異様に嫌がるなど、些細な変化があった。そして、半年前。魔物による農作物の被害が大きくなってきたため、減税を嘆願しに屋敷へ赴いたら、ジュター伯が侍女の血を飲んでいる場面を目撃してしまったらしい。命と引き換えに、生贄を配下に寄越すことで難を逃れたそうだ。そうして、近隣の村の情報を先程のオーガに伝え、人間たちを誘拐させていたのだ。
今回、自分の村が襲われたのは、単純に他の村に生贄となる人間がいなくなったからだった。
私は頭に血が上って、見逃してくれと懇願するコウメを無視し、一発ぶん殴ってしまった。気絶した彼を縛り上げ、コンダさんだけに理由を話して見張ってもらうことにした。あとでアイツはお縄につける。絶対に。
コウメの件は一旦置いておくとして、問題はロータス殿下だ。
殿下は、ちょっとした刺客や魔物程度なら自力で撃退してしまう。昼間のように力技も可能だ。
でも、吸血鬼となれば話は違う。魔物の中でも魔王に次ぐ強さを誇る化け物だ。夜になればその実力はさらに発揮されると言われている。しかも殿下はジュター伯が吸血鬼となっていることを知らない。不意打ちで襲ってこられては、いくら殿下でも無事で済まないはず。
昼間、無理やりにでも一緒に付いていけば良かったと後悔しながら、私はクウロの胴体を押す。
それでも、彼女は私を見下すように目を向けるだけで、一歩も動こうとはしなかった。
「お願い、クウロ。ロータス殿下のもとへ飛んで……」
滲む視界で、クウロに懇願する。彼女の腹に額を当てて、鱗を涙で濡らした。
「わかっている。私が駆けつけたところで、足手纏いになるだけだって」
クウロにではなく、私自身に向けて言う。
「何の取り柄もないもの。役立たずは役立たずなりに、余計なことはしない方が良いって……」
脳裏に浮かぶは、前世の私。
敵だらけの後宮のなかで、唯一心を許せた親友。彼女が政敵の刺客に殺されかけたとき、私は何にも考えないで彼女を庇った。腕に傷が残ったせいで、彼女は皇帝の怒りを買い、臣下へと降嫁されてしまった。一族の期待を背負って皇帝に嫁いだと、私は聞いていたのに。父や母の助けになれる、と喜んでいたことを知っていたのに。結果として、彼女を不幸にさせてしまった。「さようなら」と、悲しく笑って後宮を去った彼女の後ろ姿は、今でも鮮明に思い出せる。
これだけではない。私の失敗などいくつもある。どれもこれも、考えなしに余計なことをしたせいだ。
無能で馬鹿なんだから、何もしない方が良い。わかっている。わかっているよ。
「……でもね」
三ヶ月前の、春の夜。私を必要としてくれた人がいた。手を握ってくれる人がいた。
今世で初めて、人に必要だと頼られた。
嬉しかった。泣きそうだった。何の取り柄もない私でも、何かができるなら。たとえいつか離れるとしても。それまで、私は私を必要としてくれる彼に応えたい。
——だから。
私は握った拳に力を込め、顔を上げた。
「臆病になって、大事な人を助けようとしない自分が一番大嫌いなのよ!」
私は彼女の背に乗った。呆れたように見下していたクウロが、ぎょっと身体を強張らせたのがわかる。抗議するように暴れるのに耐え、彼女の首にまたがった。間髪入れず、クウロの顔を顎から持ち上げ、ぐいっと上を向かせる。
「つべこべ言わず、私に従いなさい!」
そして、クウロに頭突きをした。
ゴン! と、固い物同士がぶつかる音が響く。クウロが「ギャア」と悲鳴を上げ敵意を剥き出しにしてきたが、怯まずもう一度頭をぶつけ、言い聞かせるよう叫ぶ。
「お前の主人が危険だって言ってんのよ! さっさと飛べ!!」
じんじんと痛む額を無視して、私はクウロに命令した。
彼女は殺意を露わに私を睨んだが、負けじと睨み返し、東へ指を向ける。しばらくして、クウロはため息をつくと、東へ方向転換し、翼を羽ばたかせた。
「クウロ……!」
私が感謝の涙を流していると、クウロはニヤリと笑って上昇する。
うん? と私が彼女の笑みに嫌な予感を覚えていると、ある程度の高さまで上がったクウロは、何の合図もなく飛行を開始した。
——行きよりも凄まじい速度で。ぐるぐると回ったり、左右に揺れながら。