01 前世の記憶
最初に思い出したのは、処刑前に髪を切られた感覚。こころなしか軽くなった頭が新鮮で、死ぬ直前なのにそんな感想を抱く自分を可笑しく思った。
石畳の上を荷馬車がガタガタと走る。私を見世物とするため、街道の真ん中を行進していたのだ。
民衆の罵声と歓声が混じる街を見渡して、隣の見張りに声をかける。
「いまは、何時かしら」
見張りは怪訝な顔で私を見たが、躊躇うように「もうじきで夕刻になります」と答えてくれた。
「そう」
微笑んで、ありがとうと言いかけたとき、頭に石をぶつけられた。
頭を抑え痛みに呻くと、石を投げただろう女が私を指差して叫ぶ。
「この悪女め! この後に及んで見張りを誘惑しようとしていたよ!」
女の言葉に、周りにいた人々がワッと一層騒ぎ始めた。
「やっぱり、あの女は悪女だ!」
「先代の皇帝はあの女に誑かされたんだ!」
「あの女のせいで国が傾いた! 滅びかけた!」
「税が重くなったのもあいつが贅沢をしていたせい! 戦争が起きたのも、あいつが敵国の王を惑わしたせいだ!」
「あの女さえ! あいつさえいなければ!」
違う。
私のせいじゃない。
税を増やさなければいけなかったのは、戦争に備えるため。戦争が起きたのは、敵国の王がこの国の資源が欲しかったから。
そう叫びたくても、次々飛んでくる石やゴミに当たらないよう身を庇うのに必死で、口を開く余裕なんてなかった。
震える私を見張りは一瞥して、「黙っていてください」と冷たく言い放つ。
見張りの態度は当たり前だった。もう私に味方なんていない。何か言い訳するだけ無駄なのだから。
私は彼の言う通り、処刑台がある広場に着くまで口を閉じていた。
「着きました。降りてください」
御者がそう告げると、私はほとんど引っ張られるように荷台から降ろされる。
そして、ギロチンへと連れられ、憎悪に満ちた民衆の前で膝をつかされる。
「——罪人、元皇妃サメルラ・アインザッツの罪を述べる」
私の頭上で、処刑人が罪状を読み上げる。
「貴殿は先代皇帝であるホウラン陛下の寵愛を盾に、帝国の秩序を乱した。宮廷で贅に溺れ、いたずらに争いを起こし、この帝国に暴虐の限りを尽くした。そしてあろうことか、貴殿を宥めた貴族はことごとく殺害し、遂には敬愛すべき己の夫、ホウラン陛下まで毒殺するに至った」
でっち上げの罪状に、反論する気力すら湧かない。
たとえ真実を告げたところで、誰も私を信じない。信じてくれた人は、皆晒し首となっている。
家族や親しかった友の首が広場で並べられている現状に、私は涙すらでなかった。
ただただ漠然と心を支配しているのは、疑問。
どうしてこうなってしまったのだろう、という単純な疑問。
「——よって、サメルラ・アインザッツに死刑を科す!」
長々とした罪状を言い終えたのだろう。締めの言葉と共に民衆が歓喜で湧き、私の首はギロチンに固定される。
憎しみと喜びが混じった人々を眺めながら、何がダメだったのだろうかとぼんやり考える。
十三までは、ただの村娘だった。たまたま視察に来ていた役人が、私を皇帝の後宮に入れると言い出した。役人の命令を断れば命は無い。多額の報酬と引き換えに私は役人に引き取られ、後宮に入ることとなった。
何の後ろ盾もない私が皇帝陛下のお目にかかれるはずがないと、周りからそう何度も言われた。その通りだろうと思って、後宮では穏やかに過ごしていたとき、陛下からお呼びがかかった。周りが貴族の娘であるなか、野暮ったい村娘が珍しかったのだろう。陛下の覚えがめでたくなった私は、何度か彼に呼ばれるようになった。
その頃は「多少見目が良いだけの田舎娘」と嗤われることが多かった。その通りだった。多少人より容姿が整っていただけで、学も楽も作法も、どの妃よりも私は劣っていたからだ。
陛下は何度も私に「美しい」と褒めてくれた。だけど、容姿以外に褒められたことはなかった。陛下が私に求めていたものは、そういうことだ。だから無能な私はこうして政敵に嵌められたのだ。
気づいた時には何もかもが終わっていた。でっち上げの証拠で毒殺の犯人だと仕立て上げられ、弁解する間もなく牢に入れられたあと、私の家族や味方は全員殺された。謂れもない噂を民衆に流し、私の処刑に異を唱える者をなくした。こうして私は、国を傾けた悪女として歴史に名を残すのだ。
ああ、そうか。
あの役人に見つかった時点で、私の結末はもう決まっていたんだ。
「ふふ」
美しいだけが取り柄の村娘。
それ以外は空っぽだったから、こんな結末を迎えるんだ。
そのことが可笑しくて、私は小さく笑った。
「ははは」
民衆の歓声が一際大きくなる。その反応で、もうじき私の首が家族と共に広場に並ぶことを察した。
死の間際。人は気分がこんなにも高揚するのだろうか。私は滲む視界で青空を見上げ、天に祈った。
ああ、神よ。もし、この私を哀れに思うのなら。
もう二度と、力のある者と巡り合いませんように。
そう願って、涙をこぼした。
そこから先は、記憶にない。
私の前世は、ここで終わったのだ。
*****
神というのは残酷だ。
時の権力者に寵愛されたせいで命を落とした私を、今世ではその権力者側にするのだから。
私こと、アザレア・エル・サベージはカボス王国の公爵の娘として生を受けた。
そして何の因果か、私は皇太子ロータス殿下の婚約者となってしまった。
ロータス殿下は太陽みたいなお人だった。
端正なお顔立ちに、燃えるような赤い瞳と髪。容姿が整っているだけではなく、頭脳明晰でもある。あらゆる学問に精通しており、政治、経済はもちろんのこと、前世ではなかった魔法という摩訶不思議な術にも造詣が深い。武術も素晴らしく、騎士団長が殿下には敵わないと降参するほどだ。
まさに、天才。
これほど殿下を表すのにぴったりな言葉はない。それほどロータス殿下は素晴らしく、凄まじかった。
そう、凄まじいのだ。
殿下は凡人である私の想像など遥かに超えることをやってのける。太陽が東から昇って西に沈むのが当たり前だと言わんばかりに、突拍子もないことを平然とこなしてしまうのだ。
もし彼の欠点を上げろと命じられれば、本当に唯一の弱点として私はこう申し上げるだろう。
ロータス殿下は、普通ではないと。
生半可な覚悟で彼を評価してはいけない。
甘く見れば、痛いしっぺ返しが待っている。
……例えを上げるなら。
今、両陛下の御前で咽び泣く勇者殿のように。そして泡を吹いて倒れている聖女様のように。
「うむ? 勇者はなぜ泣いておるのだ? アザレアよ。其方にはわかるか?」
こてんと首を傾ける殿下。なぜかそのお姿は返り血で汚れている。
そして、右手には土塊と一体化した聖剣。左手には形状し難いグロテスクな何か。
私は扇子を握りしめ、困惑している殿下に意を決して話しかけた。
「その前に殿下。その手に持っているハンマーと化した聖剣は一体どうしたのでしょうか」
「これか? 恥ずかしいことに余では聖剣が抜けなくてな。ゆえに、修行で借りる際、土台ごと持っていった。良き負荷であったぞ!」
「さようですか。ところで殿下。その左手にお持ちの肉片は一体何でございましょうか」
「これか? 魔王の首である! さっき倒してきた! 良き修行相手であった」
うんうんと満足気に頷くロータス殿下に、誰も何も言えない。両陛下は遠い目をし、従者は悟りを得たのか背後から光明を出している。先日殿下を煽った勇者は何度も何度も謝罪を繰り返し、聖女は未だに目が覚めない。そして、輝かんばかりの笑顔で「余、凄いだろ?」と胸を張るロータス殿下。
混沌とした謁見の間で、私は何をどう突っ込むべきか戸惑っていると、殿下が更なる爆弾を落としてきた。
「なに、将来国を背負う者としては当然であろう。余ができたのだ。アザレアも修行すれば魔王を倒せるだろう。そうであろう、アザレア!」
殿下の発言に、私の残っていた理性が弾け飛んだ。
「修行感覚で魔王を倒す人間がそう簡単に居てたまりますかァ!」
私の叫びに、その場に居た殿下以外の人間が必死に頷いた。