1-41.妖女現る。
〇望〇
「少し暇になったね」
だからという訳ではないが、頭を回し始める。
美怜が周りに対しても積極的になってくれてるのはいいのだが、その分、自分に対しての過剰な親愛行動も増えている気がする。
元々、あの永年小学生が歪んだ家族観を埋め込めたことが原因なのは間違いない。
彼女の著作の多くは、近親相姦まがい、例えば姉の夫と妹の話があったりもする。
読めばある程度納得できたのだが、ちょっと性表現がキツイ作品もあり、まさに大人の女性向け作品だ。
「それを現実に投影しようとするのはどうかと思うのだがね?」
さておき、家族という設定が、常識という垣根を低くし、更には美怜に施した意識誘導――他人の目を怖がらないという意識の仕方がそれを一層低くしているようだ。
更には彼女自身が家族依存症所――いや僕に対する依存症を患っているのも原因だ。
なんだかな、とは思う。
正直、弄られている気がしないでもない。遊ばれているのか、と思うと新鮮な感じすら覚える。相変わらず、自分は人として軸がずれている。
それでも一緒に寝るまでが限界だろう。家族同士だ。
うん。なんだか恐ろしく卑猥な夢を見たことがあるが、夢の中の出来事なのでノーカンだ。
「僕のこれから、青春か……」
先ほどの会話を反芻し、暇つぶし。
「二年十ヵ月もあるね?
頼まれごと――美怜を名前通りに生きていける力を与え終わった今、後は僕が居なくても美怜が自立できれば良いだけだ。
それには、僕が他の高校や海外に編入してしまうという手が早い。
関東ならばお義父さんの近くに戻ることも出来る」
自分の手を見、思い出したのは美怜に拒否された翌日のことだ。
起きた時に有る筈のその手が無くて、自分が落胆という感情を得たのはよく覚えている。
だから、その次の日、説得するために自分が倒れかけた。
自分でも驚くほどの愚策だったが、それによって僕は彼女の手を取り戻すことが出来たことは素直に嬉しい。
ちなみにそれを取り戻した後、更に一日、彼女が火傷で一緒に寝ることが出来なくなった際は、僕は言葉に言えない喪失感を得た。
――なんだろうか、これは? 弱くなってしまったのか?
人間、一度得た安定を手放すのが一番怖いという。
餌や悦楽を与えた人間はそれを簡単には手放さないようになる。要は僕はこの関係――家族ごっこを失うのが怖いのだ。
「あと、二年十ヵ月しかないのか――」
そう考えると、その残り時間を短く感じてしまう。
「家族ごっこの他にも、青春らしいことをするのもありかもしれないね。
舞鶴にいるのだから魚釣りなどのスポーツもしてみたい。動物ぬいぐるみの収集もいい。
そして自分がこれまでしたことの無い恋愛をしてもいいかもしれない」
いっそ、ソラ君と付き合うのも有りかも知れない。
そもそもに僕は彼女を潰す事に楽しみを覚えていたが、それは既に過去のことだ。
彼女から向けられる素直な感情には慣れない経験で戸惑うが、嫌いではない。
敵意を捻じ曲げてポジティブに解釈することはあっても、好意を捻じ曲げてネガティブになるほど、僕は捻くれていない。
僕は今まで自分の能力を上げることに時間を費やしてきたが、それはお義父さんに僕を見てもらいたかったのと周りをねじ伏せ、認めさせるためだ。自分が満たされるためにすることは何一つ無かった。だからいい機会なのかもしれない。
「とりあえずはこの体育祭のメインイベントであるお弁当タイムが楽しみだね。
ソラ君のは好みが似てるらしく、腕はプロ級。
美怜のは暖かい家庭の味を体現してくれる。
判定でズルする気は無いし、それも青春らしくていいじゃないか?」
正直、競技はどうでもいい。
点数の高い大取、学年順クラス別男子リレーに僕が出れば問題無いからだ。
最悪、僕が居なくても水戸が出れば勝てる。
「ぉーい、望、なんや嬉しそうやな?」
突然のことで思考が止まった。
振り向くと、ここにいない筈の人が女子更衣室の隣――教員用女子トイレから出てきて声をかけてきた。
「唯莉さん……?」
この高校の制服を着た四十歳近くの少女はニシシと笑う。
髪の毛を紫色に染め、それをポニーテールにし、より幼さを演出している。見た目は十二歳頃。
しかし、中身は関西オバサンだ、本物ではない。
言うなれば、幼女ならぬ妖女であろう。
「なんや、化け物みたいに唯莉さんのことをみよってからに失礼なやっちゃな」
「――年甲斐もなく、ここの制服を着てくる必要あったんですか? 成長しないにせよ」
「自分、子供見た目すぎてこういう所に来る時は工夫せなあかんのや」
「……とりあえず、通報でいいですか?」
「叫んだらどっちが負けるか、わかっとるな?」
この人は初めて会った時から苦手だ。
「さて、どうしてここに存在してるんですか、ぇぇ、早く存在を無くして下さい」
「酷い言い様やな、あれやトイレ待ち」
唯莉さんが指で示すのは教員用トイレの男性側。
この人が待つと言ったら一人しかいない。
仕事はぶっちぎりで待たせる人だ。
担当がカンカンだと笑い話をしていたと話していた気もする。迷惑な話だ。
「お義父さんが……?」
唯莉さんは笑みを止め、真面目な顔で僕を見てくる。
「ゴールデンウィークの少し前から舞鶴におってな。
先に暗示と覚悟で精神力を上げておけば、美怜ちゃんに会っても耐えれるようになったわ。
いや、唯莉さんも吃驚やね?」
言葉の意味が一瞬理解出来なかった。
会っていた?
美怜と会うと倒れるお義父さんが?
だからこそ、僕を美怜の代理品として、育ててくれていたのに?
「お、お義父さんは――体育祭を見に来るだけのためにそこまでしませんよね。
何が目的で、何を企んでいるんですか?」
この家族計画の幕引き、美怜との生活の終わりが浮かび、自分らしくも無く慌てた。
「さぁ? そのために苦労したのは確かやけどな
――何度、発作で病院にお世話になったことやら。
動画、五十メートル、十メートルと少しずつ慣らして、この前は同じ路面電車内でも大丈夫やった!
勝算は大分あるわ」
知っていることを誤魔化すように、えへんと無い胸を張る幼女もどき。
しかし、内容は驚愕に値するものだった。
「よくもまぁ、僕に気付かれないようにそんな前準備が出来ましたね?」
「美怜ちゃんの変装を教えたんは唯莉さんやで?
まぁ、あんたが路面電車で懸垂しとったとあの人の口から聞いた時は予想外やったけどな?
楽しそうでなによりや」
ニシシと笑う唯莉さんが僕と美怜の家族生活を仕込んだように何か計画を立てているのは確信出来た。
しかし、彼女からそれを聞き出すのは容易ではないし、その時間も無い。
「美怜が今着替えてるんです、すぐそこで、早く逃げてください」
唯莉さんの表情が固まった。
僕の言葉を聞いたからではない、後ろの扉が開いたからだ。