(1) 3人と1人の出会い
東京に隣接した某県。臨海部に多くの企業ビル等を持つ地域の近くにある、麗洲女子大学。
他の女子大と異なり、ここの学校には特徴がありました。
それは、ジェンダー問題や男女平等、性別に関する法律など、他の大学よりも明確に「性別、性差に関する研究」に力を入れているのです。
テレビ番組にもよく教授が呼ばれたりもして、名前が広まっていました。
そのため、そういったテーマに興味や魅力を持っている学生が集まるようになりました。当然、LGBTQに対しても研究や理解が進んでおり、自らもレズビアンである学生が多く在籍し、当たり前の存在として扱われていました。
普通の大学で「私は女性が好き」と言ってしまうと周囲からの好奇の目にさらされる可能性がありましたが、もう大学生ともなると、恋人と一緒にいる時間を大切にしたくなるものです。
そんな学生たちにとっては、校内で女性の恋人同士一緒に過ごせると言うのは、非常に魅力的に思われていました。
目的を持って入学し、恋愛に興味を持たず学問に専念している生徒や、レズビアンの生徒が在籍するこの学校、他校の口さがない男子学生からは「男に興味の無い麗洲女子大」等といわれる事がありましたが、それはこの学校の生徒からしてみれば、性的嗜好の問題ではなく、そんなことを言っている男子学生たちの魅力の無さを自覚すべきである、と言うのが言い分です。
そんな学生たちの中に混ざって、あたし、大原薫は、現在社会において女性の立場を高めよう、と思って入学したわけでもないし、かと言って、彼女が作りたくて入学したわけでもありませんでした。
「ねぇねぇ、薫、あなた、また狙われてるみたいよ?」
「ええっ、またなんかあった?」
不真面目そうな笑みを浮かべながら囁いてきたのは、同じ学科の友人である、清川多賀子です。多賀子とは最初の授業で隣に座った縁で知り合いましたが、表面的にはサバサバしているのに話すと人当たりが優しくて、ちょっと不思議なタイプ。見た目はちょっと派手な感じですが、上品で綺麗な雰囲気を持っています。
一緒に過ごしていて心地よく、気がついたらいつも一緒に行動するようになっていました。
そして、多賀子の隣にくっついているのが、横田由貴。多賀子の恋人です。彼女たちは自分たちの性的指向を受け入れてくれることがこの大学を受けた理由でした。
いつも二人で仲良さそうに過ごしているのを見ていると、あたしも嬉しくなってしまうような、そんなカップルです。
ほとんど毎日この3人で授業を受けていました。
「なんか、『今日大原さんって授業来るかな?』って聞かれたのよ。」
「むー、それっていつものように、あたしんとこに何か言いに来るつもりかなぁ。」
「薫って背も高いしボーイッシュだから、憧れの目で見てくる子結構いるよねぇ~」
多賀子がニヤニヤしながらあたしの髪の毛を引っ張ります。
実際、女子にしては高めの身長と、ショートカットにしていつもジーンズをはいているあたしは見た目は女性的って言うには少し苦しい気がします。
「あ、あの子あの子!こっち来るよ?」
多賀子が目線で合図を送ってきた方向に目をやると、確かに、ふわふわな雰囲気の、いかにもな『ザ・女子』が近づいてきます。
少し緊張したような表情で、あたしの前にやってきました。
「大原さん、いきなりですけど、大原さんって、女の子に興味ありますか?」
「ないです。ごめんね~?」
あたしは彼女が喋るのとかぶせ気味に答えて、必要以上に力を込めた微笑を相手に向けました。お断り!の意思表示です。
その子はちょっと残念そうな、寂しそうな表情をして、立ち去っていきました。
「薫~、今の子結構カワイイ子だったのに、それでもダメなの?キレイめの方が好き?」
「カワイイでもキレイでもあまり興味わかないんだよねぇ。なんか、好きって言う気持ちになる事が理解できない。あたしっておかしいのかなぁ。」
「ふーん、まぁ、おかしいわけじゃないとは思うけど。それとも、男の方が好き?」
多賀子はさっきの子を眼で追いながら、あたしに問いかけてきました。
「それもないの。だから、わかんないのよねぇ。」
「私と由貴がベタベタしてるの見ても嫌がらないから、てっきりそっちの趣味だと思っていたけど、もしガマンしてるんだったら言ってよね?」
「ガマンなんかしてないよ。むしろ、二人がうらやましいとは思ってるよ。誰かの事を好きって思えるのって、いいなーって思っているもの。」
そうなのです。多賀子は由貴の肩を抱いて、そばに引き寄せています。二人の距離がすごくうらやましいと思っていました。
誰かと密着したいと思える関係。一緒に居てわずらわしくなく、むしろ一緒にいたいと思う関係。
「なんだろうね。薫ってどんな人の事を好きになるのかな?」
「…わかんない。それが知りたくて、この学校に来たようなものかも知れないね。」
多賀子が思っていることは、あたしも知りたい事でした。
自分は、どんな人を好きになれるのか。
そもそも、自分に『人を好きになる』ことが可能なのか…。
高校3年の夏休み。
その日は市内の花火大会で、近所に住んでいる、幼稚園から高校までずっと一緒の男子、木下武司と二人で花火を見に行くことになりました。
あたしが浴衣を着て家まで迎えに行くと、ドアを開けた武司は固まってしまいました。
「どうしたー? あたしの美貌に惚れたか?」
「ばっ…馬鹿な事言ってんじゃねーよ!」
けれども、花火を見に行っている間、ずっと武司がぎこちない雰囲気であったことに、あたしは気付いていました。
帰り道、二人で並んで歩いている時。
「今日は薫が浴衣着てくるとは思わなかったな。」
「なにそれ、あたしが浴衣着たらダメなの?」
「いや、ダメじゃなくて、なんて言うか、その…思った以上にキレイでびっくりした。」
むしろ、あたしは武司がそんな事を言うと思っていなくて、びっくりしました。
武司とは幼稚園の頃のおままごとから、小学生の頃の虫取りなど、色んな遊びを一緒に過ごしてきた仲でした。
おかげで、高校生になっても、恐らくクラスの女子よりも仲が良く、何でも言い合えるし、出かけるときに一緒にいても全く不快に感じない、そんな存在でした。
それに、小さい頃はパッとしない男だと思っていましたが、高校生にもなると身長も伸びて見た目も悪くないし、バカな話と下らなくていやらしい会話が大好きなクラスの男子たちと異なり、知性を感じさせる雰囲気もあって、そんな武司を評価していました。
その武司が、少し赤くなってあたしのことを、キレイだなんて言う時が来るなんて。
「何よ、それ。照れるじゃない。ホントに惚れた?」
つい面白くなってニヤニヤしながらそう返したのですが、武司はそれを聞いて、足を止めて、真面目な表情になりました。
「そうだよ、薫。俺、お前のことが好きなんだ。付き合ってくれないかな。」
ところがあたしは、武司が勇気を振り絞って言った言葉を聞いても何の感情も沸きませんでした。
---あれ?
目の前にいるのは、昔から良く知っている武司。高校生になって、背も高くて、結構真面目で、いい奴。
けれども、武司の事を付き合う相手として、男として、意識する事ができませんでした。
一度、クラスの女子で集まっている時、「木下君ってカッコいいよね。付き合うならああ言う男子がいいなぁ。」と言う話題になる事がありました。
周りの子たちが武司の事を高く評価してくれることは幼馴染としても嬉しかったのですが、付き合う、付き合わない、と言う話題には全くピンときません。
結局そんな話題をしていた子たちは先輩だとか他校の男子とかと付き合いだし、誰も武司に告白する子はいなかったようでしたが、あたし自身が、そう言う話題に参加しつつも、自分の中で他人の事を『好き』とか『付き合いたい』とか思えないことに気付いてしまったのでした。
それでも、きっと告白をされたら、嬉しいと思ったり、付き合ってみよう、と思うことができるだろう、と漠然とした思いでいました。
ところが、今、武司から告白を受けても、何も思うことができません。
結局、数日かかって用意した武司への答えは、彼にとっては嬉しくない内容でした。
「武司のことは嫌いじゃないし、むしろ一緒に遊びに行ったりするのは楽しいんだけど、付き合うと言うのはあまり考えられないな。」
それを聞いて、武司は寂しそうな表情で笑いました。
「そっか、俺たち、幼馴染で一緒にいすぎたのかなぁ。男として意識してもらえなくなったのかもな。」
あたしはその顔を見て、『そうじゃない』と言いかけましたが、その先の言葉が思いつかず、言葉を飲み込みました。
こうして、苦い思い出をもったまま高校の卒業を迎え、あたしは、そんな自分の気持ちを理解したくなり、この学校への入学を決めたのです。
心理学、特に恋愛感情に関する事を学んだり、調べたりする教科がある事を知り、自分の感情がどういうものなのか調べてみたいと強く思うようになったからなのでした。
そしてもう一つ。
多賀子の前では否定していましたが、実はあたしの中で、本当は女の子のことが好きなんじゃないか、と言う予感がありました。
中学の頃、クラスの仲の良い女の子の事がいつも気になって、他の子と話しているとモヤモヤして、一緒にいる時はドキドキして、となった事があります。
その時は深く考えた事がなかったのですが、最近になって思うと、もしかしてあれは恋愛感情のようなものだったのではないか、という気がしてならないのです。
それを確認したい、と言う気持ちもありました。
先生が入ってきて、授業が始まりました。
頭を切り替えて、いつもの日々が始まります。
その子の存在に気付いたのは初夏の頃でした。
あたしと多賀子がくだらない話をしているのを、由貴が見て微笑んでいる。そう言う展開があたしたちのパターンになっていました。
授業が始まるまでとか、終わってからすぐに立ち上がらないでとか、そんなわずかな時間だけでしたが、教室でそんなやり取りをしていると、近くの席で良く見かける子に気付きました。
髪の毛はぼさぼさで、ロングヘアーを後ろでめんどくさそうに縛り、いまどきの大学生ではあまり見かけない感じの垢抜けない服装で、見た目はあまり気にしてないのかな、と思うようなそんな外見。
あたしたちが笑っているのを近くでちらちら見ているので、あたしはある時、気まぐれで声をかけてみました。
「あなたも混ざってみる?ろくな話してないけど?」
警戒心を持たせないように、できるだけ穏やかに微笑みながら言ったつもりでしたが、残念ながらあたしの表情はどちらかと言うと意地悪っぽく見えたのかもしれません。
彼女は焦ったように、聞こえるか聞こえないか位のか細い声で、「あ…いえ…そう言うわけじゃなくて…なんて言うか…私のことは気にしないで下さい。」と言うと、ノートを開き、教科書を読み始めてしまいました。
---怖がらせちゃったかな?それにしても、小さかったけど、綺麗な声だな…
それがあたしの第一印象でした。
見た目はちょっと友達にしようと言う感じではありませんでしたが、なんとなく、妙に引っかかる存在だな、と思ったのを覚えています。
すれ違っただけならきっと姿も何も記憶に残らないような、そんな印象の薄い子でした。
ところが、あの綺麗な声が気になったのか、妙にシャイな感じがひっかかったのか、授業中、たまに暇になるとつい彼女の姿を横目で追いかけていました。
彼女は、いつも真面目に授業を受けています。ボサボサの前髪を邪魔そうに揺らしながらノートに書き込んでいる姿は、彼女の真面目な性格を現しているように見え、より一層好ましく思えてきました。
ただ、見た目は残念だしな、しかもあんなに喋れないと、あたしや多賀子とは合わなそう…
そう思ったときでした。
彼女がふと、前を向いて邪魔そうに前髪をかきあげました。髪の毛で隠れていた顔が一瞬ちらりと見えたのです。
整った横顔に、綺麗な目。
それを見た瞬間、あたしの体に電撃が走りました。
ボサボサの髪の毛の下に、あんな顔が隠れていたなんて…。
あたしはずっと変わらず片肘ついた姿勢で授業を受けていますが、心臓の鼓動はさっきまでよりも激しく繰り返しています。
顔が熱くなっている事にも気が付きました。既にもう先生の声も聞こえてきません。
これが多分、恋に落ちた、と言う奴なのでしょうか。今まで男の子たちを見ても思わなかったもの。いいえ、女の子でも、ここまで強烈に意識したことはありませんでした。
なんとしても、知り合いになりたい。友達になりたい。
そう思ったあたしは、授業が終わって、彼女が片付け始めているところに近づき、話しかけました。
「さっきはごめんね、あたし怖がらせちゃったかなぁ。変な意味はなかったの。ただ、いつも一人で座ってるから、一緒にどうかなぁって思って…。」
「あ…いえ、わざわざありがとうございます。でも、私、大した話もできないし、皆さんの邪魔になっちゃうから、構わないでもらっても大丈夫ですよ。今日は、お先に失礼します。」
そう言って小さくぴょこんと挨拶した彼女は、小走りに教室を出て行ってしまいました。
「相当…手強いな。これはなかなか骨が折れそう。でも、なんとしても友達になってみせる!」
相手が逃げれば逃げるほど、気持ちが盛り上がってくるのが面白いところです。すっかり火がつきました。
とは言え、彼女には相当苦労しそうです。
翌日は接近しすぎず、教室に入ってきたところをじっと見てみました。目が合った(あんま見えないけど)ところで、軽く手を振って会釈します。
向こうはペコッと頭を下げて、ちょっとだけいつもより離れたところに座ってしまいました。
その翌日は少し話しかけようとわざわざ近寄って「おはよう」と声をかけてみましたが、その瞬間驚いたように体全体をビクッとさせ、「お…おはようございます」と言ってまた少し離れたところに座ってしまいました。
あたしが挨拶しに行ったのを見て多賀子は「何してんの?」と言ってきましたが、あたしも「まぁ、なんとなく」としか言えません。
そんなに嫌われたかなぁ。
それとも、あの子そんなに人見知りなのかなぁ。
そう思い始めた数日後。
この日は、多賀子も由貴もお休みで、あたし一人で授業を受けることになりました。もちろん、教室にあの子はいます。
今日は比較的近いところにいたので、授業が始まる寸前で彼女の隣の席に移りました。
彼女は一瞬びっくりしたような動きをしましたが、あたしが話しかけないと特に逃げたりもせず、授業の準備のために教科書を出し、ノートを出し始めました。
ところが、彼女の動きが急にあわただしくなりました。
どうやら、筆記用具が入っていないようで、カバンの中を一生懸命ひっくり返しています。
そこに教授が入ってきました。彼女はペン一つ無い状態みたいです。
---あれ?これって、もしかしてチャンスかも?
そう思ったあたしは、自分のペンケースからシャープペンを1本取り出して言いました。
「ねぇねぇ、書くもの無いなら、貸してあげるよ。使って?」
「あ、ありがとうございます。」
彼女はまたビクッとしましたが、ちょっと目を伏せがちに受け取って、軽く頭を下げました。
これで、彼女と話す理由もできたし、もう少しは仲良くなれるといいな、等と考えながら授業を受けます。
おかげで、授業の中身は半分くらいしか頭に入らず、何を話そう?どう言う流れで話せばいいか?なんてことばかりを考えていました。
授業が終わったところで、彼女は相変わらずの小さい声であたしにシャープペンを返そうとしてきました。
「あ、ありがとうございました。おかげで助かりました。」
「今日はこれで授業終わり?午後にもう1コマなかったっけ?」
「あ…語学がありますけど、今からペンを買ってこようかなと…。」
「もともと買うつもりならいいけど、どうせ語学あたしも一緒だし、今日一日貸してあげるよ?」
彼女は少しだけ考えているようでしたが、決心したように言いました。
「ええと…お借りしても、いいですか?」
ちょっとだけ距離を縮められたのかも?と思ったら嬉しくなって、つい表情に出てしまいました。
笑顔でペンを貸してくれる同級生には、少し位は心許してくれたのでしょうか。その勢いで、一緒にお昼を食べるお誘いに成功しました。
二人で並んで学食に向かっていると、足もついつい軽やかになります。
テーブルで向かい合って座り、食べながら話しかけました。とは言え、イメージ通り、彼女は実にマナー良く食べていますので、食べながら口を開くこともありません。
名前は何?どこに住んでるんだろ?一人暮らし?何故こんなにボサボサの頭をしているの? 色々な事が気になってきます。
お互い食べ終わった頃、少しずつ、些細な話題から話しかけてみました。
その中で、彼女は久住奈穂と言う名前であることが判明しました。
「久住さんはなんでウチの学校選んだの?女の子が好きとか?」
「あ、いや、そうじゃなくて…。私、あまり人付き合いが得意じゃないんです…。特に、男子とか全然話せなくて。だから、ここは女子大だし、まずは女子とは少しは話せるようになりたいなと。」
まだいつものような恥ずかしがり反応でしたが、ようやくその理由がわかった気がしました。嫌われているわけではなく、あまり人との話が得意ではない、と言うことなのでしょう。
「そうなんだ、それだったらさ、普段から誰かと話していた方がいいと思うんだよね。これからはあたしたちと一緒に行動しない?」
「それは…大原さんだけならまだ大丈夫ですけど、他にも人がいると何か言われそうでちょっと怖いです…。」
「いつも一緒にいる3人だけだよ、教室で見てるでしょ?他の二人も優しいし、嫌な事は言ったりしないから!」
「それなら…でも、私みたいなのが一緒にいたら迷惑じゃないですか?」
「迷惑なんてこと無いよ!あたしも少し気になっていたから、せっかくなら一緒にどうかなって。」
「そしたら、明日からご一緒させてもらってもいいですか?」
彼女は少しはにかみながら微笑みました。
その顔も…いや、半分以上前髪に隠れて見えませんけど、それでも少し嬉しそうに見えて、あたしは満足です。
と、そこにまた、上級生と思われる女の人があたしに声をかけてきました。
「ねぇ、そこのあなた、午後授業なかったら、一緒に遊びに行かない?」
「いや、授業ありますよ。すみません。それに、友達と話してるところなので、申し訳ありませんけど割り込んでこないで下さい。」
「あら、そう。友達って、そのボサボサ頭が大事なのね。趣味、悪っ!」
あたしが露骨に不快な表情を見せたからか、上級生の女性は不愉快そうに言い捨てて立ち去りました。
「久住さん、あんなのの言う事気にしちゃダメだよ。」
「いえ…事実ですし…。あの方はお知り合いですか?」
「いや…全然知らない人。あたし、この学校だとああやってたまに声掛けられるのよね…。」
そこまで話した所で、ひらめいてしまいました。
「あ、そうだ!久住さんさえ良ければ、ちょっとお願いしたいこと思いついたんだけど、聞いてくれる?」
「えっ…なんでしょう?」
彼女に緊張が走ったのが感じられました。
「あ、別に何か要求するとかそう言うのじゃないよ? あのね、一緒にいるとき、あたしの恋人だって言う事にしてくれない?フリだけでいいから。」
「恋人ですか?!」
いつも小さい声だった彼女の声が少し大きくなりました。
とは言え、お昼の時間が過ぎた食堂は人もまばらになので、あたしたちの会話を聞いている人はいません。
「うん、この学校、そう言う人多いじゃない?入学以来、結構声かけられるのよね。だから、もう恋人いますよ、って答えれば、誘われる事も無くなるかなぁって。」
我ながら苦しい言い訳ですが、ちょうど今声を掛けられたところだったので、信憑性が増しました。
「そう言うことなんですね。うーん…恋人になっても何もできないですけど、ホントに私でいいんですか?」
「あ、もちろん、みんなの前でベタベタして欲しいとかそう言うのじゃないよ!そう言うのは、久住さんが恥ずかしがるから、みんなの前ではやらないよ、って言うから。」
「何も要求しません?」
彼女は不安そうにあたしを見ています。確かに、急に恋人のフリをしろ、と言うのは驚いたかも知れません。
「しない、しない。久住さんが嫌がることは絶対しないから!」
「それなら…フリだけですよ?」
「ありがとうね!助かるよ。」
彼女はまだ不安そうに前髪をつまんでいます。
「でも、さっきの人にも言われちゃったけど、私こんな見た目だし…」
「あたしは人を見た目では判断しないけど…そのヘアスタイルは、何かポリシーがあるとか?」
「いえ、面倒なのでずっと放置してました。」
なるほど、それなら、髪の毛を整えて、どうせなら服装にも手を入れたくなりました。
「それじゃあさ、授業終わったら切りに行かない?あたしの趣味にしていいなら、お金も出すから!」
「いえいえいえ!お金までは申し訳ないですよ! でも、せっかくの機会だし、切るの付き合ってもらってもいいですか?」
午後の授業までしばらく食堂で話した後、語学の授業を受け、終わった後にあたしが行っているヘアサロンに彼女を連れて行きました。
それから、学校近くのショッピングモールに行き、服も買いました。
今日は思いも寄らず彼女との距離が一気に縮めることができた一日になり、夜寝る時までずっとニヤニヤしてしまいました。
翌日。
いつものように教室に入ると、もう多賀子も由貴も座っていました。
「おっはよー!」
「おはよ。って、なんか薫テンション高くない?」
「そーお?まぁ、ちょっとだけ高いかもしれないね。」
あたしは収穫の大きかった昨日を振り返ると、笑みが止まりませんでした。
早くあの子が来ないかな?と思いながら教科書を取り出していると、急に声をかけられました。
「お…おはよ。」
振り返ると、そこには彼女がいました。
髪の毛を切って整えると、すごく美人だったことがよくわかります。
服装も昨日までとは比べ物にならないほどすっかり垢抜けて、周りの子達と比べても引けを取るところは一切ありません。
ますますにやけてしまいました。
多賀子の方を見ると、不思議なものを見るような目で見ているので、あたしは紹介してあげることにしました。
「こちら、奈穂ちゃん。あたしの彼女だよ。」
「ええええ~っ!!!」
多賀子も由貴もびっくりしています。
「だって、薫、ビアンじゃないって言ってたじゃん?」
「うん、そのつもりだったんだけど…。この子のことは、好きになっちゃたみたい。」
それを聞いた多賀子は奈穂の顔をじろじろと見つめています。
「そんなガン見しなくても…」
「ってか、こんな子ここのクラスにいたっけ?」
「いたいた。この前あたし挨拶してたじゃん。」
「…えっ?まさか、あの髪の毛ボサボサだった…?」
「ふふ、イメージ違うでしょ?でも、これが奈穂ちゃんの本当の姿だよ。」
奈穂は照れくさそうにしながらあたしの隣に座りました。
「久住奈穂です。よろしくお願いしますね。」
こうやって、あたしたちは4人組となったのです。