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6.デート(ミッション開始)

 日曜日、七時半。

 いつもより早起きして食卓についた凪人は浮足立っていた。


(十時に水族館、だったよな。八時に出れば自転車でも間に合うよな。おれ一体なにさせられるんだろう)


 トーストに手をつけるが一向に喉を通らない。仕方なく牛乳で流し込んだ。


「今日はどうしたの。早起きしたくせに食欲ないのね。そんなんじゃ倒れちゃうわよ」


 母がからかってくるが軽口を返す余裕もなかった。時計を気にしながら機械的に食事を呑み込むしかない。

 しかしデザートを前にして手が止まった。

 さくらんぼが二つ、皿に乗っている。


「……母さん、おれしばらくさくらんぼ食べられそうにない」


「なんで?」


「だって、思い出すじゃないか」


「なにを?」


「だから――……もういいや、ごめん、忘れて」


「あぁ、好きな子の唇ってことね」


 合点がいったように手を叩く。凪人は思わず立ち上がった。


「ちがう、ちがうよ全っ然ちがう、アレはなにかの間違い!」


 うろたえ、狼狽しまくる分かりやすい息子に母はとびっきりの笑顔を向ける。


「アレって?」


「あ、あああああアレなんて言ってな……ぃ……」


「それってさくらんぼみたいな感触? 甘い?」


「さ、ささささくらんぼ? だれがそんな」


「キス、しちゃったのね」


「ち、ちがうし、全然ちがうしッ、アレはあいつが勝手に」


 ムキになればなるほど母に心を読まれるとも知らず、凪人はどんどん墓穴を掘っていった。


「あれは唇に噛みついてきたきただけなんだ。舌だって入ってないし、顔面衝突みたいなもので、キスとかそういうことじゃなくて」


「はいはい、いいから早く食べちゃいなさい。デートに遅刻するわよ」


「デートじゃないしッ」


 結局、さくらんぼを残して家を出た。



 予報どおり快晴。ぐいぐいと自転車のペダルをこぎながらアリスのことを考える。


 Alice――パソコンで検索した彼女の仇名は「炎上モデル」。


 はっきりいってかなり評判が悪い。

 その容姿とは裏腹にAちゃんねるで犯罪や差別スレスレの言動を繰り返し、悪名によって名前を轟かせていた。雑誌に載った写真にどんな落書きをしたか競い合うに掲載する集団もいれば、Aliceチャレンジと称して彼女が言いそう(やらかしそう)な悪行を誇らしげに動画にする者たちもいた。


 彼女について書かれたサイトには中学時代から家出を繰り返して補導されているだの、男遊びが激しいだの、整形しているだの、小学校でいじめた相手が自殺未遂だの好き勝手な噂が書き込まれ、コメント欄は「生きている価値がない」「見るだけで不快」「ビッチ」「現代の魔女」……見るのもうんざりするような悪意にあふれていた。

 そんな相手とは関わりたくないと思う一方で、どこか気になってしまう自分もいる。



 ――レイジは私の初恋だったんだ。



 あんなに無邪気に語っていたせいだ。


(おれはたぶん、期待しているんだ)


 初恋と豪語するレイジが六年を経てどうしようもない高校生になっていることを確認してもらい、「こんなのはレイジじゃない」と否定して失望して欲しいのだ。

 そうすればやっと『小山内レイジ』の呪縛から解放される気がする。



 ※



 十時五分前、凪人は指定された満月水族館に到着した。


 休日とあって賑わう入場口をよそに、凪人は駐車場に通じる公園にぽつんと設置されていた案内看板の前で待機していた。

 看板に描いてあることと言えば特に覚える必要もない簡単な地図だけだが、ここに立っていれば不自然ではないし、水族館へ急ぐ親子連れも見向きもせずスルーしていってくれる。入口で堂々と人を待つのが難しい凪人にとってはうってつけの場所だった。


(人との待ち合わせ程度だったら嘔吐まではしないと思うけど、油断できないからな)


 その日の天気や体調、シチュエーション、それらがカチッと組み合わさったときに吐き気を催す。完治はしないまでも症状を緩和する方法はだいぶ身についていた。

 それでも極力外出は避けるようにしていたはずなのに。


(おれ、なにしてるんだろう)


 看板に向かってため息をつく。すると背中をつつかれた。


「なぎとくん」


 声だけで彼女だと分かった。


「まだ振り返らなくていいよ。きょうは来てくれてありがと」


「脅したくせに」


「えー? そんなに楽しみにしてくれたの?」


 人の話を聞かないつもりだ。であれば、そういう相手として付き合うしかない。


「今日付き合ったら画像消してくれるんだよな?」


「もちろん」


「おれはなにをすればいい?」


「デートかな」


「分かっ……デートぉ!?」


 びっくりして振り返ると目深に帽子をかぶったアリスが佇んでいた。ハーフパンツにTシャツといったラフな格好で、サイドに分けた黒髪の三つ編みを背中へと流している。例によって変装用のウィッグだ。


「休みの日に女の子に呼び出されたらデートしかないじゃん」


「でも、おれたちほぼ初対面だし」


 ぐいっと腕を掴んで顔を寄せてきた。ボーイッシュな格好をしているくせにさすがはモデル、あっさりした化粧はよく似合っているしなにより美人だ。かすかに甘い匂いもする。


「いい? これは大事なミッションなの」


「ミッション?」


「そう。私は昨日Alice名義でSNSに『明日は水族館デート。楽しみ』って書き込んだの。投稿を見たストーカーは『けっ、男がいるのか』と諦めてくれるはず」


 つまり偽のデートを演出し、戦わずして相手の気力を削ぐ作戦らしい。


(あれ、でもネットには男遊びが激しいって)


 毎回投稿に載っている男が違うと噂だったが、それが本当ならその内の誰かに頼めばいいのではないだろうか。


(なんで、おれ?)


 よっぽど不思議そうな顔でもしていたのかアリスが首を傾げる。


「どうしたの?」


「あ、いや……その、モデルなのに彼氏の存在を匂わせてもいいのか? イメージダウンとか」


 するとアリスはあっけらかんと笑った。


「ないない。私は炎上モデルだからNTRくらいにしか思われないよ」


「NTR……(ってなんだ)」


「分かってくれた? じゃあ行こうか」


 腕を組む形で入場口へと連れて行かれる。嫌がると「目立つよ?」と脅された。手をつなぐよりはマシだが恥ずかしいのは変わらない。


(ん? でも好意を持っているはずのストーカーがホームから突き飛ばすって変じゃないか。普通なら逆……)


「あ、そうだ。モデルのAliceだってバレると面倒だから私のことはウサギって呼んで。私は黒猫くんって呼ぶから」


「ネーミングセンスがちょっと」


「んん、なにか言ったかな? 黒猫くん?」


「はっ、なんでもないですウサギさん」


 一抹の不安を感じつつ入場ゲートをくぐる。

 チケットはアリスがあらかじめ用意しておいてくれた。デートに付き合わせるのだから当然だという。そういうところをちゃんと考えてくれているのは少し意外な気もした。

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