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美少女モデルに一目惚れされたけど目立ちたくないので放っておいてほしい。  作者: 芹澤
7.ずぶ濡れのアリス

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45.言えなかった「     」

 感情が消えた瞳から一筋の涙がこぼれて頬を伝う。それでも執拗に密着してくるアリスのことを初めて怖いと思った。


「どうしたんだよ。オーディション、ダメだったのか?」


 拒絶だと思われないようできるだけ優しく手を振りほどいて肩を抱いてやる。アリスは軽く頭を傾けてきた。


「うん、ダメだった。ぼろくそ言われた。モデルのくせに俳優を気取るなとか、幼稚園のお遊戯レベルの演技を審査するこっちの身にもなれとか」


 あまりにも辛辣な言葉。顔をしかめるしかない。

 暴言という名の矢が無抵抗のアリスを何度も貫いたのかと思うと自分の胸もジクジクと痛む。


「水内監督は厳しいって有名だったから覚悟はしていたんだ。それだけ一作一作に命をかけて取り組んでいるんだって好意的に受け止めていた。でもあれは――あの一言だけは――許せなくて」


 ひときわ大きく体を震わせ、赤ん坊のように顔をすり寄せてきた。体は温かくなったはずなのに心はまだ冷えきっている。凍てつく雨にさらされたままなのだ。凪人は肩を抱いたまま視線を合わせた。


「とりあえず飯食えよ、飯。きっと温まる。な?」


 そうしたらきっと元気になれるはずだから。


 無反応のアリスをソファーに座らせ、スープボウルにシチューをよそった。より温まるようにとチューブ状のジンジャーも加えておく。


「おまたせ。黒瀬家特製のジンジャークリームシチューだ」


 サラダや水と一緒にテーブルに置くとアリスはためらいながらスプーンを伸ばした。ひと口食べて「美味しい」と顔をほころばせる。しかしそのままスプーンを置いてしまったので向かい席にいた凪人は不安になって身を乗り出した。


「食欲がないなら他に用意するか? スムージーとかゼリーとか食べやすいものでも」


 アリスは首を振る。


「ごめんね。なんか気持ち悪くて」


 そっと胃をさする。ストレスで受け付けないのだろう。同じ症状を経験している凪人にとっては慣れたものだが、アリスはそうではない。


「じゃあ他に欲しいものあるか? 『黒猫探偵レイジ』のDVDとか、音楽とか」


「なにもいらない。だけど」


 おおきな瞳が不安そうに見開かれている。


「なにもいらないから、凪人くんに傍にいて欲しい」


 あまりにも切実な願い。

 凪人は居ても立ってもいられずにアリスの隣に移動して抱きしめた。この冷えた心がどうやったら温まり、またあの笑顔を見せてくれるのかを考えた。しかしそう簡単には妙案が浮かばない。


「審査員の人に、言われたんだ」


 そう言って自分の顔の前で大きな円を描いて見せる。


「この顔が『黒猫探偵レイジ』らしくないって。ヒロインはレイジの幼なじみって設定で、ずっと恋心を抱いているらしいの。だけど私みたいな容姿の女が純潔を守るのは違和感を覚えるしニセモノっぽいって言われちゃった。その後もあれこれ否定されて私ずっと笑顔で耐えていたけど最後に『きみには芸能界よりももっと楽しめる場所があるんじゃないか』って笑われた瞬間もう我慢できなくてオーディション会場を飛び出してしまったの……あぁやっちゃったな、石にかじりついてでもその場にいなくちゃいけなかったのにってすごく後悔した」


 自分のアイデンティティーを否定されただけでなく言外に誹謗されたアリスが激昂したのも頷ける。しかしプレッシャーに屈しないかを見極めるためのオーディションだとしたら、感情に任せて飛び出した時点でアリスの落選は決定的だっただろう。


「雨に打たれていたら冷静になって、とにかく戻らなくちゃと思った。悔しくて恥ずかしくて情けなくて怖かったけど、とりあえず戻って謝罪しようと思ったの。だけどびしょ濡れだったから中には入れてもらえなくて、私を探してくれていた柴山さんに会って教えられた。オーディションはもう終わっていて、ヒロインはデビューして間もない新人の子に決まったって。実はその子の親があちこちにコネを持つ大物俳優だって聞いたとき――――あぁ、最初から決まってたんじゃんと思った。私のやってきたことはなんの意味もないって」


 芸能界において親の七光りは確かにあるのだろう。無名の新人として素性を明かさずにデビューさせ、売れてから世間の公表する手法が。それも含めて売るためのプロデュースなのだとしたら、なんて窮屈な世界なのだろう。


「――だから、もういいんだ」


 急に体を反転させたアリスが凪人の両肩を押した。油断していた凪人はソファーに押し倒される形になる。獣のようにのしかかってくるアリスを拒めない。


「もういい、もうやめる。もう俳優もモデルもAliceもやめてやる。あの人たちが言った通りに芸能界じゃないところで幸せになってやる」


 重ねるというよりは押しつぶすように唇を乗せ、熱い舌先を口内へと入れてくる。ほんのりジンジャーの味がした。膝を寄せて太股を蹴られると頭がどうにかなってしまいそうだ。


「もうやだ、やだ、やだ」


 アリスは泣いている。泣きながらキスをしてくる。

 冷静になれと言いたいのに息をするのもままならないキスの嵐。

 翻弄される。


「お願い……じゃないと私もうおかしくなっちゃう。心も体もいまにもボロボロ崩れていきそう。不安でたまらないの。痕でもなんでもつけていいから凪人くんだけのものにしてよ」


 自分というものを根底から否定されたアリスは『自分』の輪郭を見失いそうになって自棄(やけ)になっている。

 凪人にはそう映ったがどうすればいいのか分からなかった。


 アリスはますます錯乱していく。


「もういい引退する、こんなところで腐っていくなんてイヤ、報われないのもイヤ、哀しいのも悔しいのもイヤ、もうイヤなの!」


 アリスは自分のシャツをたしくあげながら叫ぶ。


 ここにいるのは凪人の知っているアリスではない。


(アリスは身勝手なストーカーにも手をあげなかった)


(アリスは勉強熱心で雑誌も隅から隅まで読んでいた)


(アリスは突然の花火の仕事でも少しでも知識を仕入れようとした)


(アリスは頑張って生放送をこなしていた)



(こんな投げやりなアリスはおれの知っているアリスじゃない)



「――その程度の覚悟だったのかよ」



 うなるような声。

 馬乗りになっていたアリスがピタリと動きを止めた。凪人は続ける。


「おまえはその程度の気持ちでモデルになったのか? 小山内レイジに会うんじゃないのかよ、アリッサに負けない大物になるんじゃないのかよ、たった一度否定されただけで諦めてしまえるような半端な気持ちだったのかよ!」


(アリスは仕事が大好きで、だからいつも一所懸命で、多少のことではへこたれない。だから好きになったんだ。ずっと傍で見守りたいと思った)


「がんばれよ。がんばってみろよ何度でも! そうしたら……!」


 その先が出てこなかった。


 そうしたら…………なんだというのだろう。

 いつから自分はこんなことを言える立場になったのだろう。

 小山内レイジから逃げ続けている自分が。





 沈黙が降りる。

 長くて短い、束の間の。





「……なんでよ」


 アリスはくしゃっと顔を歪めた。

 激しく肩を上下させ、嗚咽混じりに泣く。


「なんでぇ? なんで抱いてくれないの? 私モデルなんだよ? いまじゃあ十万人のファン登録がある有名人なんだよ? そんな私が抱いていいって言うのになんで受け入れてくれないの? ぼっちの凪人くんは他に構ってくれる女子もいないくせに」


「言っておくけどおれにだって福沢が――」


 一瞬ムッとして言い返してしまった。「まずい」と思ったがもう手遅れだ。


 アリスは信じられないような表情で凪人を見つめている。瞬きする度に長い睫毛から涙が飛ぶ。


「だれ……、福沢って」


 自身も学校ごとには無関心だがアリスはそれ以上らしい。


「福沢は同じクラスの学級委員長で、文化祭の屋台で何かと手伝ってくれたんだよ……。この前、告白された」


 凪人の心臓は不気味なほど早く鳴っている。思えばそれは予感だったのかも知れない。


「いきなりだったから『少し待ってくれ』って保留して、そのままだ。アリスみたいに性急に迫ってくることはないから」


「……どうせ私はケダモノですよ」


 低い声で呟き、体を引いていく。

 そこでようやく最悪の事態に陥ったことに気づいた。


 アリスは飛び退くようにして体を離す。


「もういい。凪人くんを好きになった私がバカだった」


 目を見ようともせずに背中を向け、スタスタと脱衣所に向かっていく。慌てて追いかけたが、アリスは脱衣所で自分の下着をタオルごと抱きかかえて凪人の横をすり抜け玄関へと向かう。

 裸足のまま玄関のタイルへと降り、自らの濡れた靴を指先に引っ掛けて持ち上げた。


「帰るのか、その格好で」


 戸惑いを隠せない凪人。振り返らないアリス。


「借りた服とタオルはクリーニングしてあとで送ります。私の服はもう着ないから処分してもらって構わない」


「裸足で歩いて帰るつもりか?」


「近くでタクシー拾って事務所までつけてもらう。お金はそこで払うからご心配なく」


「せめて乾くまで待ってから」


「――()()()()



 やっとこちらを向いたアリスは、









「さようなら」









 それだけ言って出て行った。



 扉の閉まる音がやけに重々しく響き、凪人は呆然と立ち尽くす。


 謝ろう。すぐに。


 弾かれるように表に飛び出したが、運が良いのか悪いかアリスを乗せたタクシーが霧雨の中を走り去っていくところだった。


 遠ざかっていくタクシーをいくら凝視しても、ふいに停止して思い直したアリスが降りてくることはない。あっという間に見えなくなりエンジン音も遠ざかっていった。


(おれ、なんてことを)


 押し寄せるのは後悔だけ。

 何度も何度も押し寄せて足元をさらっていく。


 雨粒を飲み込んだせいか、吐き気とはまた異なる違和感が襲ってきた。思わずしゃがみこむ。


 ぼんやりと思ったのは、やはりアリスは役者に向いていないということだ。


(あんな顔するなんて)


 去り際の表情はまるで、歯を食いしばって泣くのをこらえる子どものようだった。



 アリスの気持ちに応えない限り、いつかこんな別れが来るかもしれないと心のどこかで思っていた。

 ただ意外だったのは、自分がこれほどまでにショックを受け、母が帰ってくるまでの二時間以上玄関にうずくまっていたことだった。


 「好きなんだ」とも「さようなら」とも言えないまま。



(つづく)

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