36.特別じゃないプレゼント
数十分後、満足げなアリッサとともに店外に出た凪人は随分と軽くなった財布をさすった。
(追加で五箱も食べるなんて)
細身の体からは想像もできない大食漢らしい。
とは言え口止め料はしっかり払ったので、ようやく帰途につけるのだ。
「じゃあ、おれはこれで」
明るく振り上げた手をがっしりと掴まれた。
「黒猫いた」
アリッサの目線の先には確かに黒猫がいる。ただし客寄せ用の黒い招き猫だ。店頭にそれを置いているガラス張りの店内には黒猫をモチーフにした雑貨がぎっしりと並べてあり、どうやら黒猫雑貨専用のセレクトショップらしい。
「入る」
「え、ちょ、おい」
抵抗もむなしくそのまま連れ込まれてしまう。
せいぜい四畳半程度しかない店内には棚に入りきらないほどの雑貨が詰め込まれているが、幸いにも他の客の姿はなかった。
凪人はほっと胸をなで下ろす。客同士すれ違うのがやっとというこんな空間に長くいたらきっと吐いてしまう。
奥でパソコンをいじっていた五十路くらいの店員はチラッとこちらを見て「らっしゃい」と言っただけで画面に視線を戻す。アリッサの姿を見ても背の高い外国人客としか思わなかったようだ。
「黒猫いっぱい」
凪人を引きずり込んだ張本人は慣れた様子で店内の物色をはじめている。店頭にあった招き猫のミニサイズにはじまって縫いぐるみ、ペンケース、筆記用具、誰が描いたのか分からない絵画まである。
「ものの見事に黒猫ばっかりだな」
陳列された商品の中には明らかに「まっくろ太」を意識したものも多い。類似品や劣化品ばかりだが、手に取るのに抵抗はない。少しためらうくらいだ。
『黒猫探偵レイジ』の中に登場するまっくろ太はCG。
レイジを演じていたころの凪人は本物の猫の毛触りを知らずにいた。テレビを通してみるまっくろ太の毛はとても柔らかそうで、いつか「本物」に触れてみたいと願ってやまない時期があった。
(『あのこと』がなければ、おれはまだレイジでいたのかな)
時々考えてしまう。
あのとき、もしも何かが違っていたら、自分は小山内レイジとして芸能界に在籍し、違う形でアリスと出会ったのかもしれないと。
「ナギ、見てこれ」
呼ばれて振り返ると一枚のTシャツを掲げていた。
体操着を思わせる白地に誰の落書きかと疑う寸胴の黒猫が描かれたものだ。もはや壊滅的なセンスと言っていい。
「可愛いよね」
「まじか」
いくらなんでもそれはないだろ、と思っていたTシャツがアリッサのお気に入りらしい。
「いやいやお客さん見る目があるね」
さっきまでパソコンに没頭していた店員が意気揚々と近づいてきてアリッサのセンスを褒めた。
「それは一点もののTシャツだよ。世界でたった一枚、いまアンタが持っているそれしかないんだ。ゆくゆくはプレミアものになるに違いない」
「Why? なんで?」
「なんたって世界的なユーチューバーになる予定の男が生涯で一枚だけ描いた黒猫なんだから」
なんとなくいやな予感がした凪人は横やりを入れた。
「まさかそれって」
「そう。このおれ様のことさ!」
どや顔で自分を示したので「おまえかいッ」と突っ込みを入れそうになって間一髪こらえた。
(やばい、アリスの言動に対する突っ込みが癖になってきてる)
一線を引いているつもりでも、一緒にいれば知らず知らずのうちに影響されてしまうということだ。
凪人の戸惑いをよそにアリッサは店員と話し込んでいる。
「この黒一色のシンプルさが格好いいでーす」
「分かる分かる? 悩んだんだよね、この構図と色味。ほら黒猫だからって黒じゃなきゃいけないわけじゃないじゃん。緑とか赤とか色々試したんだけど結局無難な黒に戻ってきちゃったんだよね」
「黒猫は黒に決まってるでーす」
「これ墨汁で描いたんだよ。輪郭がにじんでいるの格好いいだろ」
「Good! でもこれちょっと小さいでーす」
「あぁお姉さん大きいからねぇ。他のサイズもあるからちょっとバッグヤード探してみるよ」
(世界に一着しかないんじゃないのかよ)
二人の会話を聞いていると突っ込みしか浮かばないのでその場を離れた。
(……あ)
店内を眺めていた凪人の目に飛び込んできたのは黒猫のシルエットがアクセントになっている指輪だ。なんとはなしに手にとってみたが、輪郭や接着面はとても丁寧に処理されていて、リングの幅も太すぎず細すぎず丁度良い。
(アリスにあげたら喜びそうだな)
脳裏にぽっと浮かぶのは嬉しそうな笑顔。
(プレゼントとか大げさなものじゃなくてキーホルダーのお礼だって言えばいいよな)
値段は千円プラス税。これくらいなら買える。
(でもさすがに安すぎるかな。アリスはモデルだから安物を付けていたらバカにされたりするかなぁ)
などど悩んでいると、
「おーいいね、COOLよCOOL」
「ナギ見てー」
壁の一部をぶち開けたような試着室でアリッサが手を振っていた。
「うげっ」
大きく歪んだ黒猫の姿はインパクト絶大。もはや圧倒的だ。圧倒的なまでの不細工さだ。
「いやー、これか最大サイズなんだけどお姉さん胸大きくてピチピチだね」
鼻の下を伸ばしている店員を殴り飛ばしたくなった。絶対に分かっていただろう。
「ナギ、買って」
「自分だって財布持ってるだろ」
「お姉さんカードしか持ってないんだって。うち現金オンリーなんだよ」
再びいやな予感がした凪人がTシャツの値札を見ると自信満々に「八千円」と書いてある。かなり強気な値段設定だ。
(まじかよ)
結局、八千円きっちり払わされた。
おまけだと言ってハンカチやチャームのほか、先ほど見ていた指輪もきれいに包装して入れてくれた。結果的オーライではあるが財布の中はすっからかんだ。
Tシャツを着て帰るとご満悦のアリッサをおだてつつ、店員がそっと耳打ちしてくる。
「彼女すごい美人さんだね。二人は付き合ってるの?」




