27.いますぐ会いたい
さっきまで我慢していた涙が再びあふれそうになって懸命にこらえた。
(いますぐ会いたい。抱きつきたい)
これくらい平気だろ、って頭を撫でて欲しい。
「放送開始三分前です」
騒然としていたテント内にディレクターの声が響く。急いでキャップを開けたアリスはかぶりつくように口をつけ、一気に三分の一まで飲み干した。
「すいませんメイク直しお願いします。口紅とれちゃったので」
いまなら世界中のどんな怖いモノとでも戦えそうな気がした。
『お待たせいたしました。第●納涼花火大会後半の部、スタートです』
司会の声とともに仕掛け花火が打ち上がる。
それは夜空にこだましてたくさんの歓声と喝采を受けた。
『さ、いまの花火はどうでしたか? Aliceさん』
司会がまた珍解答を期待して話を振ってくる。
深呼吸したアリスの視界に青白い光が映りこむ。右へ左へと揺れて、まるでエールを送ってくれているようだ。
『……はい』
きつく握りしめていた拳を開くとマイクを包み込んだ。
『最後の連発がすっごくキレイでした。かき氷みたいで』
『かき氷ですか?』
『はい、美味しそうでした』
会場内にどっと笑いが広がる。
『ちょっとちょっと、ワタシの出番がないじゃないですか』
熊田が不満そうに言うのでアリスは笑って、
『熊田先生が執筆された本を拝見したのですが知識量ではとても及ばないので、花火の説明はお任せします』
と放り投げて再び会場を沸かせた。
「なんとか落ち着いたみたいだな」
「ですね」
ステージから遠く離れた仮設トイレ近くで凪人と愛斗はアリスの様子を窺っていた。サイリウムを振る役を引き受けてくれた愛斗は周りに注目されながらも懲りずに振り続けている。
「今回の主役は花火でありスポンサーだから、盛り上げるといっても大騒ぎしていいわけじゃない。意外と難しいんだよな」
「みたいですね。おれには絶対にできそうにないです」
「アリスは落ち着いたみたいだし、司会や熊田先生の言葉もよく聞いている。適度に自己主張してキャラを作りながら頑張ってるよ。終わったらちゃんと褒めてやってくれよ、じゃあな」
「え……どこ行くんですか?」
ステージとは反対方向に歩き出した愛斗を急ぎ足で追いかける。
「タクシー拾って帰るんだよ。これだけ目立てばそろそろ気づかれてもおかしくないからな、騒ぎになる前に帰る」
そういえば先ほどから愛斗の前後で立ち止まる女性客が増えた。単にサイリウムを振る変な人、というだけではないようだ。
「自分のせいだとか言うなよ。鬱陶しいから。凪人はちゃんと最後まで見ていてやれ。アリスにとってはそれがなによりの労いになるだろうからさ」
「でも」
「今度はおまえが頑張る番だ」
からかうようにサイリウムを振ると、駅へと向かう人込みにあっという間に紛れてしまった。
追いかけるべきか残るべきか悩む凪人の耳に司会の声が聞こえてくる。
『さぁ早いもので最後の花火となります。どうぞご覧くださーい』
壮大な音楽とともに打ち上がった花火が夜空に咲き誇った。空だけでなく湖面の上で上げられた半円状の花火の彩りもあり、誰もが笑顔で見守っている。
しばらく空に見入っていた凪人はステージ上に視線を向けた。最後の花火を見守るアリスの横顔に目が吸い寄せられる。
『本気になったらいけない』
『アリスが求めているのは小山内レイジだ』
(そんなの、分かっている)
アリスが自分に好意を寄せてくれているのはレイジに似ているからだ。けれど自分はもうレイジに戻ることはない。アリスの抱える矛盾を受け止める覚悟がなければ好きになってはいけないのだ。
「お、いたいた」
人込みをかき分けるようにしてマネージャーの柴山が近づいてきた。
怒られるのでは、と警戒する凪人をよそに柴山は笑顔だ。
「関係者テントに案内するからついてこいよ」
「え?」
「アリスのところだよ。みんなが花火に夢中になっている今なら目立たねぇよ。それにアリスも真っ先に会いたいだろうしな。来いよ」
そう言うとろくに返事も聞かず人込みを縫って歩き出す。凪人はためらいつつもその背中を追った。関係者テントに近づくにつれて人も多くなり自然と汗がにじんできたが、懸命に柴山を追った。
「ここだ、入れよ」
ステージ裏に辿り着いた柴山がテントの入口を開けて待っていてくれる。中に入るといくつかの放送機器とパイプ椅子が並んでいた。
その中のひとつに先ほどのペットボトルが置いてある。減った量を見てアリスの大変さを改めて知った気がした。
「んじゃおれはスタッフとの話があるからここで待っててくれ」
役目は終わったとばかりにいなくなり、凪人は独りぼっちで残された。
こんなの聞いてない、と内心汗だくになる。
しかしパンパン、と立て続けに花火が上がった音がして、それきり静かになった。
終わったのだ。
『今年も素晴らしい花火大会になりました。視聴者の皆様、会場の皆様、そしてゲストのお二人ありがとうございました。また来年お会いしましょう、それではー』
司会の声がものすごく近い。部外者である凪人はとてもではないが椅子になど座っていられず、テントの中をうろうろと歩き回っていた。
(どうしよう、他の人に見つかったらおれ不審人物だよな。怒られるよな、絶対に怒られるよな)
しばらくするとテントの外で賑やかな声が聞こえ、人が行きかう気配がある。
だれかに見られて咎められるんじゃないかと身を小さくする凪人。怒られたときの言い訳を考えていたら唐突に入口がめくられた。
「うわっ」
「きゃっ」
同時に叫んで飛びずさる。
「――凪人くん?」
入口にいたアリスは目をぱちくりさせて驚いていたが吸い寄せられるように一歩踏み込んできた。
「びっくりしたぁ。どうしてここにいるの?」
凪人は気恥ずかしさから目をそらす。
「あ、これは、その、柴山さんに連れてきてもらって。それで……」
刹那、音も立てずにアリスが胸に飛び込んできた。
突然抱きつかれた凪人は、ためらいながらもアリスの体を受け止める。
「……私、頑張ったんだよ」




