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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第八章 ◆

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一. 幽闇

 



 幾夜、この場で過ごして来たことだろう。



 だが、どれ程の長き時を過ごそうとも、馴染むことも安らぎを得ることも無い。



 心からの安らぎを得られる場所は、最早もはや何処どこにも存在しない。



 見た目だけは豪華な、だが鳥篭の如きこの場は静寂に包まれている。



 目に映る全てのモノを拒絶するように静かに目を閉ざし、一人その場にただ立ち尽すことしか出来なかった―――








 ◇◇◇





 荘厳な建物が無数にそびえ立つ皇城の中にあって、ひと際目を引く建築物は、天子の住まう場所として整えられた、何処よりも煌びやかで、それでいて快適な空間である 透輝宮 曙光殿だ。

 許可無き者は誰一人として近づくことも叶わない、そんな至尊の御位に就く皇帝陛下の為の宮であり、殿舎である其処そこには皇帝陛下唯一人の為に、常に多くの近衛武官達が警護し、また多くの女官や侍従、侍女達が控えており、皇帝陛下の意を叶えるために仕えていた。




 近隣諸国にその名を馳せる、大国寧波ニンブォの若き皇帝陛下である浩然ハオランは、毛足が長く精密な模様が編み込まれた豪華な絨毯を踏みしめて、美しい装飾が施された朱色の飾り窓の前に立つと、そこから冷たい夜の空を見上げた。


 新月の為に月の出ない夜空には、本来なら冷たく澄んだ冬の空気の中、無数の星々が煌めいていた事だろう。

 だが、曇天に覆われた夜空からは、まるで星の代わりと言いたげに、小さく白い雪が可憐な花の様に舞い降りて来て、皇城の荘厳な建物や美しい庭を穢れの無い白に染め上げていた。


 浩然はその美しくも冷たい光景を無表情のまま見詰めると目をすがめた。


 皇帝陛下の私室には、遠方の小国より献上された玻璃で出来た美しい燭台が数多く置かれ、惜しげも無く煌々と灯りが灯されている。

 その美術品の様な燭台に灯された淡い灯りが幾つも揺らめき、浩然の麗しくも冷然とした横顔を浮かび上がらせ、幻想的な光景を生んでいた。




「陛下……」


 後ろから遠慮がちに小さな声が浩然へと掛けられた。


 その声が聞こえなかったかの様に、暫く無言で窓の外を眺めていた浩然だが、二度目の呼びかけに対して長い裾を優雅に捌き、ゆったりと振り返った。



 皇帝陛下の私室である、この豪華な部屋の扉の前に跪いて控えていたスゥーは、皇帝陛下付きの侍従である。

 皇帝陛下付きの侍従としては、まだ年若い為にそれ程身分は高くはないが、非常に優秀な人物であり、朝廷からの信も厚い。


 蘇は浩然の視線を受けると、その場で頭を下げた。


「陛下。今宵は如何様いかようになされますか」


 浩然はそんな蘇を暫く見詰めていたが、ふっと息を小さく吐くと、諦めた様に目を伏せた。



「……後宮へ、参る」

何方どなた様の元へ……」




「…………」




 浩然は徐に口を開くと、後宮に数多あまた居る皇帝陛下の妻達の中から、一人の名を告げた。


「御意」


 蘇は浩然の意を素早く汲み取ると、その場で静かに頭を下げた後、足音を立てずにしずしずと下がってゆく。

 その姿を見るとはなしに見ていた浩然だが、再び無表情に戻ると窓を振り返り、雪が降りしきる外を眺めた。




 しんしんと舞い降りる雪が、まるで全ての音を吸い取ったかのように、漆黒の庭園は静けさに包まれている。

 昼の明るい時刻には、歴代の皇帝陛下達が眺め、癒されてきた美しい庭園が望めるのだが、今はそれも漆黒の闇に塗り潰されている。



 暫くその暗闇ばかりの景色を眺めていた浩然だが、後ろから声が掛けられた。


「陛下。準備が整いまして御座います」


 蘇の言葉に、浩然は侍従を振り返ると鷹揚に頷いた。



 ―――分かった。参ろう



 そう応えようと口を開いたその刹那、ふと誰かに名を呼ばれた気がした浩然は、もう一度振り返り、窓の外を凝視した。



「……?」



 小さく呟く声が浩然の口から洩れたが、それは誰にも聞こえる事はなかった。



 皇帝陛下の手入れの行き届いた美しい庭園は、先程と同様にその耳が痛くなる様な静寂と暗闇に包まれたまま、変化は見られない。

 浩然がふっと白い息を吐き、力無く首を振った。



「陛下? 如何いかがなされました」

「いや、……何でもない」


 蘇の訝しむ声に浩然はそう答えると、足を踏み出した。

 皇帝陛下の為に誂えられた豪華な刺繍と大きな玉が縫い付けられた沓が、長い毛足の絨毯に沈み込み足音を消す。



 浩然が歩み出すと、すかさず蘇が背後からその肩に厚手の上衣を羽織らせ、先導を始めた。

 蘇の先導で向かった先には近衛武官が二人待ち受けていた。


 浩然は二人の大柄な武官達が素早く片膝を突き、恭しく頭を下げるその前を目もくれずに通り過ぎる。

 浩然が通り過ぎると、武官達は機敏な動作で立ち上がり、無言の皇帝陛下の後に続く。



 殿舎の外へと出た浩然は、舞い降りる雪を頬に受けて、その冷たさに眉を顰めて空を見上げた。

 温暖な地域である故郷の雅安ヤーアンでは、雪とは話に聞いた事はあったが見たことなど無かった。


 雪の冷たさを感じたことにより、ふいに望郷の念に囚われた浩然は、先程聞こえた気がした懐かしい声と共に、過去の情景がまざまざと心に甦ってくるのを止める事が出来なかった。


 浩然は、ぐっと口元を引き締めた。





 暗闇の中、提燈ランタンの灯りを頼りに浩然達は後宮へ向かって歩を進める。

 遠くからでもその威容が良く分かる銀星門も、今は静けさの中に沈み、白化粧を施された姿で沈黙している。


 その普段は威圧する様に建つ、皇宮と後宮を分け隔てる正門を、浩然は冷めた眼で見詰めた。



 ―――もしもあの時、あの選択をしなければ、今のこの状況は違ったのだろうか



 浩然は銀星門を潜り抜けながら小さく頭を振った。



 ―――……いや、どの様な選択をしても、きっと同じ結果になっていただろう



 銀星門を抜けた先の真正面にある、皇帝陛下の御正妻でありこの大国の皇后娘娘である ヂュ 薔華チィァンファの住まう、後宮で一番美しい 蝶貝宮 桃簾殿を見据えながら浩然は口元を小さく引き上げた。




 ―――だが、それも今だけだ




「見ていろ。余は……俺は」








 雪が降りしきる新月の夜。



 暗闇と静寂に沈む後宮に、皇帝陛下のくつくつと密やかに漏れる笑いは、まるで魑魅魍魎の息遣いの様に誰にもさとられる事も無く、後宮の闇の中に吸い込まれていく。



 そうして、今やこの大国の至高の存在であり、支配者と成った若き皇帝陛下は、己が心の望むままに、懐かしくも愛おしい故郷へと想いを馳せ、あの日々へと心を飛ばすのであった。















【ご連絡】 第八章より投稿時間を22:00から21:00に変更致しました。


新機能「誤字報告」が出来たそうです。試しに一度、機能オンにしてみますので、誤字等がありましたら教えて頂けると助かります。このページの下方に作者マイページ等と一緒に青の太文字でありますので、よろしくお願い致します。

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