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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第七章

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十九. 黒曜殿

 


 色づく紅葉が楽しめた後宮の木々も、その鮮やかな葉を落として寒々しい姿を晒し、空は何処か鈍い色にも見える、ある寒い日。


 静麗ジンリーの姿は リィァン 春燕チュンイェン公主殿下の住まいである 緑閃宮 黒曜殿の中にあった。

 その傍らには、静麗と同じ貴人位の側室である イェ 彩雅ツァィヤーの華やかな姿もある。

 本日、静麗は初めて春燕の殿舎へと赴いていた。





 此れまでにも、春燕には何度か遊びに来てほしいと誘われていたのだが、静麗の様な身分の低い者が、高位貴族達が住む殿舎がある一画に遊びに赴くのは恐れ多く、又、目立つ行動は出来る限り避けたいと思い躊躇していた。

 それを先日月長殿で行われた二度目の三人だけの茶会で聞いた春燕は、少し考える様に首を傾げると、その愛らしい顔を彩雅に向けた。


「公主殿下? 如何いかがなさいました」


 彩雅はじっと自分の顔を見てくる春燕に同じように首を傾げた。


「ねぇ、葉貴人。貴女も静麗お姉様と一緒に、私の殿舎に御招きするわ」

「まぁ。私を、殿下の殿舎に招いて頂けるのですか?」


 彩雅は少し驚いた様に目を見張った。

 貴位六品の身分である葉家と、公主殿下である春燕では、大きな身分の差がある。

 静麗の様に、春燕と姉妹の様に懇意にしている訳でも無い、低位の自分などを、何故急に招く気になったのか。

 彩雅は訝しく思い、春燕の言葉を待った。


「ええ、そうよ。その時に、貴女の馬車についでに・・・静麗お姉様を乗せて来てくれないかしら? 馬車なら外からは誰が乗っているのか分からないでしょう」

「あぁ、成程。分かりましたわ。そう言う事でしたら、喜んで御招きをお受けいたしますわ」


 彩雅は納得してゆったりと頷いた。

 慌てたのは静麗だ。


「待ってください。あの、私の為に葉貴人様の御手を煩わせるのは、申し訳ない事です。それぐらいなら、私は自分で歩いて行きますから」


 両手を胸の前で小さく振りながら、静麗は焦って言葉を挟むが、彩雅はそんな静麗の様子を見て、扇で口元を隠しながら可笑しそうに笑った。


ジィァン貴人。これは、私の手を煩わせる事柄では無く、我家に取っては大変名誉な事なのですよ? 私の様な貴人位の側室が、前皇帝陛下の御息女であられる公主殿下の殿舎へついで・・・とはいえ御招き頂けるなんて」

「あら、確かに一番に招きたいのは静麗お姉様だけど、貴女の事も私は好ましく思っているわよ?」


 春燕も可笑しそうに含み笑った。


 二人の様子を見て静麗は困った様に眉を下げたが、結局その後は春燕と彩雅の二人で話が進められ、時期を見て春燕の殿舎を訪れる事が決定されたのだった。







 静麗は緊張の面持ちで彩雅と共に黒曜殿の応接の間に案内されていた。

 何度か月長殿で見たことがある春燕の侍女が先導してくれるその後に、彩雅と静麗が続き、その後ろに芽衣と彩雅の侍女が続いた。



 春燕が住む黒曜殿は、以前は前皇帝陛下の貴妃であった春燕の母と、姉、そして大勢の使用人達で住んでいた。

 貴二品位の大貴族の出である春燕の母の後ろ盾は大きく、黒曜殿の中はとても華やかで豪奢な作りとなっていた。

 春燕が母を亡くした後も、母の生家である梁家は春燕に変わらぬ援助を送ってくれている。

 それが無償の愛情で無い事は、幼くとも後宮で育った春燕には分かっていた。

 公主殿下という身分の春燕が、この先どう扱われるのかも知っていたが、貴族、ましてや皇族であれば当然の事であろうと春燕は受け止めていた。

 唯、其れまでの短い期間を、姉と慕う静麗と少しでも長く共に過ごしたいと春燕は願っていた。



 美しい光沢が出るまで磨かれた、黒い木床が長く続く廊下を歩き、所々にある雅な飾り窓から覗く手入れされた庭を眺めながら静麗は応接間へと入った。

 中では春燕と筆頭侍女の二人が待っていた。


 彩雅と静麗は応接間に入ると直ぐに跪き、皇族に対する礼を恭しく行った。


「二人とも立つがよい。…其方たちは下がっておれ」


 春燕が静麗達に声を掛けて立ち上がらせながら、後ろに控えていた侍女達に命じた。

 芽衣を含む他の侍女達は拱手をすると、しずしずと応接間から退出していった。

 応接間には静麗と彩雅、そして春燕とその筆頭侍女の四人となった。



「静麗お姉様! 歓迎いたしますわ! ようこそ、黒曜殿へ!!」


 春燕は椅子から立ち上がると静麗に駆け寄って抱きついて来た。

 初めて会った頃はまだ静麗の方が大きかったが、今は余り背丈が変わらない。

 きっと来年には追い越されている事だろう。


「公主殿下、御招きありがとうございます」


 静麗が微笑みながら春燕を受け止める。


「春燕様、成人前とはいえ、皇家の女性がはしたないですわ」


 筆頭侍女がやんわりと春燕を諭したが、春燕は振り返ると口を尖らせた。


「分かっているわ。だから、他の侍女達が下がるまで我慢したのよ? 静麗お姉様を黒曜殿に招きたいとずっと願っていたの、貴女も知っているでしょう?」

「はい。ですが、春燕様も来年には成人を迎えられます。どうかお淑やかな女性と御成り下さいませ」

「……分かったわ」


 一番信頼している筆頭侍女の言葉に春燕は頷いた。



 その後、応接間で三人は茶と菓子を楽しみ談笑をしていたのだが、其処に侍女がやって来て春燕に耳打ちをした。

 春燕は頷くと此方を見ていた二人の客人に笑顔を向けた。


「二人も知っている者が丁度訪ねてきたのだけれど、通しても良いかしら?」


 静麗と彩雅は顔を見合わせたが、直ぐにはい、と返事をした。



 ―――私達三人が知っている人物なんて少ないわ、もしかして……



 静麗の予想通り応接間に現れたのは、御用商人である リィ 一諾イーヌオであった。


 一諾は応接間に入ると少し驚いた様に身じろいだが、直ぐに笑顔を浮かべるとその場に拝跪した。


「公主殿下、葉貴人様、蒋貴人様。御寛ぎの所申し訳御座いません。何か御用は無いかとお訪ね致しましたが、本日は出直した方が宜しいでしょうか?」


 穏やかな笑顔を浮かべながら尋ねる一諾に、春燕は肩を竦めた。


「構わないわ。……でも、そうね。私は、今は必要な物も特にないわね。お二人はどうかしら?」

「私も御座いませんわ」


 春燕に目で問いかけられた彩雅は首を緩やかに振った。

 そうすると、春燕と彩雅、そして一諾の三人の視線が静麗に集まる。


「あ、私も、今は間にあっています。…ごめんなさいね」


 静麗が申し訳なさそうに一諾に謝ると、とんでもございません、と一諾は頭を深く下げた。

 そして顔を上げると静麗に対して穏やかに微笑みながら問いかけた。


「蒋貴人様の庭園に植えさせて頂きました庭木や花は、その後問題御座いませんでしたか?」

「ええ。庭木はどれも綺麗に根付いたし、金木犀は今年花を咲かせたのよ」


 静麗が金木犀の甘やかな香りを思い出してそう告げると、一諾は目を細めて頷いた。


「それは、よう御座いました。また何か御座いましたら、何時でも私をお呼び下さいませ」


 恭しく一諾はそう告げると、春燕や彩雅に向き直り、退出の許しを得て応接間から静かに出ていった。

 その後、夕刻近くまで静麗達は楽しい一時を過ごし、静麗と芽衣は帰りも彩雅の馬車に乗り、黒曜殿を後にした。







 黒曜殿から帰路の馬車の中、静麗は彩雅と向かい合わせて座っていた。


 裕福な貴族である葉家の馬車はとても洗練された美しい物であった。

 その豪華な内装を感心しながら見ていた静麗は、前から向けられる視線に気が付き、彩雅に顔を向けた。


「葉貴人様? どうかされましたか?」

「いえ、…ちょっと、気になる事があるのだけれど……」


 何時もはっきりとした言動をする彩雅の、躊躇する様な態度に静麗は不思議そうに見返した。


「葉貴人様?」

「李は、……貴女の所へ来るときは、何時もあの様な態度なの?」


 静麗には彩雅の言っている意味が分からずに、困惑した様に眉を顰めた。


「あの様なとは……? 一諾さんは、普段通りに見えましたが?」

「……そう」


 静麗の返事を聞くと、彩雅は少し不機嫌になった様に息を吐いた。


「私の殿舎に来る時とは少し態度が違う様に感じたのよ。……私に対しては、もっと、……壁があるような」


 そこまで言うと、口をきゅっと引き絞った。


「別に御用商人など、どうでも良いのですけれど、貴女に対して少し馴れ馴れしいと思っただけですわ」


 静麗は突然早口になった彩雅に少し驚きながらも、口を開いた。


「一諾さんが、私に対して親しく接している様に感じたのなら、それは私の責任です。……以前、同じ平民同士として、もっと普通に接して欲しいと願ったことがあって……」


 静麗が少し言い難そうにしながら告白すると、彩雅はまぁ、と顔を顰めた。


「蒋貴人。貴女……」


 そう言うと、呆れた様に大きな溜息を吐いた。


「何を考えているの? 私達は後宮に住む、陛下の側室なのよ。それが、特定の男性と友誼を結ぶなど」

「はい。……今は反省しています。でも、その時は周りが貴族の方達ばかりで、とても寂しくて」


 悄然として肩を落として反省を示す静麗を眺めて、彩雅はもう一度大きく息を吐いた。


「では、此れからはお気をつけになることね。他の側室達にこの様な事が知れたら、大変な事になるわよ」


 そう言うと、彩雅はつんと顎を上げて静麗を見下ろした。


「それに、今は私が居るのですから、寂しくなど無い筈ですわ」

「えっ、……貴人様」


 静麗が驚いた様にまじまじと彩雅の顔を凝視していると、段々と彩雅の顔が赤らんでくる。


「な、何ですの? 私では物足りないとでも仰る積り?」

「いえ! 嬉しいです。葉貴人様と知りあえて、……とても、嬉しいです」


 静麗が照れながらもそう告げると、彩雅は満足そうに大きく頷いた。




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